夢の途中7 (216-247)
必ず帰ると手紙には書いたが、何時そんな気持ちに成るのか・・・・
自分でも分からなった。
昼間あれだけ暑かったのに、9月も半ばになれば、半袖のTシャツでは少し夜風が冷たく感じた・・・
二人は墓地公園から、関西空港が見える対岸のレストランに場所を移していた。
回りは既に闇に包まれ、眩いほどのライトを灯した大きなジェット機が巨大な怪鳥の様にふんわりと着陸したり、或は轟音を響かせて暗い闇の中に飛び立って行った。
その店の名物である、近くの漁港に水揚げされる新鮮な魚介のパスタを食べ終わり、香織は尋ねた。
『それから林さんはどうなさったの?』
「鈍行を乗り継いで、あくる朝上野に降りたんや・・・
あてなど無かったけど、何となく、山谷のドヤ街にでも行こうと思ってな・・・
それからは、職安前で知り合った手配師に関東のアチコチの飯場に送られて、肉体労働の連続やった。
まだまだ暑い盛りで、炎天下の現場でツルハシやスコップ持って汗みずくになって働いた・・・
多分、自分をとことん追い詰めたかったんやろな・・・
ああ、香織さん、山谷て知ってるか?【西の釜崎、東の山谷】云うてな、山谷は港湾の荷役、道路工事の土方(どかた)とかの日雇い人夫が集まる場所や・・・
まあ、ガラの悪い処でなァ、
関西フォークの神様で岡林信康の曲に【山谷ブルース】云う曲が在ってなァ、世の中の底辺に居る山谷の日雇い人夫の事を歌っているんや。
僕もその中に身を沈めたくなって・・・実際山谷には1年半程居たわ。
色んな人がおったなァ・・・エエ人も悪い人も・・・教えられる事も多かった・・
瑛子の事が吹っ切れた訳や無かったけど、何時までもこんな自堕落なことやってたらイカンと思てな、京都に帰ったのが昭和52年の暮れやった・・・」
「京都に帰ったんは昭和52年の暮れやった・・
東京に居てる云う事は時々葉書出してたさかい、家には知らしてた。
けど、山谷に居る云うたら心配や思て、居所は云わずじまいやった・・
突然帰った息子の姿に母親はびっくりしてしもて、オロオロして泣き出すし、かと思えば、父親は仏頂面したまま『おお、帰ったんか・・・・』その一言の他には何にも云わんかった・・・
大学の方はちゃんと授業料も払ってくれてて、2年間留年はしたけど何とかちゃんと卒業させてもろたわ・・・」
『そう、そうでしたの・・・男親と息子の関係って・・でも、心配なさっていたのね・・・』
「親不孝な息子やろ・・・そんな両親も10年前に相次いで病気で亡くなってしもてなァ、卒業後も仕事で年がら年中地方や、海外やと危険な現場回りばっかりで、心配こそさせたけど、とうとう親孝行の真似ごとも出来ず仕舞いやった・・・孫の顔を見せてやれたのがせめての孝行やったかいなァ・・・」
そう云って優一は苦笑した。
『ねぇ、林さん、こうして御話を聞いていると、私達って似たもの同志ね・・・
私達、今となってはどうしようもない過去を引きずって生きて来た・・・
取り返し用の無い過去を悔んでばかりいた・・
亡くなった人がそれを望むかしら?瑛子さんや私の夫が、それを望むかしら?
私達が今生きている事の意味をもう一度考えてみる必要があるかも知れないわ。
私、今、もう一度神戸の街を歩いてみたくなったわ・・・いえ、勇気が出て来たと云ってもいい・・
妹の住む池田と神戸は、ほんの目と鼻の先なのに、とても神戸に降りる勇気が出なかったの・・でも、何時までもそんなんじゃダメね・・・何時までも逃げてばかりじゃ・・・
今度の旅で、私、変わってみたい・・・・』
「・・・ああ、そうや・・・香織さんの云う通りや。僕も君も一歩踏み出さなイカンなァ・・
そや、良かったら、明日一緒に神戸の街を歩いてみいひんか?
君は震災の後、復興した神戸の街を見た事が無いのやろ?」
『・・ええ、テレビや何かでは時々・・・でも、震災の3年後に北海道に渡ってから、神戸おろか、関西に帰ったのも今回で11年ぶりだもの・・・
林さん、お付き合いして下さるの? 何か、ドキドキするわ・・・』
「僕は震災の後、崩壊した建造物の建て替えや補強工事で良く行ったなァ。
そんな建物も久しぶりに見てみたい気もするし・・・」
『林さんが建てた建物?そうね、私も是非見てみたいわ♪でも、そろそろお休みも終わるんでしょ?』
「ああ、明後日の日曜で休みは終わるんやが、月曜に大阪本社で一日会議が在ってね、
火曜日の朝早く関空から札幌に。だからまだ2日はあるんや。」
『うふふふ♪嬉しいわ・・・』
レストランから見える関西空港の人工島からまた一機、旅客機が飛び立って行った。
漆黒の闇の中へ、自分を奮い立たせて旅立つように・・
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章タイトル: 第27章 そして神戸 2008年夏
翌日の午後、香織と優一は再び梅田の駅で待ち合わせた。
今日は車では無く、阪神電車に乗って神戸に行くのだ。
14年前、神戸・淡路大震災で被災した香織と孝則が当時奈良の西の京に暮らしていた妹美羽の社宅に向かう為、震災後やっと通じた阪神電車に乗って梅田まで来た道を、今日は優一と逆に向かっていた。
六甲山脈の麓のかなり標高の高い場所まで住宅が見えるのは震災以前からの風景であったが、車窓から目に入る街中には【タワーマンション】と呼ばれる地上20階を越える高層マンションも幾つか見える。
海側にも震災で陥没した岸壁を埋め立てた新しい土地に、大規模なマンション群、商業ビル、美術館などが見えた。
神戸の震災は内陸部の直下型地震で在った為津波の被害は殆ど無かったが、埋め立て地である六甲アイランド、ポートアイランドでは液化現象による被害も酷かったと聞いている・・・
震災から14年、幾ら震災で学んだ教訓を得、大規模災害への備えがあるにせよ、あれ以上の災害が来ないと云う保証は何処にも無い・・・
「のど元過ぎれば・・」と言うが、本当にこれで良いのかと素人なりに香織は心配になった。
その事を土木・建築を生業とする優一に問うのは流石に憚られたが・・・・
14年前香織が見た神戸の街の印象深い風景は、殆どの民家の屋根に覆われたブルーシートの色だった。
香織が震災3年後の平成10年に神戸を離れる頃には、そのような風景も既に無くなっていたのだが、余りにも過酷な経験であった為、ブルーシートを目にするたび震災を思い出すのであった。
「香織さん、どう?だいぶ変わったか?神戸の街」
『ええ・・・でも、私が神戸を出たのが震災の3年後だから、そんなに変わっている筈も無いんだけど・・・あの頃はブルーシートで覆われた屋根や崩れ落ちた建物が鉄道で沿線沿いを走ると嫌でも目に入ったものだわ・・・それがこうして生まれ変わった街を見ても、その時の風景とダブって、正直不安になるの・・・』
「・・・そやな、僕等土木屋もコレで良い、完璧やと思う仕事は無いな、正直言って・・
完璧やと思って作ったとしても、自然は常にその先を行く・・・
神戸の震災を機に耐震強度が大きく見直されたけど、それだって完璧かと云えへんしな・・・
完璧やと思うのはむしろ、人間の傲慢かも知れん・・・」
作品名:夢の途中7 (216-247) 作家名:ef (エフ)