名探偵カラス Ⅱ
真実
突然の聡子の引きつった顔と、普段の聡子にはあり得ないような緊迫した様子に、一体何事が起きたのかと靖男は戸惑った。
そして、聡子がワナワナ震える手で、自分の目の前に突き出した紙片に目を落とした。
「な、なぜ、こ、これが、ここに……?」
慌てふためいてそう叫ぶと、急に立ち上がり、履いてるズボンのポケットを両手でまさぐった。
「な、ない! 確かにここに入れたはずなのに……」
「カアッ、カアッ、カアッ」
木の上で俺は、ザマー見ろ! と笑った。
夫の慌てる様を見ている内に、少し落ち着きを取り戻した聡子は、覚悟を決めた女の強さを漂わせ、冷たく言い放った。
「あなた! その慌て振りは、この領収書があなたの物に間違いないということですね! さぁ、きちんと説明してもらいましょうか!」
元々気が弱い靖男のこと、聡子にこうまで強気に出られると、とてもじゃないけど隠し通すなんてできない。諦めたようにおずおずと言った。
「ごめん! 聡子。俺が悪かった。許してくれ」
「あなた。許すも許さないも、それはきちんとした説明を聞いてから判断することにするわ。こんなにも借金を作ったのはなぜなの? それに、父を山へ連れて行ったことと、どういう関係があるの?」
聡子に詰め寄られ、靖男はたじたじだ。いきなりソファーから立ち上がったかと思うと、次には床に頭を擦り付けるようにして、正に平身低頭の態で謝った。
「聡子、本当に済まない」
「あなた、そんな格好しないで。みっともないでしょ!」
そう言うと、靖男の腕を掴んで立たせた。
「とにかく、私に分かるようにちゃんと話して!」
「分かったよ。実は……」
改めてソファーに座り直すと、靖男はじいさんが入院している間、自分が構ってもらえない淋しさからつい魔がさしてギャンブルに走り、そのせいで借金
を作ってしまったこと。そして借りていた先が、いつの間にかその債権を他の暴力金融に譲り、お陰でどんどん利息がかさんでいったこと。
更に最近では、その暴力金融からの催促が、会社にまで押し掛けて来て困っていたこと。それを何とかしたいばっかりにじいさんを山に放置して、保険金と遺産を当て込んだことを、順を追って説明していった。
俺は聞いていて、オヤッと思った。浮気したんじゃなかったのか? じいさんは確かそう言っていたが……。
あっそうか、そのことは絶対聡子には内緒にしようとじいさんと約束してたから、それでギャンブルなんて嘘を……。まぁ、この男にしては上出来な嘘かも知れない。
それにしても、あの金融会社との関わりがそういう流れだったとは……。
俺がそんなことを考えている間も、聡子と靖男の会話は続いていて、その話を聞いていたのかどうか、じいさんはすうーっと立ち上がると、縁側から靴も履かずにふらふらと歩き出した。
聡子も靖男も話に夢中で全く気付いてもいない。
三毛子が、そんなじいさんの足元に絡まるようについて歩いて行く。
どうせじいさんの足じゃぁ、そう遠くへ行くこともないだろうと思って、俺は二人のバトルをもうしばらく見学していることにした。
「あなた、何てことを……。大して財産もないこの家に養子に入ってくれて、父とも仲良くしてくれて、私がどれだけあなたに感謝していたか……。子供こそ授かれなかったけど、どれだけあなたを大切に想っていたか……。そんな私の気持ちはどうしてくれるの? そりゃあ確かに父が入院している間、あなたに淋しい思いをさせたことは、本当に申し訳ないと思ってるわ。だけど信じてたのに……。あんまりだわ」
聡子は自分の言葉に感情が昂ぶったのか、最後の方は泣き声に変わっていった。泣きながらも聡子は続けた。
「あなたは知らないかも知れないけど、…父はあなたのために…うちに来てくれたあなたのために…年金をもらう年齢になった時からずっと、その半分をあなたのために貯金してくれていたのよ。……万が一、あなたにお金が必要になった時、肩身の狭い思いをさせたくないと言って……。『靖男くんへのせめてもの感謝の気持ちだ』と言って……。それなのにあなたって人は…そんな父の気持ちを……うっ、うぅぅ…」
聡子はしゃくり上げながらそう言った後、テーブルに突っ伏して泣き崩れてしまった。
「――お養父さんがそんなことを……知らなかった。ごめんよ聡子。知らなかったで済まされることじゃないよな」
靖男はうなだれた。そしてハッとして顔を上げ、
「お養父さん、本当にすみませんでした」
と、言いながら縁側に向いた。
「えっ? お養父さん。お養父さん?」
そこにあると思っていた養父の姿はなく、靖男は慌てた。
「聡子、お養父さんがいないぞ! 一体いつの間に……。聡子、泣いてる場合じゃない。お養父さんを探すんだ。お養父さんにもしものことでもあったら、俺は一生申し開きもできなくなってしまう。行くぞ!」
そう言い置いて慌てて玄関に向かうと、履き物を足先に引っ掛け、転びそうになりながら走り出てきて、靖男はそのまま表へと駆け出して行った。
「お父さん…あなた…」
ふらふらと立ち上がった聡子も、呆然とした顔で夫の後を追った。
当然俺は羽根を広げ、空へと飛び立った。じいさんが表に出て行ってから、時間にしたら高々十五分くらいのものだ。きっと公園辺りにいるに違いない。そう高をくくってた俺が馬鹿だった。
公園はもちろん、周辺を上空から目を皿のようにして見渡しても、どこにもじいさんの姿は見えない。どこへ行ってしまったんだろう。
地上では靖男と聡子が、声を嗄らしてじいさんを呼んでいる。
「おかしい。こんなに探していないはずはない」
その時俺はハッとした。まさか……。
急に感じた胸騒ぎをどうしようもなく、俺が忙しく視線を巡らせると、家のそばに三毛子の姿を認めた。
「そうだ! 三毛子はじいさんの足元に絡み付くようにして一緒に出て行ったんだった」
そう気付いた俺は、急いで三毛子のそばへ着陸した。
「三毛子ちゃん、じいさんは?」
慌てて尋ねる俺に、三毛子も焦って答えた。
「大変なの! おじいさんが知らない男たちに無理やり車に乗せられてどこかへ連れて行かれたの。ちょうど良かった。お願いおじいさんを助けて! あいつらきっと悪人よ」
「分かった。きっと俺が何とかする! で、その車ってどんな車だった?」
「えぇっと、確か黒い大きな車で、屋根の上にやたらアンテナが付いてたわ」
「そうか。で、どっちに走って行った?」
「たぶん駅の方だと思う」
「よし!」
俺は急いで上昇すると、駅方向に向かって黒い車を探して飛んだ。
しかし黒い車というのは結構たくさん走っていて、三毛子が言っていたアンテナが付いてる車を見付ける度に下降して、中に乗ってる奴を確認した。
何台目かの車を確認した時、ようやく中にじいさんの顔を見付けることができた。
強面の男二人に挟まれて、後部座席に座らせられたじいさんの顔は不安そうに怯えていた。