名探偵カラス Ⅱ
「しかし、聡子にそれを言ったら、あれがどれ程ショックを受けるか。それを考えると、わしは言えんかった。だから代わりに、靖男くんとたまたま二人きりになった時にその話をしたら、あれが泣いて謝ってのう。女ともきっぱり別れると言うんで、わしも許すことにしたんじゃ。そしてこのことは、わしと靖男くんとの二人だけの秘密ということにしてのう。あれも聡子の所へ養子に来てくれて、あれなりに気疲れしておったんじゃろうなぁ……」
そこまで話すと、じいさんはしょんぼりして言い足した。
「――わしが悪いんじゃ、こんな身体になってしもうたから」
「そんなことはないよ! あんたのせいじゃない。あいつが悪いんだ」
俺はそう言ったが、じいさんに聞こえるのはやはり「カァーカァーカァー」
「でもなぁ、やはりわしが靖男くんとの秘密を持っているというのも、靖男くんにとっては負担じゃろうと思うて、退院する少し前から時々ボケた振りをしておったんじゃ。が、しかし、最近では自分でもボケとるんかどうかよう分からんようになってしもうた。本当に年は取りとうないのう」
じいさんはそう言うと、淋しそうにアッハッハと笑った。
そうカァー、そんなことが……。しかし、だからと言ってあいつがやったことは許せることじゃない! やはり何かしらの罰は与えなくては……。
目には目、歯には歯だからな!
「キャッ! カラスが!」
「お父さん、そばにカラスがっ」
突然の聡子の甲高い声に、俺は慌てて後ろに飛び縋った。
「ハハハ、大丈夫じゃよ。このカラスはわしを助けてくれたカラスじゃから心配はいらんのじゃ」
「はぁ〜そうなの? ――あっ、お父さんおにぎり作ったわよ。さぁ食べて」
そう言うと、おにぎりを三個置いた皿を載せた盆を、じいさんの前に置いた。
「食べたら警察まで一緒に行って、お父さん。そして、さっき私に話したことをもう一度刑事さんに話して欲しいの。そうすればきっと靖男さんも帰してもらえると思うから。ねっお願い!」
「うん? さっき話したこと?」
「あら、また忘れちゃったの? いいわ。行けば思い出すかも知れないし。 ――じゃあ早く食べて」
じいさんは聡子に急かされながらも、旨そうにおにぎりをバクバク食べた。
一方警察での取り調べは、靖男にとっては想定外に厳しいもので、彼はすでにヘトヘトになっていた。
所詮、警察がちょっと調べれば、靖男が山へ行ったことなどすぐに分かるに決まっているのに、それでもしぶとく自分は行ってないと言い張っていた。
担当の刑事も、靖男の頑固さには正に脱帽だった。
靖男にしてみたら、山へ行ったことを認める=犯罪者だと思っているから、何がどう転んでも「絶対に行ってない!」と言い張るしかないと思っていた。
ちょうどそんなタイミングだった。聡子とじいさんが警察にやって来たのは…。
受付で事情を話して、担当の刑事さんと話をしたいと言うと、応接スペースに案内され、そこのソファーに掛けて待つようにと言われた二人は、ソファに掛けて刑事を待った。
その少し前、出がけに車に乗ろうとしていたちょうどその時、遊びに行っていた三毛子が帰って来て、じいさんの足元でミャーと鳴いた。
「おぉ、三毛子。帰って来たのか。よしよし、じゃあ一緒にドライブするか?」
そう言うと、三毛子の返事も聞かずにさっと抱き上げ、そのまま車に乗った。
〔まぁ、聞いても三毛子はきっとミャーかニャーしか言わなかっただろうが〕
そして今も、三毛子はじいさんの膝の上で頭を撫でられ、夢心地の表情でうっとりとしている。
間もなくやって来た刑事は、そこに猫がいるのを見て一瞬驚いたようだったが、すぐに目を細くして(本来、その刑事は男にしておくのが惜しいようなパッチリおめめだった)言った。
「おぉー! これは可愛い三毛猫ですなぁ」
「申し訳ありません。こんな所に連れて来るべきではないのは分かってるんですが、父の可愛いがってる猫なので、勘弁してやって下さい」
「いやいやちっとも構いませんよ。それより、今日は二人お揃いでどうされました?」
「実は主人のことなんですが……」
そう切り出すと聡子は、父の言ったことを分かりやすく刑事に説明した。
「ははぁ〜、なるほど。お話しはよく分かりましたが、肝心の山へ行ったことを、頑としてご主人は認めようとしないんですよ。そんなわけで、我々も本当に困っています。それをご主人が認め、お父さんの仰る通りドライブに行かれただけだということなら、我々としても、これ以上お引き止めする必要もないのですが、なにぶんにもご主人がねぇ……」
刑事は渋い顔で二人に答えた。
「――それにしても、見失ったお父さんをそのまま置き去りにして帰るというのも、人としてどんなもんでしょうかねぇ」
「それは確かに刑事さんの仰る通りなんですが、きっと何か、やむにやまれぬ事情があったんだと思うんです」
尚も食い下がる聡子に、
「うーーん」
と刑事も、唸ったきり黙り込んでしまった。
そんな刑事の態度に、やっぱりダメかぁ〜と半分諦め気分で、それでも最後にトドメの一言のつもりで聡子が言葉を放った。
「ねぇ刑事さん。一つ教えて欲しいんですけど、いいでしょうか?」
「ん? 何でしょうか?」
「あのう私、専門的なことは分からないんですけど、普通犯罪というものは、被害者があるから加害者があるんですよねぇ?」
「はぁ、まぁそうですな。被害者がなければ犯罪とは認められないですな。まぁ、稀に死体のない殺人事件などというのもありますが、そういう場合には何かしら殺人事件があったことを裏付ける証拠が見つかった場合ですからなぁ。全く被害者の影も形もない事件というのはあり得ませんな」
刑事の確信に満ちた言葉に、少しホッとしたように、それでいてやはり不安そうに、聡子は次の言葉を慎重に繋げた。
「では主人の場合、誰が被害者なのでしょう?」
「はぁ〜? 誰って、そりゃあお父さんでしょう」
「でも父は、何も被害にはあってないと申しております」
「はぁ〜〜〜?」
刑事は開いた口が塞がらないかのごとく、ポケーッと口を開けたままだ。
「ねぇ、お父さん」
それまでは、そばにはいてもずっと三毛子との目と目の会話を楽しんでいたじいさんは、いきなり聡子に呼ばれ、びっくりした拍子についと声を出した。
「うん?」
じいさんが言ったのは問いかけのつもりの「うん」だったのに、聡子はその言葉を受けて、刑事に自信を持って言った。
「ほらね、刑事さん! 肝心の被害者と思われてる本人が被害にあってないと言ってるんですから、当然主人が加害者のはずはありませんよねぇ〜」
「ま、まぁ、そう言われれば確かにそういうことになりますかなぁ〜。ハハハ」
刑事は頭を撫でながらそう言って笑った。
「じゃあ、主人は釈放してもらえますよねっ」
「参りましたなぁ、奥さんには……。しかし、私の一存で決める訳にはいかないんですよ。明日まで待ってもらえますか? 上司に相談してみましょう」
「本当ですか! ありがとうございます」
聡子は立ち上がり、何度も何度も刑事に頭を下げた。
そばで相変わらずじいさんは、我れ関せずの表情で三毛子を撫でている。