名探偵カラス Ⅱ
俺はまた縁側に回って、いつもの場所からしばらく中の様子を窺うことにした。三毛子の姿は見えなかったから、どこかに遊びにでも行ったんだろう。
少ししてやって来たじいさんが、縁側に座ると聡子に話し掛けた。
「なぁ聡子、靖男くんはどうした? 姿が見えんが……」
「お父さん、実は今朝早くに警察の人が来て、あの人を警察へ連れて行ってしまったの!」
今にも泣きそうな顔で聡子が叫ぶように言った。
「うん? 靖男くんは何か警察に捕まるような悪いことでもしたのか?」
「お父さん、警察が言うには――あの人がお父さんを山へ連れて行って放置したって――それ、本当なの? お父さん。お願い本当のことを話して!」
そう言った聡子の目には涙が光っている。
さすがにボケているとは言っても、娘の涙を見たじいさんは動揺したようだ。
「う、うん? 靖男くんがわしを山へ……? はて?」
じいさんは頭を傾げながらも、何かを必死で考えているように見える。
「お父さん、あの人と一緒に車で出かけたの? 思い出して!」
「うーーん。そう言えば一緒に行ったような気もするなあ。だがそれはドライブじゃないのか? 確かあの時、靖男くんはドライブに行きましょうと言って、わしの手を引っ張って車に乗せてくれたように思うんじゃが――違ったかのう」
「えっ! ドライブって言ったの? あの人」
「うん、それでどこだかの山へ行ったんじゃ。山へ着いたら、わしは急におしっこをしたくなってのう。靖男くんに車から降ろしてもらって外へ出て、おしっこする場所を探していたら、足を滑らして道の端から下へ落ちてしまったんじゃあ。少しして、たぶん意識を失っとったんじゃろうが、何だか手に痛みを感じてのう、それで気が付いたら、何やら黒いものがわしの手を突付いておるんじゃ。ほれ、あそこのカラスじゃないのかのう?」
いきなりじいさんは木の上の俺を指差した。
俺はびっくりして、危うく木から落っこちそうになった。
「えっ? カラスって?」
聡子が父の指差す方へ目をやると、確かに木の上に真っ黒なカラスが一羽止まっている。
「ん? そう言えばどこかでもカラスを見たような気がするわねぇ。いつだったかしら……」
小首を傾げて考えていたようだったが、ハッと気付いたように言った。
「あっ! お父さん、カラスの話よりも、その山へ行った時の話、本当なのね?」
「うん。わしは嘘は言うてはおらんぞ!」
「でも、じゃあ、あの人どうしてどこへも行ってないなんて言ったのかしら」
聡子は独り言のように呟いた。
「聡子、三毛子がおらんが、靖男くんと一緒に出かけたのかな?」
「三毛子はどこかへ遊びにでも行ってるんでしょう。靖男さんは警察へ行ったって、さっき言ったでしょう? もう忘れたの?」
「うん? そんなこと言うたかぁ〜。で、靖男くんはどこへ行ったんじゃあ?」
「だから、お父さん……もう〜、もういいわ」
「聡子、何だから腹が減ったぞ」
「あら、さっき病院で食べてきたばっかりですよ。本当にお腹が空いたんですか?」
「そうかい? でも腹が減っとるんじゃが……」
「はいはい、分かりました。今おにぎりでも作りましょうね」
「おぉ! おにぎりか、それはいいなぁ。昔、ばあさんもよう作ってくれたのう。それで、ばあさんの姿も見えんがどこへ行った?」
「はぁ〜、だからぁ……とにかく、おにぎり作って来ますね」
聡子は諦めたようにため息をつきながら言うと、急いで台所へ向かった。
そして、おにぎりを握りながら、脳は休まず考えていた。父親が行方不明になった日に、夫がどこへも行かなかったと言った理由を……。
「警察の言い分は、夫が父を置き去りにしたと言っていたけど、本当はもしかしたらそうではなくて、たまたまドライブに行った先で父を見失っただけなのかも……。うーん、でもそうなら私が帰った時に、山でのことを何も言わなかったのも変よねぇ。きっと何か理由があるはずだわ。その理由って……」
聡子はたぶん気付いてなかっただろうが、ぶつぶつと独り言を言っていた。
一方、縁側に座ったじいさんは、その後も俺をずうーっと見つめていて、いきなり手招きを始めた。正に俺に向かって、おいでおいでをしているんだ。
「えっ?」
と思ったが、せっかく呼んでくれているのに行かないのも悪いと思った俺は、地上に一旦降りると、チョンチョンと歩いてじいさんのそばまで行った。
「おぉ、よう来た。よう来た。お前さんじゃろ? わしを助けてくれたのは?」
そう言いながら俺の頭をそっと撫でた。
俺はカラスに身をやつしてからと言うもの、人に頭を撫でられたことなど一度もない。驚いた拍子にいきなり鳴いてしまった。
「カァー! カカァー! カァー!〔おいっ、いきなり、何するんだ!〕」
「おう、君はカァーくんと言うのか?」
そんなわけで、俺にはいきなり名前が付いてしまった。どうせならもっとカッコイイのが良かったのに。例えばカーマイヤーくんとか、カールルイスくんとか……。それなのに、カァーくんと言うのが俺の名前になってしまうなんて。
一旦人間に名前を付けられたら、これはもう運命だと思って諦めるしかないんだ。それくらい俺たち動物にとっての名前って重要な意味を持つものなんだ。
本来は魔法使いなんだけどなぁ……俺。うぅーむ。
まぁそれはともかく、じいさんは元々がおしゃべり好きなのか、俺を相手におしゃべりを始めた。
「なぁ、カァーくんよ、人間てのは悲しいもんよなぁ〜。わしみたいに年を取ると、周りの者に余計な迷惑ばかり掛けてしまう。靖男くんが、わしがおらんようになった方が良いと思うのも無理ないんじゃ」
「えっ! じゃあ、じいさんあいつがやったこと分かってんのか?」
俺は驚いて思わず尋ねた。しかし、それに対するじいさんの返事はない。
当然だよな、俺はカラス語で「カァーカァー」と鳴いただけだから。
しかし、じいさんは俺が相づちを打ったとでも思ったのか、途中で息をつきながら、なおも話を続けた。
「わしは数年前に脳梗塞とやらで倒れてしもうてのう。まぁ発見が早かったから命は助かったんじゃが、身体は半身不随になってしもうたんじゃ。しかし聡子がよう面倒を見てくれて、ずいぶん長いことリハビリを続け、ようやっと今のように歩けるようになったんじゃ」
じいさんは当時を思い出すように続けた。
「――ところが靖男くんにしたら、聡子がわしに付きっきりで、自分のことを構ってもらえなかったのがきっと淋しかったんじゃろうなぁ……。聡子が留守がちなのをいいことに、よそに女を作ってしもうたんじゃ。残念なことに、ふたりの間には子供もおらんかったからのう。わしは入院中の病室で、見舞いに来てくれた友人からその話を聞いて、そりゃあもう驚いた」