リブレ
ZERO編 コード・ゼロ
白い、白衣を着た男はガラスのケースに身を寄り添わせていた。
「あぁ、もうすぐだ、もうすぐ出してあげるからね」
白衣の男性は愛しいものを愛でるようにやさしく呟いた。
部屋の中はいろいろな実験器具や用途不明の機械類、そして、この部屋の大半を占める巨大なガラスケース。その中には生物らしきモノが液体の中に浮かんでいる。形はそれぞれで中には人間の形をしているモノもいた。
男が身を寄せているガラスケースの中に入っているのは裸の人間の子供のようだった。しかし、断定はできない。なぜならその子供の背中には漆黒のコウモリのような翼が生えていたからだ。人間の背中にはもちろん翼なんてものは生えていない、すなわちこの人間の子供のようなモノは人間ではないのだろうか?
「メフィスト、研究の方は順調かい?」
ガラスケースに身を寄り添わしていたメフィストが後ろを振り向くとそこには彼同様に白衣を身に纏った銀髪の男が笑みを浮かべ立っていた。
「ゼオスか、ここに入って来るなんて珍しいね」
「たまには昼食をいっしょにどうかと思ってね」
「食事か……もう2日も摂るのを忘れていた」
「君は研究に熱中するといつもそうだね」
ゼオスは手を口に当て小さく声を出して笑った。
生命科学研究所と呼ばれているこの施設ではありとあらゆる生命体の研究がされているのだが、その中にあるキメラ実験施設の研究の全権を任されているのがメフィストである。彼は研究に没頭すると、食事や睡眠を取らなくなるという癖がある。彼には他にも変わった癖を多く持っており、マッドサイエンティストや変人の多い生命科学研究所の研究者の中でも彼の変わり者ぶりはここの施設の職員たちの中でも有名な話である。
「研究も軌道に乗り始めたので久しぶりに食事でも摂るか」
「もうだいぶ外の光に当たっていないだろ、外に食べに行く気はあるかい?」
「食堂で十分だ」
「そうか、仕方ない奴だなぁ、まぁあそこの食堂は品揃えも味もいいからね」
「食堂で待っていろ、すぐに行く」
「そうかい、じゃあお先に」
ゼオスはそう言うと右手を軽く上げてあいさつをしながらこの部屋を後にしていった。
ゼオスが部屋を出て行ったのを確認したメフィストはまたガラスに向かって話はじめた。
「もうすぐ君はここから出れるよ、ゼロ」
ゼロというのはこのガラスケースに入っている男の子のような生物の通称で、正式名はSK-M00という。
「ボクは昼食を摂ってくるけど、元気に待っているんだよ」
メフィストはガラスケースにキスをしてこの部屋を後にした。
この研究所にある食堂は他の部屋同様、金属の壁で四方を囲まれテーブルがぽつんぽつんとあるだけのとても質素なものであったがメニューの品揃えと味は大したもので一流言ってもいい。一流な訳には理由が存在する。この研究所の職員の殆どは1年中外に出ることがあまりない、そのため職員を飽きさせないため品揃えと味がいいのだが、そのことを褒める研究所職員は少数で、ようするにここの変わり者の職員達には味も品揃えも、どうでもいいということだった。
ゼオスがテーブルに着き料理が運ばれて来るのを待っていると、程なくしてメフィストが食堂に姿を現した。
「やあ、メフィスト待ちくたびれてしまったよ」
「それは失礼」
そう言うと彼はプラスチック製の椅子を引き席に着席した。
「メフィストは何を食べるんだい?」
「私は水で結構」
「それでは、ここのひとに悪いだろう、赤ワインなんてどうだい?」
「好きにしろ……それにだここは”オートメーション”だ」
そう言われるとゼオスはテーブルの端にあるディスプレイを操作し始めた。
「う〜ん、僕はパスタとサラダにでもするか……」
ゼオスはテーブルに取り付けられたディスプレイを指でピッピと押すと、すぐさま料理をヒト型アンドロイドが運んで来きた。
この食堂は全てオートメーション無人で作業が行われていて、格テーブルに取り付けられたディスプレイから注文をし、その注文に応じた料理をアンドロイドが運んで来ると仕組みになっている。料金については利用者がこの研究所関係者に絞られているため無料となっている。
ゼオスは血のように赤いワインのグラスを手に取り、グラスを斜め上に掲げた。
「それでは二人の実験にでも乾杯しようか。乾杯」
「…………」
メフィストはゼオスの乾杯の合図に無反応で答えた。
「そんなことじゃ、友達できないよ」
「そんなものはいらん」
この後もこのような会話が幾度と無く続いた。そんな中珍しくメフィストの方からゼオスに話し掛けた。
「なぜ君はいつも私に付きまとう?」
そう、ゼオスはここの研究所に来て1ヶ月となるのだが、それ以来彼はいつものようにメフィストに付きまとっている。
「それは僕が君のファンだからさ」
「ファン?」
メフィストは目を細めた。
「メフィスト、君は僕の知る一番の科学者だ。正直僕は君を尊敬している」
「それが私に付きまとう理由か? ……理解不可能だ」
「科学は出来てもヒトの感情はわからないらしいね」
「私はヒトではない、妖魔だ」
「でも僕の何百倍も生きてるんだろ、ヒトの感情ぐらい理解してもらってもいいと思うけどな」
「何十倍だ。それにそういう君も妖魔と”何か”のハーフだろ」
「何だバレてたのか」
「私に近づきすぎた」
妖魔メフィストの名は遥か昔、妖魔を統べる残酷無慈悲の魔王としてその名を轟かしていた。しかし数百年前から彼は魔王を突然辞め何かに取り憑かれたようにある研究を始めたのだった。
「近づいただけで僕がハーフだとわかるなんてすごいね。さすがは魔王と呼ばれていただけはあるね」
「過去のことだ」
メフィストはグラスに口を付け、ゼオスとは視線を合わせなかった。
ゼオスの熱い視線がメフィストの目を凝視する。
「でも、何で魔王とまで呼ばれた君がその地位と名誉を捨てこんな研究所で?」
「それが私に近づいた本当の理由か?」
「あぁ、そうだよ」
ゼオスは不適な笑みを浮かべた。それに反応してかどうかはわからないがメフィストも不適な笑みを浮かべた。
「物好きだな」
「妖魔は物好きが多いだろ、僕もその血を半分受け継いでいる」
「……研究が気になる」
メフィストは少し間を置いて、席を突然立ち上がった。
「恋人が気になるのかい?」
「…………」
メフィストは無言だった。しかし、その瞳は蒼色から血のような紅に変わっていた。瞳の色が変わるのは妖魔の特徴の一つで、その瞳の色が変わるのは感情が高ぶっている証拠であるという。
メフィストの瞳はすぐに元の色に戻り、彼は無言でこの場を後にした。
月日は経ち、メフィストの研究はある生命体を生み出した。
メフィストの研究は研究所職員の目を丸くさせた。なぜならば、その者たちは信じられない、ありえない光景を見たからだ。
メフィストが『子供を連れて歩いている』。これはじつに信じがたい光景だ、人との関わり合いを只でさえ嫌うメフィストが誰かと一緒にいることでさえ珍しいことであるのに、それに加えその者とは四六時中、それも子供であるということがより一層人々を驚愕させた。
作品名:リブレ 作家名:秋月あきら(秋月瑛)