ノブ ・・第1部
「私のお母さん、横浜の空襲で、たった一人生き残ったんだって」
「学童疎開っていうの?田舎に行ってたから」
「だから私、母方のおじいさんもおばあさんも知らないの」
「え、ユミ・・そうなんか?」
「うん、だからお母さん、戦後は親戚に預けられて育ったんだ」
そうだったんだ・・・ボクらは、ユミさんを見つめた。
「でもね、預けられた先がいい人だったから、何不自由無く育ったって言ってたけど」
「時々、言うもん、今でも」
死んだお父さんやお母さんに会いたい時があるって・・・とユミさんは涙の跡が残る顔で言った。
「だから私、さっきのおばちゃんの話、怖いっていうか・・何かズシッと来ちゃって」
「戦争って、実は私にも身近なんだね、意外と」
「死んじゃう人と、生き残る人と・・誰が悪いワケでも、無いのにね」
「たった一人、生き残ったお母さんの、その時の悲しさとか心細さを思うと」
ユミさんはそこまで言って、川村にすがりついて泣いた。
「そうだよな、幽霊よりも、実際に人間が死んじまう戦争の方が、何万倍もおっかね〜よ」
「いや、戦争をやっちまう人間が、ほんとは怖いんだな」
「お母さん、辛かったやろね・・まだ小さかったんやろ?」
「昭和10年生まれだから・・ちょうど10歳で死に別れちゃったんだよね」
「そうか、まだまだ子供や、可哀そうに」
「時々ね、今でも・・・夢見るんだって」
「両親ともに若いまんまで、ニコニコしてる夢」
ユミさんは、続けた。
「まだ、10歳の子供だよ?」
「きっと、親戚の家で悲しくて・・・泣いたんだろうね」
「私、その話、何度も聞いてたけど、今ほど切実には感じなかった」
ひどい娘だね、私って・・・と、また泣いた。
「そんなコトね〜よ」川村がユミさんを抱きしめながら言った。
「誰だって、実感なんか湧かねえよ・・実際に体験した訳じゃないんだからよ」
「でもな、こうしておばちゃんの話聞いて、その時の家族の気持ちが何となくだけど分かってよ」
「そして、お袋さんの・・・寂しさとか悲しさを思える様になったんだから、いいじゃんか!」
本当に酷い娘だったら、おばちゃんの話に涙流せる訳ね〜じゃん・・と。
「有難う・・」
「お袋さん、苦労したんだな」
「その分、ユミが親孝行しなきゃな、これからよ!」
「うん、その積もり」ユミさんはやっと顔を上げて、微笑んだ。
そんな2人の遣り取りを、微笑んで眺めていたおばちゃんが言った。
「ユミちゃん、あんたもええ娘や」
「きっとお母さんも、自慢の娘なんやろね」
そんなコトないですよ・・と言いながらもユミさんは嬉しそうに微笑んだ。
「さ・・私はお風呂入って、先に休むわ」
「明日は早いさかいな、店も開けるし」
結局、最後に蝋燭消しても何も起こらんかったな、はは・・とおばちゃんは笑って言った。
「みんなは、まだ飲み足りんやろ?ええで」
「戸締りと火の元は、キョウちゃん・・頼んだで!」
ほな、お休み・・とおばちゃんは席を立って、奥に行った。
「お休みなさ〜い」
ボクらの声が、暖簾をくぐるおばちゃんの背中を追いかけた。
「飲もうか?」
「うん、アンタ・・注いでくれん?」
はいはい・・とボクは恭子の切り子に酒を満たした。
「有難う、アンタも」と恭子がボクから一升瓶を取り上げて、お酌してくれた。
「ほれ、ユミも、川村君も」
「じゃ、改めて・・・ユミさんのお母さんに乾杯っちゃ!」
「ありがと」
カンパ〜イ・・・4つの薩摩が小さく鳴った。
「良かったよ、一時はどうなるコトかと、思っちゃったもん」
「怖過ぎてさ」
酒盛り
「ちょっと、待っとってな?!」
恭子が台所に行って、軽く焙ったスルメを持って来た。
「前々から気になっとったっちゃ・・これ」
「日本酒には、これっちゃ、な?アンタ」
「恭子、渋いね、さすがだ」
ボクは早速、まだ熱いスルメを割いて口に入れた。
「うん、美味い」
「へ〜、私、初めてだよ・・これって、烏賊の干したのでしょ?」
ユミさんのお嬢さんらしい一言に、みんな大笑いした。
「なんだよ、ユミ、こんなのも知らね〜のか?」
「全く、これだからお嬢ちゃんは」
「だって・・私、日本酒だって、ここに来て初めて飲んだんだよ?!」
「のん兵衛のあんた達と、一緒にしないでくれる?」
ユミさんが、可愛く川村を睨みながら、スルメを口に入れた。
「あ・・・おいしいね、香ばしくて」
「良かったっちゃ、お嬢様のお気に召して!」
「ちょっと〜?恭子までそんなコト言うの?」
いいわよ、全部食べちゃうから・・とユミさんはお皿を手元に引き寄せた。
「おいおい、オレにもくれよ」川村との取り合いになって、スルメが2人の間を行ったり来たりした。
そんな光景に、ボクと恭子は笑った。
「良かったね、ユミ」
「え、なにが?」
「川村君、優しいっちゃ」
「ええ彼氏やんか、見てて楽しくなるけね」
「そんな・・恭子達だって、いい雰囲気じゃないのよ」
私は、こいつしか知らないから・・でも、楽しいけどね・・とユミさんは照れながら川村を見た。
「オ、オレだって楽しいぞ?お前といられて」今度は川村がしどろもどろに言った。
「でもね、私・・時々怖いんだ」
「何かね、嬉しくて楽しいんだけどさ・・急な坂道をブレーキの壊れた自転車で下りてる気分になる時があるの」
「私、実はお嬢さんなんかじゃ、ないのかもしれないな」
「なんが?怖いと?」
「言っちゃっていいのかな、こんなコト」
いいよね、オガワっちには前にも相談したコトあるし・・とユミさんは暫く逡巡してキッパリと言った。
「セックスってさ・・・思ってたより、いいもんだね!」
川村が口に持っていってた切り子を、ブッと吹いて・・・一瞬、ボクら3人の目が、点になってしまった。
ボクらが驚いてるのを尻目に、ユミさんが切り子を大切そうに掲げながら言った。
「私ね、怖かったの、男の子って」
「でもこいつは優しいんだよね、二人っきりの時も、いつも」
そして川村を見て、続けた。
「ごめんね、あんたを誤解してた・・私」
「男って、みんな女の子の体が目当てで近づいてくるんだって言われてたから」
川村は、珍しく真面目な顔で、語るユミさんを見つめていた。
「セックスがいいもんだ、ってね」
「私、大声あげたり、のけ反っちゃったり・・なんてまだ分からない」
「そう言う意味じゃなくて、好きな人の腕に抱かれると安心するものなのね」
「好きな人の、体温とか汗って、少しも嫌じゃないんだな・・って分かったの」
「だから、いいもんなんだなって」
「2人の時に、隣でバカみたいに口開けて寝てるこいつを見てたらさ、あ・・私、この人のコト、こんなに好きなんだなんて思っちゃってさ」
なんか泣きたくなる位、嬉しくて・・・とユミさんは切り子を恭子の前に差し出して言った。
「恭子、注いで?」
「うん、ユミ、良かったっちゃね、川村君を好きになって」
「有難う・・・恭子とオガワっちがあの時、背中を押してくれたお陰だよ」
恭子とユミさんが、カチンと切り子をあわせて、乾杯した。
ボクも嬉しかった。