ノブ ・・第1部
今度は、ノブちゃんの番や・・とおばちゃんはいつになく、真面目な顔でボクを見つめた。
「いいですけど、怖いって言うか、不思議な体験でもいいですか?」
「勿論や、訳が分からん事って、意外と怖いもんやからな」
ボクは、テーブルの蝋燭を見つめて話し始めた。
「丁度、一年前の春のコトだったんだけど」
ボクは不思議な出来事を話し出した。
「うちが内科の医院だ、ってコトは前にも話したと思うんですけど」
「長い事、うちにかかってた田中さんっておじいさんがいてさ」
「肺線維症って病気と、肝硬変でね・・・もう、回復は難しい段階だったんです」
「で、うちで定期的にレントゲン撮ったり、採血したりしてて」
「そのうち、やっぱり弱ってきたんですよ、田中さん」
「いくつ位の人やったと?」
「うん、70過ぎだったと思う」
「その田中さんが、ある日、自宅で大量に吐血して、娘さんからの電話で親父がすっ飛んで行って、これは、ここでの処置は無理だから救急車を呼びなさい・・ってコトになったんだ」
「うん、肝硬変やったら、食道静脈瘤の破裂?」
「多分、そうだったんだと思う」
「スゲ〜な、ヨシカワ、何で分か・・」
「シッ!!」ユミさんが人差し指を口に当てて、川村を遮った。
「で、田中さんは病院に運ばれて、救急車に同乗してついて行った親父が帰ってきた時に、言ったんですよ」
「ありゃ、今夜がヤマだぞって」
「うん」
「それで?」
「ま、はっきり言って、長年医者をやってたら、大体のコトは分かるらしいんですよね、親父みたいに」
「暫くして、娘さんから電話があったんです、うちに」
「父は食道からの出血も治まって、少しは状態も回復したと」
「有難うございましたって」
「そうか、田中さん、持ちなおしたか・・って親父も喜んで晩酌してひとっ風呂浴びて、みんな床に着いたんです」
「夜中って言うか、日付は変わってたと思うんですけどね」
「最初に気付いたのは、ボクだったんです」
「医院のドアの呼び鈴が、鳴ったんですよ」
「ピンポーン・・って」
ユミさんと川村、そして恭子がボクの顔を凝視した。
「あれ?今頃・・誰だ?」
「悪戯かな?なんて思ったんですけど、また鳴ったんですよ」
「ピンポーン・・・」
ちょっと〜、オガワっち・・とユミさんが川村の肩に顔を押し付けた。
「さすがに、おかしいな・・ひょっとして急患かな?と思って起きだして廊下に出たら、親父が障子を開けて出てきたんです」
「どうした?お前・・」
「え、さっきの呼び鈴、父さんも聞いたんじゃないの?」
「呼び鈴は聞いてないけど・・父さん、今、田中さんの夢を見てた」
「待合室に入ってきて、今まで、長い事有難うございました・・って」
「そして、すぐに消えちまったんだ」
「こりゃ、今亡くなったかな?」
「うそ・・」
「取り敢えず2人で、一階に下りたんです」
「勿論、待合室には誰もいませんでしたけど・・親父が言ったんです」
「田中さん、挨拶に来てくれたんだな、匂いで分かるよ」
「え、どういうコト?」
「田中さんのコロンの匂い、お前・・分からないか?」
「・・・あ!」
「ほんとだ・・分かるよ、オレにも」
「田中さんは歳の割にオシャレな人で、オーデコロンをいつも付けてたんです。その香りがほんの少し・・待合室に漂ってたんです」
結局、その夜は怖くて朝まで眠れなくて、深夜放送のラジオをつけたままボクは布団にもぐっていたのだ・・と言った。
「翌朝、娘さんから電話がありました」
「深夜に再吐血して、父が亡くなったと」
先生に、アンタのお父さんに感謝しとったっちゃんね、田中さん・・と恭子が静かに言った。
「うん、最後の最後にそれを伝えに来てくれたんだろうって親父も言ってたよ」
「これで、オレの不思議な体験談はおしまい・・・あんまり怖くなかったね、ゴメン」
「ううん、充分怖いけど、いいお話だね、オガワっち」
「そんな風に、死ぬ時に感謝される医者に、なりて〜な、オレも」
「でもよ、お礼だったから良かったけど、死んじまった患者に恨み事言われた日にゃ、おっかね〜よな、そっちの方がよ!」
「あんた・・頑張って勉強して、感謝される位のいい医者になりなさいよ?」
「ダメよ?ラグビーばっかりやってたら、そのうちに脳波測って、筋電図出る様になるぞって先輩が言ってたからね!」
ユミさんの叱咤にみんなが笑って、一時、明るい雰囲気になった。
「ノブちゃんのお父さんの、お人柄が分かるな、今の話で」
「ええ先生なんやろね、きっと」
みんな、そんな、ええお医者にならんとあかんよ〜?!とおばちゃんは微笑みながら言った。
「さ、ノブちゃん、吹き消してや」
「はい」
フっと一本の蝋燭を、ボクが吹き消した。
店の中はまた一段と暗くなり、シーンと音が聞こえてきそうな雰囲気になった。
「私の話は、戦争中の事やけど、ええか?」
「はい」
「昭和20年の6月、博多に大空襲があってな」
「夜空にな、沢山のB29が、ぎょうさん・・爆弾と焼夷弾を降らしていきよったんや」
「焼夷弾ってな、中には油が詰っとってな、それが燃えながら落ちてきて・・」
「建物やら地面やらに、火の雨をふらせて、火事を起こさせるんや・・・残酷な爆弾やったわ」
「私も、両親と仲居さんとご近所さんと、夜の空襲警報が出てすぐに、料亭の裏庭に掘った防空壕に避難したんや」
「真っ暗でな、防空壕の中は・・」
「おまけに暑くて、ムンムンしとってな」
「あ〜、早う外に出たい、空襲終わらんかな・・ってそればっかり考えとった」
「そしたらな、いきなりドカーンって音がして、地面がビリビリ・・となってな、バラバラーって土が舞い上がって、防空壕が半分埋まってしもたんや」
「誰かが、直撃弾や〜!って大騒ぎして、防空壕から出ようとしたんやけど父親が止めたんや」
「今はあかん!外は火の海や!言うてな」
「でな、中のみんなは泥を払って銘々に名前呼んで家族の無事確認したりして・・待ったんや、空襲の終わるのをな」
「暫くして、静かになったのを確認して外に出たんや」
「熱かったわ、外は」
「もう、見渡す限り、あっちもこっちも火の海やった!」
「ほんで、これは下手に動かん方がええ・・いう事になって、一晩その半分崩れた壕の中で過ごしたんよ」
「その内に朝になって、火も燃え尽くしたんやろね・・あちこちで煙は上がってたけど、何とか外を出歩ける様になったんや」
「勿論、料亭の跡は、焼け残った柱が、何本かブスブス燻ぶってただけやった」
「でな、うちから少し離れた場所にな、大きな穴が開いとったんや」
「あそこやったんか、直撃弾は・・て、みんなが言うてた時にな・・」
「うちの仲居の一人が、言うたんや」
「女将さん、あそこの家、身重のお嫁さんがいたんやないですか?って」
「旦那さんが出征してて、留守宅に両親と臨月近い嫁さんが住んどった家やったんよ、その大穴が開いた辺りは」
「それを聞いた男衆は、みんなで穴の周りの土を掘り起こしてな、ひょっとしたら埋まっとるかもしれん人達を、探そうとしたんやね」
「私も手伝うたで、勿論・・」