ノブ ・・第1部
「へ〜、こんな色もあるんですか」
「そうや、これも薩摩切り子や」
「ええ色やろ?電灯に透かしてみ?!」
「うわ〜、キラキラしてるっちゃ・・」
「な、切り子はな、部分的にガラスの厚みが違うさかい、光を通すとな、微妙に色合いが変わるんや」
「これは、ぼかし言うてな、薩摩切り子の特徴なんや」
うちの人の受け売りやけどな、ははは・・・とおばちゃんは笑った。
確かに、赤い部分のカットされた線の近くでガラスの厚みが変わっていて、美しいグラデーションになっていた。
「凄いね、昔の人ってさ」ユミさんが嘆息した。
「うん、うまい」
川村は早速、手酌で始めていた。
「ずるいっちゃ」
「お、悪いわるい、じゃ、ヨシカワ」
川村が、恭子とボクに注いでくれた。
「ほら、ユミも」
いつまでも、切り子を電灯に透かして眺めているユミさんに川村が言ったが、ユミさんは動かなかった。
「似てる様で、違うんだね」
「ん?どうした?ユミ・・・飲まねーのか?」
「ううん、私、ほら・・イタリア大好きでしょ?でね、いくつかベネチアングラスも持ってるんだけど」
最初は似てるかな?って思ってたけど、違う・・色合いとか、光の透け具合とか・・とユミさんが言った。
「同じ、色ガラスの器なのに・・感受性の違いみたいなの?」
「面白いね、文化ってさ」
ユミさんはしみじみ切り子を眺めて、川村のお酌を受けた。
「ほな、切り子に乾杯や!」
おばちゃんが笑いながら、音頭を取って、ボクらは乾杯した。
「うん、やっぱり美味しいっちゃ!」
「ヤバいな」
「何がね、なんがヤバいと?」
「だってさ、恭子がこれから日本酒飲む時は、これじゃなきゃ・・なんて言い出したらって思ってさ」
「オレ、いくらなんでも切り子のグラスなんて買えないもんな」とボクは笑いながら言った。
「え、これ・・そげん高いと?」
「だって、江戸時代の終わりの品だよ?」
「はっきり言って、オレ達に手が届く値段じゃないさ・・きっと」
ね、おばちゃん・・とボクはおばちゃんに聞いた。
「あはは、ノブちゃん、鋭いな・・流石やわ」
「この薩摩でな、多分うん十万やと思うで」
ま、うちの人のたった一つの道楽やったさかいな、私も大目に見とったんや・・とおばちゃんは切り子を眺めながら、遠い目をして言った。
「ひゃ〜、うちら・・とんでもないぐい飲みで飲んどったっちゃんね」
「いかんちゃ、手が震えてきたっちゃ!」
恭子は、飲み干したぐい飲みを、そろ〜っとテーブルに置いて言った。
「おばちゃん、文化財で飲むのはいかんっちゃ」
「うち、粗相するかもしれんけ、お猪口にする」
あはは、そない言わんでもええやん、キョウちゃん・・とおばちゃんは、切り子を恭子に持たせた。
「ええやんか、器なんやから使うてナンボやろ?」
「うちの人も仕事が終わって・・ゆっくり晩酌する時は、切り子やったで?!」
「ええ酒を、ええ器で飲むんが、一番の贅沢や言うてな」
そやさかい、それで飲んだらええわ・・とおばちゃんが川村から一升瓶を取り上げて、恭子にお酌した。
「文化財で乾杯しちゃったんだな、オレら」
「どこも欠けてねーよな?!」
今度は、川村が恐縮して言った。
「あはは、そんなん気にしてたら・・美味しいもんも美味しうなくなるで?」
「さ、川村君もキョウちゃんも飲みや?!」
「ええねん、みんなで楽しう飲めたら切り子も本望やて」
飾りもんやないねんからな・・とおばちゃんのお酌で、またボクらは飲んだ。
「あ、おばちゃんは、どうやったと?今日」
「そうだ、ご主人の墓参りに行ったんですよね」
「うん、暑かったわ・・ほんま」
「この近所のお寺さんなんやけどな、もう日傘差しても焼けるんちゃうか・・ってお天気やったさかい」
でも久しぶりに夏の雑草引っこ抜いて、大好きなお酒も持って行ってあげたし・・喜んだやろ、あの人も・・とおばちゃんは微笑みながらグイっと空けた。
「あんたらの事も報告しといたさかい、もしかしたら今夜辺り、この中の誰かの枕元に来るかもしれんな?!」
「げげ!それって・・ご主人のお化けってコトっすか?」
「あはは、そうやで〜?川村君とこか?」
「い・いや、勘弁して下さいよ!おれ」
「何が嫌いって、お化けと納豆だけは本当にダメなんすから!」
「ぎゃはは!」
川村の怖がり方が真剣だったから、他のみんなが一斉に爆笑した。
「おいおい、笑い事じゃね〜ぞ?」
「オレな、子供の頃・・お盆の時だよ!」
「信州の田舎のバアさんちに行ってたんだ」
「夜中にな、便所に起きて、おしっこしながら何気なく、ほんとに何気なく・・・便所の窓の外、見たんだ」
「道の向こうが、ちょうど村の墓地でさ」
「あれ?なんだ?と思ったんだよ」
川村が、声のトーンを一段落として続けた。
みんな静かになってしまった。
「墓地からな、白っぽい服着た人が、大勢出てきたんだよ」
それこそ、大人に子供、年寄り、大勢だったんだ・・と言った。
「今頃、どうしたんだろうって思って見てたらよ」
「みんな、墓地の前の道を渡りだしたんだけどな、足音が聞こえね〜んだよ、一切!」
「おまけに・・よ〜く目を凝らして見たらよ、薄く透けてるじゃん、みんな」
キャ〜止めて〜!とユミさんが耳を押さえながら悲鳴を上げた。
「川村君、怖過ぎるっちゃ、その話」
恭子も自分の腕を抱きしめながら、言った。
「すまん、でも本当のコトなんだよ」
夏の夜話
「その話・・お盆の頃言うたな」
「はい、お盆・・ちょうど、迎え盆って言うんですか?」
「家族で夕方、お墓に行って、提灯の蝋燭に火を付けて」
「ご先祖様が迷子になるから、絶対に提灯の火を消しちゃダメよ・・なんて言われたの、覚えてますね」
そうやろな、きっと・・お盆でこっちの世に帰って来た時やったんやろな・・とおばちゃんが言った。
「川村君、それ、お化けや幽霊ちゃうで?」
「みんなに会いに、一時だけあの世から戻ったご先祖さん達や」
「そやから、お盆の間は、仏壇のお灯明もお水もお供えも欠かさんやろ?」
みんな、戻って来はるんや・・お盆の間はな。
「せやから、そない怖がらんでええで?ユミちゃんもキョウちゃんも」
「そうなんすか・・オレ、それ以来オネショがぶり返しちゃって」
「結局、6年生まで治らなかったんすよ」
あはは、なんや、便所が怖なってしもたんか・・とおばちゃんが笑って、何とか場の雰囲気も明るくなった。
「あ〜、怖かった・・あんた、変な才能があるんだね」
「ん?才能って、なんだ?」
「だってさ、普段のあんたを知ってる人はさ、さっきみたいなあんたの話、ほんとに怖いと思うよ?!」
「話の内容もそうだけど、あんたの語り口?」
「うん、うちも怖かったっちゃ」
「川村君の話聞いて、うちも思い出してしもたけね」
「ちょっと〜、恭子まで変な事言わないでよ〜!」
「なに、恭子もあるの?似たような体験」
ボクも怖いんだけど聞いてみたくなった。
「あれは・・・うちが高校二年の夏やった」
恭子は、淡々と語りだした。
「母親の実家の宮崎に行っとったんよ、夏休みに」