ノブ ・・第1部
「いいよ、そんなに気を遣わなくて」
「仕方無いと思うんだ、オレ」
「どうしたって、オレも恭子も・・・考えないなんて無理だしさ」
湯船から上がって、体を拭きながらボクは言った。
「オレも、みっともない位さ、泣いちゃったんだよ、この間」
「ちょっと酔い過ぎた夜にね、思い出しちゃって」
「恭子には、悪いコトしちゃったな」
そっか、難しいな・・・オレで良かったら、いつでも話、聞くからな?・・と川村は優しい台詞を言ってくれた。
「うん、サンキュー」ボクは素直に川村の気持ちが嬉しかった。
頭をゴシゴシ拭きながらボクらは店に下りた。
「ふ〜、気持ち良かった・・おばちゃん、お先に頂きました」
「そうか、キョウちゃんらは先に一杯始めてるで!」
「へへ、お先っちゃ」
恭子は、嬉しそうにユミさんとビールを飲んでいた。
「お、いいな・・オレのは?」川村の一言に、ユミさんが「ほら、分かってるって」とコップを渡して冷えたビールを注いだ。
「はい、アンタも」
恭子もビールを注いでくれて、改めておばちゃんとボクらは乾杯した。
「キョウちゃんらに話聞いてたんやけど、あんたら・・色々行ったんやね」
「はい、面白かったっす!」
「そやろな、映画村に弥勒さん、嵐電に乗って・・」
「川村君得意の鶯張りの二条城の後、夕立に会うて・・それから、虹か?」
ま〜、忙しい一日やったな・・と、ボクと川村の空になったコップに、おばちゃんは笑いながらビールを注いでくれた。
「はい、それから最後に行った京都タワーも、良かったっすよ!」
「うん、あんなに眺めがいいとはね」
「それに、あの夕焼け」
ユミさんが両手でコップを持って、遠くを見る様な目で言った。
「そうやね・・・綺麗やったな、今日の夕焼けは」
おばちゃんはそう言ってから「ほな、ご飯にしようか」と奥に消えた。
「あ、おばちゃん・・・」恭子が追いかけて奥に行った。
「・・・手伝うけ」
奥から、恭子の声が聞こえた。
「さっきね」
「オガワっちがお風呂入ってる時、恭子に聞いたんだけどさ・・」
「タワーで泣いた訳」
ユミさんが、真面目な顔でボクに聞いてきた。
「オガワっち、恭子のコト、嫌わないでね?!」
「何で?嫌う訳ないじゃん」
「ならいいけどさ、恭子、ああ見えて結構ナイーブだから」
「どうしても、引きずっちゃってるんだと思うのよ」
「ま、詳しいコトは、私も分からないけどさ」
「大丈夫だよ、オレ達は」
「って言うか、恭子も話してくれてるしね、自分の気持ち」
ボクはビールを飲みながら、恭子はどこまで話したんだろう・・と考えた。
でも、ユミさんが恭子を気遣ってくれたのは嬉しかった。
「有難う、大丈夫、オレ・・・恭子のコト、大好きだから」
「お〜、言うな、オガワ!」
「今の一言、カッコ良かったぞ、何気なくて自然でよ!」
「え?!」そんな積もりで言ったワケじゃなかったボクは、赤面してしまった。
「きゃ、オガワっち赤くなった〜!」ユミさんが嬉しそうに言った。
「はいはい、お待たせっちゃ!」
恭子がご飯とお汁が載ったお盆を抱えて、戻って来た。
そして、ボクらの前にそれらを並べながら言った。
「なに?何か面白いコトでもあったと?」
「あのね〜、恭子」
「オガワっちがね、恭子のコト、大好きだ!って宣言したんだよ、今!」
「へ?!アンタ・・どうしたと?」
「いや、なり行きで・・だよ」
「おいおい、照れるなよ、オガワ!」
いいじゃん、素直な気持ちなんだからよ・・と川村はビールを注いでくれた。
「したら今度、2人きりの時にも言うてな?!」
恭子は、みんなに分かる様にボクにウインクしてまた奥に行った。
「へ〜、ヨシカワもスマートだな・・お前ら、カッコいいよ、ほんと」
川村が妙なとこで、また褒めてくれた。
「はは、有難うさん」ボクは照れ隠しにビールを一気に空けた。
「お待っとうさん」
おばちゃんが、ひと抱えもある大きな皿を持って来た。
「今夜は、皿鉢料理にしたで!」
「さぁち・・料理?」
「そうや、土佐・・高知の宴会料理や」
「大きな皿に盛られた色んなもんを、みんなでワイワイ突きながらな」
「楽しく飲んで食べるんや」
「わ、豪快!」
「うまそう・・すごいっすね」
見れば大皿には、刺身、天ぷら、練り物、焼き物・・盛り沢山だった。
それこそ、山盛りに・・・。
「こんなに、食べきれるかしら」
「何言うてるの、若いんやから、あんたら」
「はい、こっちも」
今度は恭子が、似たような大皿を持って来た。
「ひゃ、まだあるんか、ヨシカワ」
「そうっちゃ、こっちはお肉とサラダやけね!」
「あんたら、肉も食べたいやろ思うてな、おばちゃん流の皿鉢やね、こっちは」
「いい牛肉があったさかい・・・」
恭子の持って来た大皿には、胡麻が振られた焼き肉と春雨サラダが載っていた。
「さ、食べや?」
「はい、頂きま〜す!」
「うまい!」
「うん、このお刺身・・なに?おばちゃん。」
「鰹や、土佐風のたたきにしてあるんやで」
「ニンニク、がっちり効いててうまいっすね!」
「そうやろ?ま、みんなで食べたら気にならんやろ・・匂いもな」
鰹のたたきに天ぷら、焼き肉・・・どれもみんな、美味しかった。
ボクらは、食べて飲んで、また食べて。
話題も尽きなかった。
今日一日をなぞるだけで自然に笑いが出て、そんなボクらを見ながら、おばちゃんも嬉しそうだった。
「ほんと、あんたが忍者と真田一族の話を始めた時、実は私・・冷や冷やだったのよ?!」
「何でだ?」
「だって・・オガワっちは歴史の先生だし、恭子は広隆寺のプロだしさ」
「あんたが恥かかなきゃいいなって思ってたんだから!」
ははは・・とボクと恭子は笑った。でも、川村の弁護も忘れなかった。
「ユミさん、川村は凄いよ!」
「信州の事に関しては、オレも敵わないもん」
「そうっちゃ、ユミ」
「川村君の引き出しは、まだまだ、こんなもんやないはずやけ・・ね?!川村君!」
「おう、まだまだあるぞ!オレの秘密の引き出し」
「ほんと〜?じゃ、見せてご覧よ!」
ユミさんが意地悪く、でも可愛く言った。
「お、おう・・その内な!」
川村はグイっとビールを空けて、言った。
「ま、ぼちぼち・・小出しにした方がカッコいいだろ?な、ユミ!」
「はいはい、楽しみにさせて貰うわよ」
ユミさんも、笑ってそれ以上は突っ込まなかった。
「そうっちゃ、ユミ」
「人の魅力は一遍にオープンにしても詰らんけね!」
「ヨシカワ、さすが、分かってんじゃん」
「まぁね。へへ・・おばちゃん、うち、お酒飲みたいっちゃ」
「お、キョウちゃん、いくか?」
「うん!」
あ、オレもそっちをお願いします・・と川村も言った。
「賀茂鶴、いい酒ですよね・・気に入ったな、オレ」
「川村君も、嬉しいこと言ってくれるやんか」
「ほな、みんな・・冷やでええな?」
はい・・とボクも言った。
「あの切り子のグラス、あれで呑むと一層美味い気がするな」
「そうやね、夏は特に爽やかやけね!」
おばちゃんが、賀茂鶴の茶色の一升瓶と切り子を持って来た。
今夜の切り子は、何とも言えない、深い赤だった。