ノブ ・・第1部
「ほんとだ・・急いで帰った方がいいかもね」
ボクらが二の丸御殿の庭を出口の唐門まで急ぎ足に歩いている時、湿った風が吹いてきて、玉砂利に一つ・二つ・・また一つ・・と黒い染みが出来た。
「あ、来たかも・・」と空を見上げたその時、いきなりザ〜っと大粒の雨が降り出した。
夕立
走りにくい玉砂利を、ボクは恭子の、川村はユミさんの手を引いて、何とか唐門まで辿り着いた。
門の下に入ると、雨脚は一層強さを増して砂利の庭が煙って見える位になった。
夕立は門の瓦を大きな音で洗い流しながし、ゴロゴロ・・と雲の上からは雷の音まで聞こえだした。
「ひゃ〜、びしょ濡れになってしもた」
恭子が小さなハンカチで手と髪を拭いて「はい、アンタも・・」とボクに渡してくれた。
「これ、ビショビショじゃん、もう」ボクは笑って顔を拭いた。
「仕方なかろ?小さいっちゃけ」
ボクからハンカチを受け取った恭子は、太ももを拭いた。
見れば恭子のサンダル履きの足元は、泥だらけだった。
ボクのスニーカーも泥まみれ。
「足元は、しょうがないけね」
川村は手ぐしで髪を後ろに撫で付けて、恨めしそうに言った。
「いつ、止むんかな、夕立」
「いいんじゃない?涼しくなってさ!」
ユミさんが服とスカートを払いながら、サバサバと言った。
「バッカだな、ユミは」
「こんな夏の夕立の後はな、決まってムシムシになるんだよ、湿気でな?!」
「だって、お天気に文句言ったって、無駄でしょ?」
いいじゃない、町中に打ち水してくれてると思えば・・とユミさんが微笑みながら言った。
「ユミ、いい事言うっちゃ」
「でしょ〜?!いいじゃん、夏らしくてさ!」
ボクら4人は、門の下から夕立に煙る二条城を眺めた。
「なんか、スクリーントーンがかかったみたい・・」
「おう、なかなか風情があるな、こんな景色も」
ラッキーかもね、こんな景色、めったに見られないもんな・・とボクは恭子を見やって、唖然としてしまった。
「恭子」
「ん?どうしたと?」
透けてるよ、ブラがくっきりと・・と小声で言った。
雨を吸った薄いピンクのTシャツは、その下のブラジャーのシルエットを浮かび上がらせていた。
「あはは、仕方ないっちゃ」
「気になるんやったら外そうか?!アンタの嫌いなブラ」
「ば・ばか言うなよ」
ボクの狼狽を楽しむ様に、恭子はケラケラと笑った。
暫くすると雨脚は少し弱まってきて、雲の中の雷様も大人しく遠のいて行った。
「もうすぐ、上がるかな?」
「そうやね」
でもまだ雲が低く、空は暗かった。
「どうするよ、これから」
川村が重い空を門の下から見上げながら言った。
見れば、さっきよりも雲が速く流れだしたから、もうすぐ上がるんじゃないか?・・とボクも空を見ながら言った。
「傘、無いよね」
「仕方ないけ、止むまで待つっちゃ」
「でもさ、恭子」
ユミさんが濡れ鼠の恭子を見やって言った。
「どうすんの?そのまま?」
「うん、ちょっと気持ち悪かっちゃけど・・濡れたのは同じやろ?みんな」アハハ、と恭子は軽く笑ったが、ボクは気が気ではなかった。
「透けてしもたんは・・これも仕方無いけね」
「あんたは、見ちゃダメだからね?恭子のコト!」
ユミさんが川村を軽く睨んで言った。
「お、おう・・大丈夫」
いいっちゃ、そげん気ぃ遣わんで?!うち、気にしとらんし、そのうちに乾くけ・・と恭子はまた、笑った。
そうこうしている内に、二の丸御殿にかかっていたスクリーントーンが段々と薄くなっていき、御殿の屋根の上に青空が見え出した。
「あっちから晴れてきたっちゃんね」
「じゃ、じきに上がるな、この雨も」
その通りだった。
さっきまであんなに勢い良く降っていたのに、まるで雨のカーテンが通り過ぎて行く様に、ボクらの門の上を最後の一降りが北から南に越えて行った。
その後には、真っ青な空がまた広がった。
「ひゃ〜、またキッパリと男らしく上がったもんだな」
川村の形容がおかしくてボクらは笑った。
その時、恭子が南の空を見て叫んだ。
「ちょっと、あれ見てみ?!アレ〜!」
恭子の指指す方向には、今までに見たコトも無いデッカい虹が、京都の街を跨いで輝いていた。
「すげ〜、こんなの見たコトね〜よ、オレ・・」
「ほんと、綺麗ね」
ボクら4人はポカンと口を開けたまま・・虹を眺めていた。
「何か、神秘的やね」
「ほんと、虹って・・こんなに綺麗なんだ」ユミさんが嘆息した。
夕立が止んで、また蝉の声がやかましく聞こえ出し川村が言った。
「さ、帰るか、ボチボチ」
「うん、そうだね」
全身ずぶ濡れのボクらは二条城を後にして、来た道を戻った。
正面の虹を追いながら。
「まだ、綺麗やね」
虹は幾分、薄くはなっていたが、まだ十分にその姿を留めていた。
「恭子、ここからどうやって帰るの?」
「知らん、アンタ知っとる?」
「いや・・良くわからないけど、とにかく南に向かって、それから東でいいんじゃないかな?」
歩きながらもボクは、すれ違う人の視線が「え・・?」っという感じで恭子に留まっていくのが、気が気では無かった。
「ねえ、オガワっち・・どれ位歩くの?ここから」
「多分・・・結構あると思うよ、まだまだ」
「だよね、私、もうダメかも」
「どうした?バテたんか?」
「ううん、疲れはさっき休んだから平気なんだけどね」
気持ち悪いのよ、全身ぐしょぐしょで・・とユミさんは消え入りそうな声で訴えた。
「そうか、じゃ・・この際だからタクシーで帰るか?おばちゃんちまで」
「うん、そうしよう、恭子も同じだろ?」
「うん、いいっちゃ、たまには贅沢も」
「じゃ・・」
早速、川村は通りに出てタクシーを停めた。
一台のタクシーがス〜っとボクらの前に停まって、ドアを開けた。
「さ、乗れ・・お前らからな」
最初にユミさんが乗り、次に「うち、小型やけ」と恭子。
ボクが続いて、最後に川村は助手席に乗った。
「どちらまで?」
「京都駅のタワー側の方にお願いします」
ボクらを乗せて走り出したタクシーの中は、クーラーが利いてて涼しかった。
「良かった、楽よね、この方が」ユミさんが心底助かった、という感じで背もたれに深々ともたれた。
タクシーの中
南に向かう堀川通りは夕方の混雑が始まっていたのか、タクシーはノロノロと進んだ。
その内に、ユミさんが軽い寝息を立て始めた。
「ユミ、本当に疲れたっちゃんね」
「アンタは?大丈夫?」
「オレも、眠いな・・少し。恭子は?」
「うん、眠いっちゃけど、服が気持ち悪いっちゃ」
パンツまで濡れとるけね・・と小声で恭子は言った。
「バカ」
「うで・・」
恭子はボクの右腕をとり、胸の前で抱きしめてボクの肩に凭れた。
「ちょっとだけ、寝かしちゃり」
恭子は目を閉じて静かになった。
前からは、川村も寝てしまったのか軽い鼾が聞こえてきたが、ボクは腕に恭子の胸の柔らかな膨らみを感じて、眠るどころではなくなってしまった。
タクシーは相変わらず、渋滞の中を進んでいた。
「混んでますわ、お客さん・・」