ノブ ・・第1部
如何せん、付け焼刃の受験勉強の限界だな・・と独りごちた。
「あはは、充分やなかと?それ位で」
「うち、二条城っちゅうたら・・・それこそ大政奉還位しか出てこんもん」
「あ、あと、鶯張りの廊下っちゃろ?!」
「うん、川村に教わったもんな、さっき」
「おいおい、またバカにしてんのか?」
先を歩いてた川村が、笑いながら振り返った。
「違うっちゃ・・でも、川村君」
「どこで聞いたと?そげなコト」
「オレよ、歴史っていうか、忍者が好きでな、昔から」
「お前ら、信州の上田城って知ってるか?」
「ううん、聞いたコトないっちゃ」
「か〜、情けねぇな、お前ら・・いいか?」
と川村は立ち止まって話し出した。
上田城とは、真田十勇士で有名な真田幸村の父親である昌幸が築城した難攻不落の名城であること、徳川との戦で二度もの籠城戦に勝利したことなど。
「でな、真田氏って一族はな」
川村の語りは続いた。
「昔から、大勢の忍者を抱えてたらしいんだな」
「それこそ、伊賀者や甲賀者って聞いたコトあるだろ?」
「うん、忍者の話しには良く出てくるよね」
「そう、戦国時代の一時期、あいつらを束ねてたのが真田一族だったらしいんだよ」
だから、幸村も戦上手で有名だったし、徳川家康の首を取るとこまで、あと一歩だったってのも有名な話しだろ?と川村は言った。
「きっと、情報収集がうまかったんだろうな。忍者って今で言えばスパイみたいなもんだからよ」
「へ〜、凄いじゃん、あんた」
いつの間にか、先に行ってたはずのユミさんまで戻って来て話しを聞いていた。
「で?ウグイス張りと忍者と・・何の関係があるの?」
「もともとな、鶯張りの廊下ってのはだな」
川村によると、わざと廊下の羽目板の固定に普通の釘を使わずに特殊な釘を使い、人間が歩くときしむ様にしたらしい。
そうすれば、例えば夜中、曲者がどんなに慎重に歩いても音が出てしまうため、忍者除け・・つまりは防犯の役目を果たすのだそうだ。
「ほ〜、なるほど」
「凄いやん、川村君!物知りっちゃ」
へへ、それほどでもないけどよ・・と川村も満更でもなさそうな顔で笑った。
「なんたってオレ、信州だからな」
「地元じゃ、真田幸村ってのは、ヒーローなんだよ。だから、あっちじゃ忍者好きなヤツなんてゴロゴロいてよ」
でも、そいつらに比べたらオレなんて知らない方だけどよ・・と照れた。
「いや、見直したよ、あんたを」
「地元のヒーローか、いいね、それ!」
ユミさんに言われて、川村はまた破顔した。
「がはは、そうか、見直したか?よしよし」
「急ごうぜ、鶯張りの廊下」川村は嬉しそうにスタスタと歩きだした。
後を追いながら、恭子はユミさんに小声で言った。
「ああいう所が、可愛いっちゃろ?ユミ」
「まぁね、憎めないって言うか、単純って言うか・・」
途中のそんなこんなで、ボクらは、やっと二条城の二の丸御殿の車寄せの入り口に着いた。
車寄せの入り口で入場料を払って靴を脱ぎ、ボクらは二条城に入った。
初めは、遠侍と呼ばれる登城した大名達の控えの間だった。
「とおざむらい、ここでは大名っちゅうても、ただの侍っち言われるっちゃんね」
「そうだな、それこそ国元では一国一城の主なのにな」
「さすが将軍様の城・・ってコトか」
遠侍から外の庭に面した縁側に出た。
「うわ、白い玉砂利が眩しいっちゃ」
川村が嬉しそうに、ボクらを振り返って言った。
「こっからだぞ、鶯張り・・」
確かに、縁側の廊下を歩くと、一歩一歩、キュキュ・・と意外に小さな可愛らしい音が聞こえた。
「へ〜、これが鶯張りの廊下なんやね」
「なんか子供の頃に掃いてたサンダルみたいっちゃ!」
「あはは、あったね、そういうの」
ユミさんと恭子は、私のはサリーちゃん・・うちのはクマちゃんやった・・と盛り上がっていた。
その先で廊下は直角に右に曲がり、少し行くとまた左に曲がって、今度は大広間だった。
ここは障子が開け放してあり、広間の中の一段高い上座に将軍、下座には諸大名のマネキン人形が頭を垂れていた。
「大政奉還の図・・やね」
「うん、でも、意外と狭いんだな」
「オレ、もっと広いのかと思ってたよ」
「そうやね・・あの有名な絵はうちでも知ってるけど、もっと広い感じやったけね」
でも、ここがある意味、近代日本の第一歩の舞台だったことに変わりは無かったから、やはり色々考えてしまった。
「慶喜が大政奉還しとらんかったら、どうなっちょったと?、この国は」
「う〜ん、難しいな、その質問は」
色々考えてたのは、恭子も同じらしかった。
「遅かれ早かれ、徳川幕府はその使命を終えてたとは思うけどね」
「イヤになっちまったんじゃね〜のか?単純によ!」
「オレでも知ってるけど、外国からは開国に貿易の要求だろ?国の中じゃ、反対と賛成と、それこそ命がけの遣り取りっちゅうか駆け引きばっかだったんだろ?」
「あの頃ってよ」
「仮にオレが将軍だったら」
そんなに言うんなら、お前ら後は勝手にやってみろ!って感じか?出来るもんならよ・・・と川村は言った。
「案外、正解かもよ?それが」
「慶喜は、決して喜んで将軍になった訳でもなさそうだから」
「確かに14代目の徳川家茂が死去した後、後任が慶喜に決まるまでかなり揉めたって話だからね」
「そうなの?」
みんな、進んでなりたがってたんだとばかり思ってた・・とユミさんが言った。
「だって、内憂外患って感じでしょ?当時は」
「ま、進んで火中の栗を拾いたい・・なんてヤツはいなかった、ってコトだな!」
川村が的確な表現をしたら、すかさずユミさんが突っ込んだ。
「ちょっと、あんたの口から、そんな言葉が出るなんて」
「どうしちゃったの?」
「おいおい・・オレだって、こう見えても信州の名門、F高OBなんだぜ?」
「そりゃ出たときは、限りなくブービーに近かったけどよ」
「へ〜、秀才の片鱗は残ってたってコトね!」
ははは・・とボクらは笑いながら鴬張りの廊下を進んだ。
廊下はまた、右に直角に折れて、そしてまた左・・と、二条城の二の丸御殿は、段違いに北にずれながら、それぞれの広間が続いていた。
黒書院、次は白書院と、それぞれ狩野派やら何派やらの有名な襖絵に飾られた書院を眺めながら進み、ボクらは二の丸御殿を一巡した。
「この先に本丸御殿があるっちゃ」
「でも・・」
「うん、入れないみたいだね」
ボクらの行く手を、本丸御殿へ続く廊下に立っていた通行止めの足場が遮った。
そこに、短い断り書きがあった。
「何なに?」
「なんだ、春秋のみの公開なんだってよ?本丸御殿は」
ありゃ、そこまでは書いてなかったっちゃんね、ガイドブックにも・・・と恭子は本を見ながら残念そうに言った。
「仕方ね〜よ、乗り越えていく訳にも行かね〜しな、帰るか!」
うん、残念だけど・・とボクらは、今度は書院の中の廊下を順路通りに進み、出口の車寄せに戻った。
靴を履いて外に出ると、外はかなり暗くなっていて、空はどんよりと黒い雲に覆われていた。
「おい、ヤバいぜ。夕立来るな、こりゃ・・」
川村が空を見上げて呟いた。