ノブ ・・第1部
とうとう真由美は顔をテーブルに突っ伏して泣きだした。
混んできてた店の中の客は「・・おいおい、こんなとこで彼女泣かしちゃってよ」みたいな感じでボクらを眺めていた。
流石に、泣きやまない真由美を何とかしなきゃならなかったから、ボクはお勘定をして、真由美を抱えて店を出た。
「うう・・ううぅ」
泣きじゃくる真由美を抱きかかえて、ボクは眼科病院の裏手にある公園に行き、ベンチに真由美を座らせた。
「ううう、かわいそう、ノブさんも恵子さんも」
「いいよ、真由美さん、もういいよ、有難う」
「もう〜、なんでありがとうなの?ちっとも有難うじゃないじゃんよ〜!」
初めてだった。ぼくと恵子の事で、ここまで泣いてくれた赤の他人は。
「だから、なんだね・・」
「え?」
「だから、ノブさん、いつも一人なんだね。恵子さんのことがあったから・・・いつも一人なんだね」
「ノブさん、かわいそうだよ、そんなの」
「ずっとずっと・・・恵子さんが死んでから、ずっと一人ぼっちだったんだね」
「だから、マンデリンなんだ、ずっと」
「・・・だから」
そうなのだろう、きっと。
あの日から、ボクの心の時計は止まったままだったから。
ベンチに座りながら、泣きじゃくる真由美を抱きかかえながらボクは、シルエットのニコライ堂を見上げた。
そして、思った。
神様、何で恵子は死ななきゃならなかったんですか・・・。
「・・・じゃ、ダメ?」
「え?」
真由美は泣き止んで小さな声で言った、俯いたまま。
「私じゃ恵子さんの代わりには、なれない?」
「私じゃ、ダメ?」
「酔ってるでしょ、真由美さん」
「ううん、もう酔ってないし、泣いてもいない」
真由美は顔を上げて、ボクの目を見て言った。
「ゴメン、また変なこと言っちゃた。恵子さんの代わりなんて・・ムリだよね」
「でもさ、ノブさんが寂しい時、そばにいてあげる位なら私にも出来るかな、なんて」
また無理やり笑顔を作ってる。泣きはらした目は、そのままなのに。
ボクが答えられずにいると、更に言った。
「ノブさん、一人だ、なんて思わないでね?もう。私、いるから、ノブさんのそばにいるから・・ね?」
「お願いだから、一人ぼっちだなんて、もう思わないで?!そんなの、かわいそ過ぎるよ、ノブさんが」
「・・・うぅわぁ〜ん」真由美が泣きながら抱きついてきた。
ボクはそんな真由美がいじらしくなっていた、こんなオレのために。
「ありがとう」
そう言ってボクは、真由美を抱きしめた。
「ううぅ・・」
真由美はボクの肩に顔を押し付け、嗚咽をもらした。
そして暫くして、言った。
「ゴメンなさい、私酔っちゃったのかな」
「帰るね、今夜は有難う。無理やり付き合わせちゃって」
「送っていくよ、どこなの?家は」
「大丈夫、一人で帰れるから、近いし」
真由美はベンチから立ちあがろうとして、よろけた。
ボクは、かろうじて真由美を抱きかかえて言った。
「ほら、無理だよ、酔ってるんだから」
「大丈夫って。一人で・・・大丈夫・・」
ふらつく真由美を抱きかかえながら、ボクは聞いた。
「ほら、送ってくよ、どこ?家は」
「ノブさん、いいの?」
「いいってば。ほら・・・行くよ?!」
「レモン」
「ん?どこだって?」
「レモンの近くなの、アパート」
ボクは、真由美の肩を抱いて歩きだした。倒れないように。
レモンなら、そう遠くはないな。
「ノブさ〜ん・・」
「なに?」
「ゴメンね、私・・・」
「いいよ、気にしないで」
実際、真由美を抱えて歩きながらボクは、気持ちが少しだけ晴れたのを感じていた。
恵子との事を話したからか?そしてそれによって、他の人に寂しさを分けてしまったから?それとも、共有したから?
「ね、真由美さん、聞いてる?」
「・・・うん、聞いてる」
「オレね、恵子のコト話して、少しすっきりしたみたい」
「詮索するな、なんて言ってゴメン。色々、聞いてくれて有難う」
真由美は、つと立ち止まってボクを見て言った。
「今、何て言ったの?」
「有難う、って。聞いてくれて有難う」
もう、ノブさん!真由美はまた、泣きながら抱きついてきた。
「そんな優しいコト言わないでよ」
「自分でも不思議なんだけどさ、ほんとだから・・有難う、真由美さん」
まだヒクヒクする真由美を抱えて、ボクらはレモンの近くにさしかかった。
「・・レモンの前だよ、ここからはどう行くの?」
「お店の前を、左に曲がって少し坂を下ったら・・アパート」
「分かった」
レモンの前を左に曲がった。坂を下ったところで真由美が言った。
「あ、ここ、このアパートの二階・・ボロっちぃでしょ?」
古びたモルタル二階建ての、外階段のアパートだった。
「あと一息、ほら、頑張ろうよ!」
ボクは真由美を支えながら、階段を上った。
「何号室?」
「・・・一番手前、5号室」
着いた、部屋の前に。真由美はバッグから鍵を出して部屋を開け、ボクを振り返って言った。
「有難う、送ってくれて。ノブさん、少し寄ってく?」
「いや、オレ、帰るよ。またね!」
踵を返して階段を下りたボクに、真由美が上から声をかけた。
「今夜は有難う。また・・ね!」
ボクは笑顔で手を振って、自分のアパートに向かって歩き出した。
坂を下って老舗ホテルの横を通り、靖国通りに出た。
酔ってるのに・・・何だか、少し歩きたい気分だった。
「恵子、オレ、恵子のこと、友達に話しちゃったよ、全部」
「怒るかな、恵子は」
「オレね、恵子・・・」恵子の事を思い出しながら楽しく酔いざましの散歩が出来るかな、と思った。
が・・やはり、ムリだった。
さすがに一人になると、恵子のいない今という時間が恐ろしい勢いでボクを飲み込んだ。
一瞬、まわりの喧騒が嘘の様に消えて、ボクは立ち止まった。
恵子は否も応もなしに過去なんだという残酷なまでの現実。
どんなに考えても思い出しても心で語りかけても、恵子はもうボクの前にはいない。
「・・・・」
分かっていた、当たり前のことだもの。
ボクは折れそうな気持を抱えて、アパートに帰った。
部屋に入ったボクは、机の引き出しからオルゴールを取り出しゼンマイを巻いた。
イッパイいっぱいに巻いて、蓋を開けた。
流れ出した赤い糸の伝説・・・繰り返されるリフレインに、閉じた目からは涙が止めどもなく流れた。
「・・・恵子」
その夜、ボクがどんなに願っても恵子は夢に出て来てはくれなかった。
夏
翌日の朝は、蒸し暑くて今にも降り出しそうな曇天だった。
おまけに絞れば水の滴りそうな湿気。
大学までの坂道で、すでにボクは汗をかいていた。
学生控室には、既に学生がパラパラと、いた。
ヨシカワさんとユミさんもいた。
「お早う、オガワ君!」
「おはよう・・」
「どうしたと?元気ないやん?」
「あ、うん。暑くてさ」
今朝は、ヨシカワさんの元気な声も、少し鬱陶しい。
ボクはヨシカワさんの機関銃がさく裂する前に退散することにした。
「オレ、ちょっと・・じゃね!」
そう言い残してそそくさと控室を出た。