ノブ ・・第1部
「うん、ユミちゃんやな、それで?」
「彼氏と二人っきりの旅行は、初めてなんよ」
「もう、嬉しくて嬉しくて、電話の向こうで、はしゃいどったっちゃ!」
しかも、ユミにとっては初めての男やけ、尚更っちゃね・・と恭子はシレっと暴露した。
「そうか、そんなに楽しみにしてはんの・・ほな益々張りきるで、おばちゃんは!」
おばちゃんと恭子は、お互いにお酌しながら嬉しそうだった。
「恭子、ちょっと・・・」
ボクは恭子を奥に引っ張っていった。
「ってコトは、うまくいったの?アイツら・・」
「えへへ、そうらしいっちゃ、ユミが言いよったと」
「心配かけてゴメン、案外スムーズに出来たよって」
そうか・・なんかボクまでホっとした気分だった。
彼女の心配を聞いていただけにね。
「さ、アンタも飲むっちゃ!」
「ユミ達に、乾杯しよ?!」恭子に手を引かれて、ボクらは店に戻った。
嬉しくなったボクは、それから一緒に賀茂鶴をかなり飲んが、取り乱すコトは無かった。
結局、ボクらが風呂に入って寝たのは夜中の2時近かった。
翌朝も7時きっかりに、ボクは恭子に起こされた。
また、タオルケットを引っ剥がされて。
「うん?お早う・・」例によって寝ぼけ眼のボクに、恭子は言った。
「ささ、起きるっちゃ!」
「うちは仕込み、アンタはお掃除・・今日も忙しいけね?!」
はいはい・・ボクはのそのそ起きだして、洗面所に行った。
「いい天気だな・・」
「ん?日曜か?今日は」
歯を磨きながらボクは思っていた。この店、いつが定休日なんだろうと。
ガラガラ・・とうがいを済ませて、新しいシャツとジーパンに着替えて下に下りた。
「お早うございます!」
「おはようさん、ノブちゃん、良う寝られたか?」
「はい・・え、オレ、また変なコト言ってました?」
あはは、違うわ・・朝の挨拶や!とおばちゃんは上機嫌だった。
おばちゃんと恭子は、また二人で湯気を立ててる大なべに向かっていたから、ボクは店の掃除をすることにした。
店の格子戸を開け放って、床を掃いて椅子を戻しテーブルを拭く・・昨日よりは慣れた感じだったが、毎朝これを一人で全部こなすとなると、やはり結構な重労働だろう。
おばちゃん、健康は大丈夫なのかな・・今日、暇をみて聞いてみよう、風呂の一件もあるし。
一通り、店の中が終わると、ボクは店の前を軽く掃いて、打ち水をした。
そして、昨日おばちゃんに教わった通りに、入口の両脇に盛り塩をして終了。
終わって店に入ると「さ、食べよか?!」とおばちゃんが朝ごはんを並べてくれていた。
「はい」ボクは手を洗って、椅子に座った。
「今朝の卵焼きな、うちが作ったと!」
あ、味噌汁もやけね・・と恭子がお茶を湯のみに注ぎながら言った。
「へ〜、凄いじゃん!楽しみだな」
テーブルには、卵焼きとアジの開き、お漬物に味噌汁が並んだ。
「頂きま〜す!」三人揃って食べ始めた。
「うん、美味しい!」恭子の作った白味噌の味噌汁は、美味しかった。
へへ、初めてにしちゃ、上出来やろ・・?と恭子は嬉しそうに言った。
「あ、そうだ。」パクパク食べながら、ボクは恭子に聞いた。
「ユミさん達、何時に来るの?」
「確か・・11時15分に京都着のひかりで来るっち、言っとったっちゃ」
「そうか、でも、ボチボチ忙しくなる時間だよね」
「そうやね・・アンタ、迎えに行ってくれん?」
「タワーのある方の出口っち、言うといたけね」
うん、いいよ・・・ボクは、アジの開きの小骨と格闘しながら答えた。
「この骨にくっ付いてるとこが・・美味しいんだよな・・」とブツブツ言いながら。
ノブちゃん、魚好きなんやね・・・とそんなボクを見ておばちゃんが言った。
「細かい骨のよけ方が上手やもんな、魚好きな人の食べ方やわ」と。
「そうですね、一週間、毎日肉か魚かどっちか選べって言われたら、魚・・ですかね、オレ」
「うちは、肉っちゃ!」恭子は笑いながら言った。
でもアンタ、ほんと上手やね、魚の食べ方・・と言う恭子のアジを見るとなかなか悲惨な状態だったから、ボクは笑ってしまった。
そんな楽しい朝食が終わり後片付けをして、恭子とおばちゃんはまた仕込みに戻った。
ボクは、おばちゃんに頼まれた買い物をしに、店を出た。
外は今日も暑くて、雲一つ無い青空が広がっていた。
「京都も4日目か、でも、殆ど観光してないな、オレ達」
駅前は、夏休みでしかも日曜日のせいか人出が多かった。
つい3日前まではボクらもこの観光客の中の二人だったんだよな・・それが今は、買い物籠提げて住み込みの店員さんなんだと思ったら、我ながら無計画なこの旅が今後どうなるのか、心配よりも浮き浮きしてる自分に気付いて「ま、これはこれで楽しいから、いいか!」と一人で笑ってしまった。
すれ違った若い二人が、怪訝そうにボクを見て行ったが気にはならなかった。
買い物は、結構時間がかかってしまった。
おばちゃんに聞いた市場が、店からは遠くて慣れぬ場所・・というのもあったし、ここんとこお客さんが多かったから食材も多かったしね。
だから、買い物籠には入りきらず両手に提げた三つのビニール袋がかなり重かった。
ヒーヒー言いながら店に戻ると、もう10時を過ぎていて恭子に文句を言われてしまった。
「もう・・遅いちゃ!早うせんと、仕込みが間に合わんのやけね?!」
全く、いっぱしの従業員気取りだから。
「ま〜ま、ええやんか、キョウちゃん」
「ノブちゃん、遠いとこまで重い買い物してきてくれたんやから」
おばちゃんは、冷たい麦茶をコップに入れてくれた。
「あ、有難うございます」ボクは一気に飲んだ。
「ふ〜、生き返った・・」
「だって、重いし、場所は分かんないしね」とボクは流れる汗を拭きながら、恭子に言った。
「でも、おばちゃん、これ毎日、やってるんですよね」
「当たり前やんか、私の店やからな」
「大変ですよね」
心配いらんて、もう慣れたもんや・・とおばちゃんは笑った。
「でも、ほんま助かってるで、あんたらが手伝ってくれてるさかいな」
「さ、キョウちゃん・・私らはもうひと頑張りやで?!」
「はい」
二人が奥に入った後、ボクは冷蔵庫にビールを入れたりコップを綺麗な布巾にふせたり、テーブルの上の割りばしを補充したりした。
そのうちに11時になり、おばちゃんは暖簾を出した。
「さ、今日も忙しなるやろけど、頑張ろうな!」
日曜日の店は初めてだったから、どんなもんか・・とボクは心配と期待の入り混じった感じの開店だった。
友あり遠方より来る・・
「あ〜!」
「なんや、キョウちゃん、大っきな声出して」
「アンタ・・・駅行って、えき!」
「あ・・」とボクも時計を見た。丁度、11時10分を指していた。
「そうか、お友達の着く時間やな?」
「はい、オレ、迎えに行ってもいいですか?」
そんな、いいですかなんて聞くコトないがな、お客の一人も来てへんやないの・・とおばちゃんは笑いながら言ってくれた。
「じゃ、ちょっと迎えに行って来ます」とボクは店を飛び出した。
京都駅には15分ぴったりに着いた。