ノブ ・・第1部
ボクの答え方と俯き加減に、おばちゃんは不思議そうに言った。
「なんや、ノブちゃん」
「あんまり言いたない訳でもあるんか?」
いえ、そうじゃないんですけど・・とごまかそうとしたが、結局ボクは話すことにした。
恭子にも話したコトがない、昨年の夏の理転の経緯を。
恭子と同じで、ボクにも兄貴がいるんです・・・とボクは話し始めた。
「アイツは、小学校の頃から優秀でさ、中学行っても高校行っても、殆ど学校を休んだこともなくて・・」
「おまけに、いつも成績は上位5名に入ってたようなヤツでね」
凄いっちゃね、アンタのお兄さん・・恭子が言った。
「うん、弟のオレが言うのも何だけど、性格も穏やかで責任感も強くてね、コイツに弱点なんかあるのかな・・って思ってた」
だから後を追った弟としては、結構、辛かったんだよ・・ボクは自嘲気味に言った。
「考えてごらん?」
「小中・・とね、先生達からは、あのオガワの弟かって目で、ず〜っと見られてたんだから」
「勿論、ボクもそれなりには頑張ったけど、到底、兄貴の成績は超えられなかったんだ」
アンタも、うちに比べたら優秀なんやけど・・上には上がいるっちゃんね・・と恭子が言った。
はは・・と笑って、ボクは続けた。
「そんなコトもあったからかな・・」
「中2の頃から学校が詰まんなくなってね、朝、弁当持って家を出るんだけど」
「向かう先は区立図書館だったんだ」
「もう、一日中本読んでたよ、あの頃は」
「昼にはロビーで弁当ひろげてさ、ご自由に・・のお茶もあったから」
「そのうちにね、読書の面白さに目覚めて、同時に歴史にも興味が湧いてきてね、何となくだけど将来は作家か、歴史の研究者になりたいな・・なんて思い始めたんだ」
アンタ、けっこう変わった子やったっちゃね・・・恭子が不思議なモノを見るみたいな目で僕を見て言った。
「学校は?行かんで良かったと?」
「勿論、怒られたよ、親にも担任にも」
でもね、それでも行かなかったんだ、詰らなかったから・・とボクは言った。
「いつ頃から、また行き出したんや?」おばちゃんは、真面目な顔で聞いてきた。
きっかけがあったんです・・・とボクは言った。
「例によって、学校には行かずに夕方まで図書館に籠ってて、晩飯の時間に家に帰ったんですよ」
「そしたら、担任の先生が家で待ってて」
「お前はどうして学校に来ないんだ?と聞いてきたから、詰らないからです・・・とぶっきらぼうに答えたんです」
すると担任は「毎日、図書館に行ってるらしいとお前の親御さんから聞いたが、図書館はそんなに面白いか?」と聞いてきた。
「少なくとも、学校で興味の湧かない授業を受けてるよりは面白いですと生意気なコトを言ったんですよ、ボク」
おばちゃんは、ニコニコと「あんたも、難儀な子ぉやったんやね」と言った。
「そうかもしれませんね、生意気な中学2年生」苦笑いするしか、なかったけどね。
「そして、暫く沈黙が続いて」
「先生が謝ったんですよ、ボクに」
「すまん、生徒に興味を持たせられないような授業しか出来ない教員は、教師失格だって」
後半は、涙ぐんだ声だった・・・とボクは言った。
「済まなかった、先生達の責任だってね」
「ボクは、もうビックリしちゃって」まさか、先生の口からそんな言葉が出てくるなんて思いもよらなかったですから・・・と。
「ボク、黙っちゃったんですよ、何にも言えなくて」
で、何か先生が気の毒になっちゃってね、と笑った。
「凄い先生やね、その先生・・」おばちゃんが言った。
「なかなか、出来んことやで?生徒に謝るなんてな?」
「ボクも、そう思いました」
「で、この先生は信用できるのかな?って」
先生は最後に言った。
「お前に、学校も面白いな・・って思われる様に先生達も頑張るから、もう一度、学校に出てこないか?先生にもチャンスをくれないか?って」
それからですね、また学校に行き出したのは・・とボクは言った。
「でもやっぱり、あんまり面白くなかったけど」と笑いながら。
「でもね、そうこうしているうちに、これからの自分のやりたいコトのためにはこういう勉強も必要なのかな・・と思い始めて、頑張る様になったんです」
は〜、やっぱ変わりものっちゃ、アンタは・・と恭子は口をあんぐりして言った。
「うちには、とても考えられんわ、そんな理屈・・」
「ええねんて、キョウちゃん。みんな、人それぞれやろ?」おばちゃんは優しかった。
で、それから今度は、自分の意思で兄貴と違う高校に行ったんです・・・とボクは言った。
「コンプレックスを無くしたくてね」
「なんや、いじけてたと?アンタ」
「そ、コンプレックスの塊だよ、オレなんて」
「だって、考えてみな?」
いつも自分の前には優秀な兄貴がいてさ、ずっと比べられててごらん?いじけるなって言う方が無理だろ?・・・と恭子に言った。
「でもね、文学や歴史が好きになったお陰でさ、少しは気にしなくなったんだよ、兄貴のコトも」
「オレにも、やりたいコト、目指すものが出来た。ほんの一寸だけど自分に自信みたいなものも持てたからね」
「高校に入ってからは、勉強も面白くなってきて、もう将来は文学部の史学科に行こう!って決めたんです」
それが、どうして医学部になったんや?とおばちゃんが聞いてきた。
僕は、一休みしたくてビールを手酌で飲んだ。
「いいんですか?ボクの話ばっかりで」
「ええて、今夜はノブちゃんの話、聞く積もりでいたんやさかいな」
「うちも聞きたいっちゃ、アンタが何で医学部志望に変わったんか」
恭子は、ニコニコしながらボクの目を見て言った。
正直、少し話しづらかった僕は「なんか、お腹空きません?」と言った。
実際に晩飯もまだだったからね。
おばちゃんは、そんなボクの気持ちを察してくれたのか「ええよ、食べながらにしよか」と奥に行った。
「うち、手伝ってくるっちゃ」と、恭子もおばちゃんに続いて台所に行った。
恭子とおばちゃんが戻るまでの間、ボクは、一服しながら考えていた。
恵子のコトは避けて話すべきなのか、正直に全部話すべきなのか。
また、昨夜みたいになっちゃったら・・・と自分が心配だった。
暫くして、おばちゃんと恭子が漬物と天ぷらと、大きな盥に入ったうどんを持って来てた。
「今夜は、かま上げうどんにしたで。食べてみ?!」とおばちゃんは言った。
「熱いうどんをな、汁につけて食べるんや。美味しいで!」
盥のお湯の中には真っ白なうどんが入ってて、汁が入った小鉢には薬味が浮いていた。
「うわ〜、美味しそうですね・・頂きます!」
ボクらは、早速、熱いうどんをすすって、その付け汁に天ぷらも浸けて食べた。
夏なのに、その熱いうどんは美味しかった。
天ぷらも美味しかった。
「これ、何の天ぷらですか?」
「アナゴや、美味しいやろ?」
おばちゃんは、またたく間にうどんと天ぷらを平らげつつあったボクらを微笑みながら見ていた。
「おばちゃんは?食べんと?」
恭子が聞くと「おばちゃんはええねん、夜はもっぱらコッチや」とお猪口をあおる真似をした。
「アテは、少〜し食べるけどな」