ノブ ・・第1部
ボクは、恭子の言葉にうまく答えられなかった。
「ほんまやな・・」ボクらの遣り取りを聞いていたおばちゃんが言った。
「気になるもんなんやろうね、好いた男の過去は」
私は、そうやなかったけどな・・・うちの人は多分、惚れた女は私だけやったやろしね〜!と、今度は豪快に笑った。
「そやけど、キョウちゃん、あんまり根掘り葉掘り・・・聞いたらあかんで?!」
ノブちゃんかて、今はまぁだ言いとうないコトも言えんコトもあるんやろし・・・とおばちゃんは、ボクらのコップにビールを注いでくれながら言った。
「すいません・・」
「あはは、ノブちゃんが謝るコトやないがな!」
「でもな、ノブちゃんも分かってやりや?キョウちゃんの気持ちも」
複雑なんや・・・女心は、な?キョウちゃん・・と言って、ボクらは乾杯した。
「今日も、お疲れ様」
「お疲れ様でした」
三つのグラスがカチンと鳴って、なし崩し的にボクも飲んでしまった。大丈夫なのか?オレ、昨日の今日で・・・。
でも、やっぱり冷えたビールは美味しかった。
「そやね、おばちゃん、流石良う分かっとるわ、うちの気持ち」
「そらそうや、女の端くれやさかいな、私も」
有難う、おばちゃん・・・恭子は微笑みながらコップを空けた。
「美味しいっちゃ」
「あのな、おばちゃん・・・」
「うちらがおる間、おばちゃんの料理と味付け、教えてくれん?」
「ええよ・・お安い御用や、そんなん」
何でや?そんなに気に入ってくれたんか、おばちゃんの味・・とおばちゃんは嬉しそうに言った。
「うん、美味しい」
「うちな、イタリアの料理は一時、凝ったっちゃ」
「そやけパスタやらリゾットは自信あるっちゃけど、出汁とか薬味やらは、いっちょん分からんけね」
おばちゃんのうどんの出汁と、おばんざいは覚えたいっちゃ・・と、恭子はおばちゃんにビールを注ぎながら言った。
「ここで、おばちゃんの手伝いしながらでも出来るっちゃろか、うちに」
「あはは、簡単なもんやで、キョウちゃん」
「おばちゃんの料理は、難しいコトは、いっこもあらへん」
「ただ、お客さんに食べて貰うものやからな、丁寧に心込めて作ったらええんや」
「うちの人も言うとったわ、最後の調味料は真心や・・ってな」
ええ言葉やね、それ・・・と恭子が言った。
「うん、いいね」
「料理人って、いいお仕事ですね」
あはは、有難うな・・・とおばちゃんは嬉しそうに言った。
「うちの人、よう言うててん。ご馳走さん、美味しかったで!って言葉聞くと、疲れなんか吹っ飛んでしまいよる・・ってな」
おばちゃんはテーブルに肘をついて、遠い目をして微笑んだ。
「あ、そうや」
「あんたら、学生なんは知ってるけど何の勉強してはんの?」
「うちら、医学部なんよ」
「え〜、医学部言うたら・・・お医者になる学校の学生さんなんか、あんたら!」
「人は見かけに寄らんもんやね」とビックリした様子で、ボクらをマジマジと見た。
「なんね?そこまで驚かんでもいいやんね、おばちゃん」
「おかしいと?うちら」
おばちゃんは笑いながら「あはは、ごめんな、キョウちゃん・・」
「ノブちゃんはそない言われたら、そうかな思うけど、あんたは」と、また笑った。
「ひどか、うち傷付くけね」と恭子も笑いながら頬を膨らませた。
「ちがうんよ、キョウちゃん」おばちゃんは、まだ笑っていた。
「私の中のお医者のイメージはな」
「白衣着てメガネかけて、こう眉間に皺寄せて・・」
「真面目くさって、カルテ言うの?あれに小難しいコト書いてるイメージやねん」
「それが、あんたとどう繋がる思う?」
「もう、笑い過ぎやけね」恭子も、笑うしかなかった。
あはは、ゴメンな・・とおばちゃんはやっと笑い終えてボクらに言った。
「素晴らしい仕事やないの、お医者さんも」
「大丈夫、おばちゃん、笑ったけど・・あんたらなら、いいお医者になる思うわ」
もう、笑われたり褒められたり・・どっちでもいいっちゃ・・と恭子は手酌でビールを注いだ。
「怒らんでな?キョウちゃん」
「ビックリしただけやさかい」
でも、あんたの白衣姿も、きっと似合うんやろね・・と今度は優しい目で、恭子を眺めた。
「そうっちゃ、色っぽい女医さんになる予定なんやけね!」と恭子が言ったもんだから・・おばちゃんは「別に色気は必要ないんちゃうか?」と、また笑った。
医学生
「医学部か・・・大変なんやろね、あんたらも」
「で、今何回生やの?」
「あ、まだ一年生なんです、ボクら」
なんや、まだお医者の卵にもなってへんのやな?・・とおばちゃんは言った。
「はい、まだまだ・・です」ボクも苦笑いするしかなかった。
「でも、何年かかるんや?一人前のお医者になるまで」
そうやね、医学部は卒業するまで6年かかるけね・・・一人前やと、10年以上先の話っちゃ・・と恭子は手酌しながら言った。
「はぁ〜、大変なもんやね、そないに勉強せなあかんのか」
「ま、人の体を扱うんやから、たっぷり勉強してもらわんと恐ろしいわな!」とおばちゃんは笑った。
「へへ、勉強は得意なんやけ・・任しといて?おばちゃん!」
「う〜ん、あんたは、そう得意そうに見えんから心配するんやないの」と恭子を見た。
「ひどいっちゃ・・」と恨めしげに、恭子はおばちゃんにビールを注いだ。
「うち、こう見えても、いざっちゅう時は、やるんやけね?!」
あはは、分かってるがな、キョウちゃん。あんた、からかうとおもろいさかいな、つい・・とおばちゃんは笑った。
ボクも「大丈夫だと思いますよ」
「二年も浪人した位の勉強家ですから、恭子は」と言って笑った。
なんね、二人とも・・と恭子は頬っぺたを膨らませて、それでもビールをグ〜っと空けた。
「ま、確かに先輩の話し聞くとな、簡単には、いきそうもないけんね」
「うちも頑張るっちゃ、な?アンタ!」
うん、取り敢えず、留年しないようにしないとね・・とボクも真面目な顔で言った。
で、何でなん?お医者さんになろう思うたんは・・・とおばちゃんはボクらに聞いてきた。
恭子が言った。
「うちは家が医者で、兄貴が遊び呆けて医学部に入れんかったけね」
「そやけ、お前が後を継げ、言われたっちゃ」
でもな、浪人してまで、なる必要があるっちゃろうか・・って悩んだコトもあったとよ・・・と珍しくしおらしい顔で言った。
「でもな、おばちゃん」
「うち、勉強やりよるうちに思ったと」
「そりゃ、勉強は辛かけど、頑張って知識と技術を身につけたら・・・自分でも困ってる人の手助け出来るっちゃなかろうかってな」
おばちゃんは恭子の話をニコニコと聞いていた。
「そやけ、決めたっちゃ。家の事情はさて置き、自分でいい医者になってみようって」
「うん、そう思うわ、おばちゃんも」
「そう思てるキョウちゃんは、きっといいお医者さんになれるで!」
えへへ、おばちゃんにそう言われると嬉しいっちゃ・・と恭子は、はにかんだ。
「で、ノブちゃんは?」今度はボクだった。
「ボクは・・」
「色々あって、医者になろうと決めたのは去年の夏なんです」