ノブ ・・第1部
ウエイトレスがお水を置きながら言った。
「さっきはパニックだったのよ?!オーダー取ってお水出して・・私一人だから、もう、てんてこ舞い」
一通り注文出し終えたから、今は一段落ってとこ?と彼女は笑いながら灰皿を置いてくれた。
ボクはセブンスターに火をつけて一服した。
最近、覚えた煙草だったけど、こんな気分の時には有難かった。
「はい、マンデリン」
ミントンのカップに、七分目までの濃いコーヒー。
一口飲んで、ホっとした。
やっぱ、コーヒーはブラックでしょ。
「どうしたの?何か、疲れてるみたい」
「え、大丈夫、元気だから。ただ何となく、しんどい時ってあるよね」
最近ボクは、このウエイトレスと気軽に話す様になっていた。
彼女の気さくな雰囲気がそうさせたのか、あるいは恵子に近いであろう彼女の年のせいか。
「キミは、何年生だっけ?」
「一年生」
「そう、落ち着いてるよね。毎年J大の子は沢山来るけど、一年生って見てすぐに分かるのよ」
「初々しいって、いうのかな・・子供っぽいっていうか」
あ、キミが特別に老けて見えるってコトじゃないのよ?と慌てて取り繕いながら彼女は笑った。
「いいよ、落ち着いてても老けて見えても別に」
ボクも苦笑するしかない。そんな風に見えるんだってだけのことだから。
コーヒーを飲んで、一息ついた頃に彼女が言った。
「ね、キミ、彼女とかいるの?」
「いないよ」
「今日は何時まで?授業」
「え、どうして?」
もし良かったら、ご飯でも食べに行かない?と彼女は耳打ちして、「は〜い、今伺います!」と呼ばれた奥のテーブル席に行ってしまった。
「・・・・」
キツネにつままれた様に、ポカンとしてたボクの横に戻ってきた彼女は、「私、今日遅番だから6時上がりなの。もし暇だったら、6時にお店の前で・・・ね?!」
と言い残して、またお盆を抱えて奥のテーブル席に行った。
「これって、デートの誘いか?」
「タナカさ〜ん、休憩入ってね!」
「ハ〜イ!」
マスターに呼ばれて戻った彼女は、「じゃね!」と小さく手を振ってカウンターの横から店の奥に消えた。
「・・・・」困った、断る暇を与えられなかったな。
取り敢えずコーヒーを飲み終えたボクは、清算してレモンを出た。
「タナカさん・・か」どうしたんだろ、オレ。
昨日からやけに女の子に声かけられてる。そんなに変か?そんなに心配なのか?オレは。
自分では、恙無く勉強して進級して医者になって、それだけに一生懸命でいたいのに。
「今日は学校はやめた。帰ろう」ボクは明大の裏道を通って、途中のマックで昼飯を買ってアパートに戻った。
アパートの部屋はムシムシして暑かった。
クーラーのスイッチをいれて、窓を開け放った。そうやって一度、部屋に籠った空気を出さないと、このクーラーおんぼろだから一向に冷えなかったのだ。
マックのアイスコーヒーの氷はあらかた溶けていたが、かろうじて冷たかった。
フィレオを頬張りながら考えた、でも、良く分からん。
「いいや、どうでも」
マックを食べ終わったボクは、窓を閉めて、涼しくなり始めた部屋のベッドに横になった。
聖橋口界隈
少しベッドに横になるだけの積もりが、起きて気が付いたら5時半近かった。
部屋の中は、クーラーがタイマーで消えたせいでムンムンしていた。
ボクはシャワーを浴びた。さっぱりしたところで時計を見ると、5時45分。
「仕方ないな・・」
ボクは新しいTシャツを着て、家を出た。
外はまだ十分に明るくて暑くて、レモンまでの坂道でたっぷりの汗が出た。
レモンに着いたのは6時ちょっと過ぎだった。
彼女は待っていた。
ボクを見つけて手を振った。
水色のノースリーブのワンピースに、白いサンダル。
もう、夏なんだな。
「来てくれたのね、有難う!」
「だって、行く行かないの返事なんてする暇なかったでしょ?」
「そうだったね、悪いわるい」
そう言いながら、少しも悪びれた様子は見られなかった。
「さ、行こ?!」
さっさとボクの前を歩きだした彼女に、言い出しかけてた一言が言えなくなった。
ボクは少し後ろを歩きながら、聞いた。
「何で、誘ったの?」
「う〜ん、一人で飲むのがイヤだったから、かな?」
「あとはね、キミと飲んだら、どんなかな?なんて思って」
彼女のペースだな、とは思ったが仕方ない。
「どこら辺に行く積もり?オレ、そっちの方は」
彼女は駅に沿って、聖橋の方に歩いた。
「ちょっと行ったとこにね、美味しい焼き鳥屋さんがあるの。そこ!」
「あ、鳥、ダメ?」
「ううん、鳥は平気だけど」
そっちには思い出がたくさんあるから、行きたくないんだ・・とは言えなかった。
茶蕃館の二軒隣の焼き鳥屋だった。大きく「炭火焼鳥」と書いてあった。
「ここ!」
彼女が振り返って、微笑んだ。
「いらっしゃいませ〜!」店は時間が早かったせいか、まだ空いていた。
ボクらは店の壁際のテーブルに座った。
「生でいいよね?!」
「うん、いいよ」
中生二つね!と彼女が元気な声で注文した。
ボクは、店内を見渡した。
「久しぶりだな、変わってないや」
「え?ここ来た事あるの?」
うん、前にね、ちょっと・・・ボクは言葉を濁した。
「何だ、来たことあるんだ。でも美味しいよね、ここ!」
「うん、美味しい」
「おまちどーさん!」
ドン!と生が二つ、テーブルに運ばれてきて、ボクらは乾杯した。
「く〜、美味しい!仕事の後のビールは格別だね!」
「そうだね」
確かに汗かいて来たからビールは美味しかったが、今一つ、気持ちがスッキリしない・・何でオレは、ここにいるんだ?
「何で、君を誘ったか知りたい?」
「うん、何で?」
「君ってね、雰囲気違うのよ、他の子と」
「何て言うのかな・・・影があるって訳じゃないんだけど、どこか一人って雰囲気なのかな」
あ、全然違ってたらゴメンね?!と彼女は笑いながらジョッキを傾けた。
「学校の同級生にも言われたよ」
「何でいつも一人なの?って」
そうなんだ、やっぱり・・・と彼女はボクの目を見て言った。
「女の子でしょ、聞いたの」
「うん、そうだけど」
「多分ね、その聞いた子も私も、似たような印象を持ったんじゃないのかな、君に」
「ひょっとして、人嫌い?あ、そうでもないか。来てくれたもんね」
「人嫌いだったら、私の誘いなんか無視して・・来なかったよね?!」
そうなのかな・・オレってどっちなんだろう、本当のところ。
でも、どうでもいいかな。
「どうでもいいじゃん、そんなの」
「多分、だけど」
彼女はビールを飲んで、続けた。
「何かあったんでしょ、学校で。ひょっとして最近、彼女に振られたとか?」
ボクも一口飲んで言った。
「別に何にもないよ、学校は。普通だよ」
「じゃ、お家で何かあった?それとも・・・」
段々苛々してきた。どうでもいいじゃないか、ボクの事なんか!
暫く、黙って聞いてたけど苛々はつのっていった。
「どう思っても勝手だけどさ、あんまり詮索するんなら、帰るよ、オレ」
一瞬、彼女の目が固まった。