ノブ ・・第1部
「お布団は・・ここ」おばちゃんは襖を開けた。
「眠うなったら、勝手に敷いてええからね」
「あとで、枕カバーと敷布、持って来たげるわ」
「すみません、ほんとに色々・・」
ええんよ、気にせんで?さて、今度はこっちや・・とおばちゃんは部屋を出て、ボクらを呼んだ。
廊下の先は直角に左に曲がっていて、少し行くと「ここがトイレと洗面所やわ。」電気はここ、あとは、お風呂や・・・と言いながら、その先にあった階段を下りた。
「へ〜、階段が二か所なんですね・・」とボクが言うと、当時は色々とうるさかったんや、役所がな・・・と言った。
一階に下りると、右手に勝手口があり、正面には浴室と書いた大きなすりガラスの扉があった。
廊下を左側に行けば、どうやら台所に続いているらしかった。
「・・・お風呂、大きいから気持ちええで?」
「少し、待っててな?お湯、溜めたげるさかい」とおばちゃんは言った。
「おばちゃん、うちらタオルとか石鹸とか、何も持って来てないっちゃ」
「何言うてんの、そんなもん、売るほどあるっちゅうねん!」と笑って、おばちゃん、こう見えても新しもん好きやから、シャンプーもリンスも流行りもの使うてるさかい、それで良かったら好きに使うてええで・・と言ってくれた。
「さ、お湯、溜めるさかい、あんたら店で待っとって」
「あ、手伝いますよ、オレ」
ええんよ、部屋でゴロっとしててもええで?・・とおばちゃんは浴室に入って行った。
「どうする?」
「そうやね、取り敢えず、片付けするっちゃ!」
ボクらは店に戻って、徳利やらお猪口やらを下げて台所に行った。
ボクが洗おうとすると、恭子が「うち、やるけ・・あんたは休んどって?」と言った。
じゃ、上で布団敷いとくよ・・とボクは二階に上がった。
大分飲んだから、酔ってたんだろう、ちょっとよろよろしながら・・・。
電気を点けて、部屋の壁のクーラーのスイッチを入れた。
静かにウイ〜ンと唸りだしたが、ボクの家のオンオロよりは、よっぽど上等だった。
襖を開けて、敷布団を取り敢えず一枚だけ敷いた。
「今夜は、さすがに無しだよな・・」独り言を言いながら。
シーツがなかったから、タオルケットはたたんだままで横に置いた。
そして、床の間にあったスタンドを枕元まで引っ張ってきて、スイッチを入れてみた。
一つの布団、枕元には、電気スタンド。
「あ、同じだ」ボクは突然去年の恵子との夜を思い出した。
「・・・・あれも夏だったよな」
暫くボクは座り込んで、思い出していた。
色々な事を。
懐かしいのと切ないのとがごっちゃになって・・・また、おばちゃんの話しも一緒になって、気付いたらボクは泣いていた。
トントン・・と恭子が階段を上がって来て、布団の上で膝小僧を抱えて泣いているボクを見つけた。
「どうしたと?」
「・・ゴメン、オレ、酔っちゃったみたい」
「色んなコト、思い出しちゃってさ」
「それに、ここ・・おばちゃん達夫婦の・・」とそこまで言った時、恭子が静かに抱きしめてくれた。
「いいっちゃ、泣いて」
「まだ半年も経ってないんやけ、ムリないっちゃ・・」
うちな、アンタが泣いても構わんの・・うちがおる時はこうしててあげるけん・・と胸に抱いてくれた。
「うちな、笑ってるアンタが好き、言うたけど、泣いてるアンタも嫌いじゃなかとよ」
そうやけ、泣きたくなったら、うちの胸で泣いてな?と言った。
しかしボクは、泣き止む事が出来なかった。
頭の中には、次から次に恵子の思い出が浮かんできて・・声、笑顔、手のぬくもり・・・なぜ今ボクはここにいるのか、何をしているのかさえ分からなくなっていた。
こんな事は、彼女が亡くなってから初めてだったかもしれない。
飲み過ぎた酒のせいか、おばちゃんの話しのせいか、また、抱きしめてくれた恭子の優しさのためか。
でも、一旦、切れてしまった堰に感情の奔流を押しとどめる事は、もう不可能だった。
ボクは泣いた。
恵子が・・突然いなくなったあの日に、時間は完全に戻ってしまっていた。
言葉を発していたら、きっと子供の様にしゃくりあげて何を言ってるのかさえ分からなかっただろう。
いつの間にか、おばちゃんがシーツと枕カバーを抱えて、恭子の横でボクらを眺めていた。
「ノブちゃん・・せっかくやから、うんと泣いたらええ」
「きっとな、今まであんた自身も気づかんうちに我慢してたんやろね・・悲しい気持ちに蓋してな」
その蓋が開いてしもうたんやね・・・ええねん、泣きたいだけ泣かしといたり・・・と恭子に持って来たものを渡して、おばちゃんは出て行った。
「いいけ、もう、横になり?」恭子はシーツを敷いてくれて、ボクに言った。
「アンタ、我慢しとったっちゃろ・・泣きたい気持ち」
「無理ないっちゃ」
「気分は?悪うない?」
恭子がかけてくれた優しい言葉にさえ答える事が出来ずに、ボクは横になった。
頭の中がグルグル回ってて、何も考えられなかった。
「ゴメン・・」としか言えなかった。
「うち、せっかくおばちゃんが沸かしてくれたけ・・お風呂入ってくるっちゃ」
恭子は電気を消して出て行った。
暫くの間、暗い部屋で一人になって、ボクは考えた。なんでどうして・・・。
今まで何度もなんども、繰り返してきた問いだった。
答えなんか、見つかるワケはないのに。
自分では、そろそろ大丈夫なんじゃないか?と思ってたが、ちっとも大丈夫じゃなかった・・それが、悲しかった。
そして、恭子にも申し訳ない気持ちで一杯になった。
「あんなに想ってくれてるのに、オレはまだ、恵子のコトが忘れられずにいる」
それでもいい・・・と言う恭子の優しさが、また切なくて悲しくて・・・。
そのまま眠ってしまったんだろう・・翌朝、ボクは気持ち悪さで目が覚めた。
起き上って、こみ上げてくる吐き気に耐えられず、二階の廊下をよろけながらトイレに駆け込んで胃の中のモノを全部吐いた。
吐いた後、気分の悪さも少しは落ち着いたので、洗面所で顔を洗った。
見ると、コップには一本の歯ブラシが立ててあり、その横に袋に入った新品が置いてあった。
ボクは歯を磨いた。途中、また吐きそうになったが、さっきよりは随分楽にはなっていた。
「ふ〜、参ったな・・」
部屋に戻ると、丁度、恭子が布団をたたんでいるところだった。
「おはよ・・どうね、気分は?」
「うん、トイレで吐いて、歯磨きしたら少しスッキリしたよ」
「でも、これが二日酔いってヤツなのかな・・頭、ズキズキする」
あはは、アンタも酒飲みらしいこと言うっちゃんね・・と笑った。
「ゴメンな、オレ泣いたよね・・・確か」
「うん、ワンワン泣いとった、色々と思い出してしもたっちゃろ?」
「あんまり覚えてないんだけど・・恵子のコトで泣いた気がする」
「うん、そう言っとった。でも仕方なかろ?」
まだ、一年どころか半年も経ってないっちゃけ・・と言ってくれたが、なぜか恭子は目を合わせなかった。
「さ、うちはおばちゃんを手伝うけ・・あんた、どうする?」
「もう少し、ゴロっと休んどく?ここで。クーラーついてて涼しいけね」
うん・・・もう少し、ここにいるよ・・とボクは言った。