ノブ ・・第1部
美味しかった、焼き魚もお煮しめも。
味噌汁は、ボクには初めての白みそだったが、甘いのに出汁が効いてて・・・ちょっとした感動だった。
焼き魚は鯖だった。
元々、鯖の味噌煮は大好きだったが、こんな塩焼きで食べたのは初めてだったから、これにも驚いたのだ、美味しくて。
「すごい、うまいです!」
「うん、おばちゃん、さすが料亭の娘やね」
恭子もモリモリ食べた。
「あんたら、飲みっぷりもええけど食べっぷりもええな・・見てて気持ちええわ」
おばちゃんはニコニコしながら、夢中で食べるボクらを見ていた。
おばちゃんは「ほな、私も・・」と立ち上がって、格子戸を開けて、暖簾を仕舞い込んだ。
そして、ガラガラ・・と戸を締めて、鍵をかけた。
「あれ?もう店じまいなんですか?」とボクが聞くと、「今日は思ったよりも混んだし、もうええわ」
「それに、あんたらも来てくれたさかいな」
「うちら、商売の邪魔してしもたん?」
「いいんや、たまには早仕舞しても」
「それに今夜は、長っちりの客はお断りや」
おばちゃんは奥に一旦引っ込んで、お盆に燗酒を載せて出てきた。
「あ、おばちゃん、飲むんやね?」
「あんたらに付きおうて飲もう、思うてな」
ええで、おばちゃんの事は気にせんで、たくさんお上がり?とおばちゃんは手酌でちびちび始めた。
恭子は食べながら「あれも、美味しそうやね」と言ったもんだから、おばちゃんは「なんや、あんた、お酒もいけるんか?」と聞いた。
はい、うち、何でも好きやけ・・嬉しそうに恭子が答えた。
「ははは、ええな、おねえちゃん・・そや、名前は?何て言うの?」
「恭子です、うやうやしいっちゅう字です」
「うやうやしい、で恭子ちゃんか・・ええ名前やね。で、にいちゃんは?」
「伸幸です、伸びる幸せって書きます」
こっちもええな、ノブ君にキョウちゃんか・・・とおばちゃんはボクらを眺めながら微笑んだ。
結局、ボクはご飯を二膳、恭子も一膳、お代わりをして晩飯を終えた。
「ご馳走様でした。」
「ふ〜、ご馳走さま、お腹一杯っちゃ」
どや、美味しかったか?とおばちゃんは聞いた。
「はい、とても!」
喜んで貰えたら、おばちゃんもうれしいで・・とおばちゃんは盃を重ねながら言った。
「あんたらも、一緒にどうや?」
「はい、頂きますっちゃ、でも、その前に・・・」
恭子はボクらの食べた食器を奥に運んで、さっさと洗いだした。
ええて、そんなもん後で・・とおばちゃんは恭子に声をかけたが、恭子は「すぐに済ますけね、待っとって、おばちゃん」
「ええ子やな、あの子・・」おばちゃんは奥に目をやりながらボクに言った。
「・・はい、年上なんですよ、彼女」
「いくつ?」
「ボクが18で、彼女は20です」
「そうなんや・・ええやん、年上の女房は金の草鞋を履かせてでも貰え・・言うしな?!」
「え、そうなんですか?」
なんや、知らんのかいな・・全く今どきの子ぉは・・とおばちゃんはボクに盃を渡して酒を注いだ。
はい、頂きます・・とボクは盃を受けた。
「あ、そうだ、おばさん、聞きたいことがあるんですけど・・」
「ん?なんや?」
アゲマンって何ですか?とボクは聞いた。
「あげ万?」
「はい、アゲマン・・前に言われたんですよ、見ず知らずのおじさんに」
「あの子はアゲマンだから、兄ちゃん、大事にしろよ?!って」
なんのコトなんでしょうかね・・とボクが言い終わらないうちに、おばちゃんは大爆笑した。
「あはは、そないなコトいわれたんか、あの子・・」
「はい・・」
見ず知らずのおっちゃんにか?とおばちゃんは重ねて聞いた。
「はい、初対面って言うか、蕎麦屋で相席になっただけ・・なんですけどね」
なるほどな、見る目あるんかもしれんな、そのおっちゃん・・おばちゃんはまた、奥を見ながら言った。
「ほな・・・あの子が帰ったら教えたるわ、待っときや?!」
「ほれ、もう一杯」
あ、はい・・とボクも盃を重ねた。
暫くして、恭子が戻って来た。
「おばちゃん、器・・水切りの上に重ねといたけど、ええ?」
「ありがとうね、キョウちゃん。ま、こっち来て座りぃな」
は〜い、さあ、飲むっちゃ・・と恭子は二つ、猪口を持って来ていた。
えへへと嬉しそうに。
改めて、ボクらは乾杯した。
「さ、キョウちゃんも戻ったし、にいちゃん・・いや、ノブ君の疑問に答えようか?」
なんね?おばちゃんに、何聞いたん?と恭子は身を乗り出してきた。
「キョウちゃん、あんた、上げ万なんやて?」
「あ、そうっちゃ、うち言われたとよ、半纏着た渋いおっちゃんに。」
半纏言うたら・・職人さんか?とおばちゃんは聞いた。
「・・多分、そうやと思う。昼間っから、味噌を肴にお酒飲んどったもん・・ね?!」
「うん、鳶とか、大工さんの棟梁みたいな雰囲気だったね」
「そうやろな、職人はかつぐからな、色々」
え、関係あるん?アゲマンに・・と恭子はおばちゃんに言った。
「あんな、キョウちゃん、上げ万言うのはな・・」
「付き合う事で、相手・・つまり男やね、そいつの運気を上げるっちゅうか、出世させるタイプの女のコトを言うんや」
運気を上げる、上げ潮にのせる女のコトや・・とおばちゃんは言った。
「そうなんか、でも、おばちゃん、アゲは分かるけど、後のマンはなんやの?」
「そりゃ、あんた・・女やったら誰でも持ってるやろ、一個言うか一穴」
「・・あ!」
パ〜っと赤くなった恭子の顔がおかしかったのか、おばちゃんはまた、爆笑した。
「それや、それ!あんたも持ってるやろ?」
「逆にな、付き合う事で、相手の男を下げてまう女もいてるわけや」
それは、下げ万言うんや・・とおばちゃんは笑いながら言った。
「あんた、褒められたんやで?光栄に思っといたら、ええねん。」
ボクは、この遣り取りを聞いてて可笑しくておかしくて・・クツクツ笑ってしまった。
だって、実際に恭子は、ボクを元気にしてくれてたんだからね。
って事は、ボクは上げ潮に乗っかったってコトなのか?
笑ってたボクを見て「もう、アンタは笑い過ぎやけ・・」と恭子も笑いながら言った。
おばちゃんは盃をグイっと空けて・・「ノブ君も、思い当たる節があるんとちゃうか?」とボクを見た。
「はい、恭子には、色々と助けられたって言うか、救われたって感じですから」と言った。
そうなんやろうね、アンタら、ぴったり似合うとるで・・とおばちゃんは恭子にも注いだ。
一頻り、みんなで笑った後、恭子が言った。
「もう、うちのコトはいいけ、おばちゃんの続き、聞きたいっちゃ」
そうか、どこまで話したかいな・・とおばちゃんは言った。
「縁談・・のとこでした」
そやったね・・とおばちゃんは、その後を話し出した。
「我慢出来んかったんや、私は」
「でな、両親のいてないところで聞いたんや、彼に」
「あんたは平気なんか?って」
「仕方ないです、身分が違いますから・・なんて言いよってな」
それで?と恭子が聞いた。
「消えた・・暫くして」
「置手紙にはな、料亭の再興を祈念してます・・みたいな洒落たコトが書いてあったわ」