ノブ ・・第1部
「ふ〜、良かった、落ちたっちゃ。」
「血、凄かったの?」
「うん、まだ三日目やから多いっちゃ」
それに、そのままやったらきっと気分悪いやん、お掃除の人・・と恭子はバスタオルを、うんうん唸りながら絞った。
「どれ、貸してみ?!」
ボクはバスタオルを力一杯絞った。
結構な量の水が滴り落ちた。
広げてみたら、ボクにはどこに血が点いていたのか分からなかったから、いいんじゃないか、こんなもんで・・と恭子に渡した。
「有難う、さすが男やね・・」
「うちやったら、こんなに絞れんもん」
ボクと入れ違いに恭子がバスタブに入ってきて、シャワーを使った。
「恭子が始まって、三日目か・・・」シャワーを終えたボクは、裸のままでベッドに横になって考えた。
お誕生会の後、ボクの部屋・・・翌日は江の島で、その後恭子の部屋。
その翌日は遅く起きて、蕎麦屋に行って昼酒飲んでユミさんの悩み相談室。
そのまま、ノリで夜行に乗って、今日は京都。
月曜から木曜まで、寝床を点々としてたことに今更ながら気づいて笑ってしまった。
「まるで、流浪の民だな」
「なん、笑っとると?」恭子がバスルームから出て来て言った。
「だってさ、オレ達、今週は毎晩、違うとこで寝てるんだよ?」
「おれ、こんなの初めてだからさ、何か面白くてね」
そう言えば、そうっちゃね・・と恭子も指を折りながら神妙な顔をした。
「でも、楽しかろ?旅してるみたいで・・な?」と次の瞬間には、明るく微笑みかけてきた。
「ほんと、そうだね、オレ達」
「恭子と付き合いだしてから、ずっと旅してる気分だよ、オレ」
恭子は抱きついてきて小さな声で言った。
「な、ずっと一緒におって、イヤになっとらん?」
「うち、我儘で飲み助やけ・・」
ボクは、そんな恭子を抱きしめて言った。
「知り合えて、好きになって本当に良かったって思ってる」
「第一、退屈する暇なんか無いもんな、恭子といるとさ」
有難う、うちも嬉しい・・恭子は言った。
ボクは恭子の顔を見ながら続けた。
「それにね、オレ、自分で驚いてるんだけどさ」
「恭子と付き合いだしてから、今週は楽しくて笑いっぱなしだもんね、オレ」
「こんなオレのコト、好きになってくれて有難うな、恭子」
ボクのこの言葉を聞いた恭子は、突然ボクの胸に顔をつけて泣きだした。
「どうした?何かオレ、気に障るコト言ったか?」
恭子は胸で首を振った。
そして、泣きながら言った。
「・・うちな、うち」
「アンタに笑って欲しくて、元気になって欲しくて・・・好きになって欲しくて頑張ったとよ。うちなりに」
しゃくりあげながら恭子は続けた。
自分なりに考えて、ボクをどうしたら笑わせられるのか、楽しくさせられるのか・・・考えていたのだと。
「それにな、知れば知るほど、アンタが好きになってしもてな」
「一緒にいて、うちも楽しくて仕方なくなったっちゃ」
恭子は涙でくしゃくしゃの顔を上げて、微笑んだ。
「アンタが好き。もう、うち、これだけは誰にも負けんと思う」
ボクも泣けてきた。
「有難う、恭子」としか言えなかった。
変やね、うちら・・笑ったり泣いたりや、えへへ・・と恭子は言った。
そして「さ、一寝入りしとかんと。今夜はおばちゃんの半生記の後半戦やからね、長いけね、きっと」と言ってベッドに入った。
うん、そうだな・・とボクも涙を拭って恭子の隣に入った。
ボクらはベッドの中で手を繋いで寝た。
ボクらが遅い昼寝から覚めたのは、もう6時を過ぎていた。
「う〜ん、良く寝たっちゃ・・」
「うん、なんか、まだボ〜っとしてるよ、オレ」
さ、そろそろ顔洗って・・と恭子はベッドを出て、バスルームに行った。
ボクはまだスッキリしない頭でセブンスターに火を点けた。
「ふ〜、今は・・夕方なんだよな」
カーテンを開けるとまだ外は明るかったが、太陽の光は大分傾いていた。
なんか、時間の感覚が随分狂っていた。
一日が中途半端に終わったみたいで、勿体ないような得したような・・変な気分だった。
煙草を消して、ボクもバスルームに入った。
恭子は鏡を見ながら歯を磨いていたが、ボクを見ると歯磨き粉の付いた歯ブラシを渡してくれた。
「ん・・」
「・・・サンキュ」
グ〜・・「あ!」ボクの腹が鳴った。
ガラガラ・・とうがいを済ませた恭子が言った。
「うちも、空いたっちゃ」
「うどん、一杯やったけね」
うん・・ボクらは洗面を済ませて着替えた。
「さて行こか?」
「うん」
ホテルを出て、残照の街中をおばちゃんのうどん屋に向かった。
「まだまだ暑いっちゃんね、この時間でも」
そう言いながらも、恭子の足取りは軽かった。
「こんちは!」おばちゃんの店の格子戸を開けると、中には数人のお客さんがいた。
「お、来たな。少し待っとってな」
「いいっちゃ、構わんで、おばちゃん」
勝手にやってるけ・・・と恭子は勝手知ったる、という感じで冷蔵庫からビールを出してきた。
「さ、目覚めの一杯っちゃ!」
嬉しそうに恭子は、ボクと自分のグラスにビールを満たした。
乾杯・・・とボクらはコップを空けた。
おいしか〜!恭子は嬉しそうに破顔して言った。
「なんかさ、いい?」
「なん?」
「オレ、恭子と一緒にいると、酒が強くなっちゃいそうな気がする」
「あはは、そうなん?」
でもな・・無理せんで良かとよ、うちに合わせて飲んでアル中になられても困るっちゃけ・・と笑った。
おばちゃん
お客さんは3人、みんなそれぞれ勝手に食べていた。
ボクらはビールを飲みながら明日の予定を話した。
「明日こそは行きたいっちゃね、広隆寺にも・・」
「うん、恭子が惚れた菩薩さん?見てみたいな、オレも」
「いかんよ、菩薩さんなんて気軽に言うやら!弥勒菩薩・・ってちゃんと言わな・・」
「はい、以後、気を付けまっす」
ボクは、弥勒菩薩にこんなに入れ込んでる恭子が可愛かった。
で、太秦って、どうやって行くの?と聞くと、案の定「・・知らん」との答えだった。
仕方ない、明日は駅のバスターミナルで調べなきゃ。
「大丈夫、道は繋がってるけね」
「そうだな」
そうこうしているうちに、一人、また一人とお客さんがお勘定を済ませて、出て行った。
「まいど、おおきに・・」おばちゃんは声をかけて、テーブルを拭きながら言った。
「待たせてしもたね・・今、あんたらの晩ご飯、持ってくるさかいな」
「あ、うち、手伝うっちゃ・・」恭子は席を立って、おばちゃんの後に続いて奥に行った。
奥からは、おばちゃんと恭子の会話と笑い声が聞こえてきた。
「・・へ〜、珍しいっちゃ・・」とか「何や、あんた知らんの?」
「ほれ、魚、焼けてるで・・」等と。
ボクは一人でビールを飲みながら、すこし不思議な気分で聞いていた。
まるで、親戚の家に遊びに来たみたいだな・・と思ったり。
少しして「・・悪いな、手伝うてもろて」
「いえいえ、自分のご飯やけ・・」
おばちゃんと恭子はお盆からご飯、味噌汁、焼き魚に漬物と、野菜の煮しめを並べた。
「さ、お上がり・・普通のおばんざいやけど」
「はい、頂きま〜す!」