ノブ ・・第1部
「そんなら、余計なお金は遣わんコトや。お寺さん見て回るだけでも結構かかるで?バス代も拝観料もバカにならんし」
そうだね、とボクらが言うと、おばちゃんは「そうやろ、せやからご飯位は安うに食べさしてあげるさかい、食べにお出で?!」と言ってくれたのだ。
「有難うございます!」とボクらは言った。
「それに、おねえちゃんの飲み代もかかるんと違うか?・・な?!」おばちゃんは恭子を見て、カカと笑った。
恭子、ほら・・とボクは恭子におばちゃんのコップが空になってるコトを伝えた。
「あ、おばちゃん、どうぞ」
「あれ、嬉しいな・・おおきに!」
おばちゃんは、また一気に空けた。こりゃ相当、強いぞ?
そんなおばちゃんを見て、恭子が聞いた。
「あの・・聞いてもいいですか?」
「ん?なんや?」
「おばちゃんの言葉、京都の言葉やないような気がするっちゃけど?」
「よう分かったな、あんた・・賢いで!」
「私はな、若い頃に博多を出てからずっと大阪やったんや」とおばちゃんは言った。
「京都に来たんは・・・そうやね、13年位前か」
おばちゃんは、少し遠い目をして言った。
「おばちゃん、若い頃、綺麗やったんやろな・・きっと色々あったっちゃろね」と恭子はボクに耳打ちした。
「うん、そうかも。結構、品あるもんな・・・」とボク。
「なんや、あんたら・・おばさんの昔語りでも聞きたいんか?」
「はい、おばちゃん、話してくれるん?」
あはは、ええけど長うなるで?とおばちゃんは笑いながら、三本目のビールを持って来た。
・・・おばちゃん
おばちゃんは、話し出した。
「私の生まれはな、大正や」
「博多の結構大きな料亭の一人娘やった・・・」
グイっとコップを空けて続けた。
小さい頃から、乳母日傘で贅沢三昧に育ち、我が儘な娘やった、とおばちゃんは言った。
「そんな私がな、ある日、女学校の頃や・・恋したんや」
「へ〜、誰にですか?」
「うちの板さん」
「板さんって言うと・・板前さん?」
「そ、うちで働く大勢の包丁人の中の一人やった」
ある夏の夜、家族・従業員総出で川沿いの花火見物に出かけた。
そこで甲斐甲斐しく、私達家族の世話を焼いてくれたのが、その人だった・・・と。
「その時に見染めてな、私が一目ぼれしてしもたんや・・」
こう、目鼻がキリっとしててな、ええ男やったんやで?とおばちゃんは恭子に向かって微笑んだ。
「しかしな、そうは思っても昔のコトやから、おいそれと簡単には話しも出来んかった」
「その内にな、思いがどんどん膨らんでもうてな・・ある日、思い切って板場に行って呼び出したんや、その人を」
「で、二人で、板場の裏に行って・・・」
「ひゃ〜、おばちゃん、やるっちゃ!」
「でな、言うたんや」
「私はアンタが好きや!って」
で、何て言ったんですか?彼は・・とボクも思わず身を乗り出して聞いた。
「うん、困ります・・・って」
「そらそうやわ、いきなりお嬢にそないな事言われたかて、向こうは修行中の身やろ?困る・・しか言えんわな」
うんうん、それで?と恭子もおばちゃんのロマンスに夢中になっていた。
「それでな、私がアンタのお嫁になったげるから、他の誰とも結婚したらあかんで?!って言うたんや」
でも、暫くして戦争が始まり、板前さん達も次々に召集されて、昭和18年には料亭は閉じてしまったと。
「戦争が段々とひどくなってな、昭和20年6月の博多大空襲でとうとう店も焼けてしもた・・」
幸いにも家族が欠けることは無かったが、戦後の荒廃の中で食べていくのに苦労したんやで・・とおばちゃんはしんみりと言った。
終戦後、暫くは焼け跡のバラック住まいだった、とおばちゃんは言った。
「その秋やった、私がバラックの外で炊事しとったらな、ボロボロの兵隊服着た男が、ジっと私を見とったんや・・」
「え、もしかして、彼やったと?」
「そうや、南方から命からがら復員してな、真っ先に私んとこに来たんや」
店がどうなったか、お嬢さんがどうなったかが心配で・・・と訪ねて来てくれたと。
「私な、恥ずかしくて恥ずかしくて・・向こうもボロボロやったけど、こっちも負けず劣らずやろ?」
「そやから、ほんまは嬉しかったくせに、ひどいこと言うてしもたんよ」
なんて?と恭子がおばちゃんにビールを注ぎながら聞いた。
「アンタらがしっかりせんかったから、日本が負けて、こんなになってしもたんや〜!ってな」
おばちゃんは笑って続けた。
「そしたらな、こう・・直立不動で敬礼してな、言いよったんや」
「ハイ、申し訳ありませんでした!自分が悪くありました・・ってな」
「で、私は泣いてしもたんや。あの人が帰って来てくれたのが嬉しいのと、身なりと暮らしが恥ずかしいのとが混ざってな・・もう、ワヤやったわ!」
それから彼は炊事を手伝ってくれて、おばちゃんの両親も彼の無事を喜んで久しぶりに明るい食卓になった、と言った。
「次の日、一旦家を見てきます・・言うて出て行ったんや」
「で、帰ってきたのは何日か経ってからやった」
それで・・彼の家とか家族はどうだったんですか、とボクは聞いた。
「6月の空襲でみんな死んだそうや」
「さすがに可哀そうでな、あの人が。一人ぼっちになってしもて・・・」
恭子もボクも無言で聞いていた。
それから、敷地内にもう一軒のバラックを建てて、彼を住まわせたのだそうだ。
「よう・・働いてくれたで。買出しやら力仕事は、み〜んなして貰ってな」
「ほんま、あの頃は・・あの人がいてへんかったら、私達家族だけではどないもならんかったやろね・・」
そのうちに、少しずつ世の中が落ち着きを取り戻して、翌年の春、店も小さいながら再開の目途が立ちそうになった矢先の事だった・・とおばちゃんは続けた。
「私に、縁談が持ち上がったんや」
「資産家でな、店の再開資金の援助を申し出てくれて、条件として向こうが出したんが私との結婚やった」
もう、両親が大喜びでな、焼けてしもた料亭の再開がふたりの夢やったから・・・とおばちゃんは遠い目になって言った。
「でもな、私はちっとも喜べんかったんや・・」
「そりゃ、そうっちゃ・・」
そうや、分かるやろ?ねえちゃんにも、と恭子を見た。
「好きな男がそばにおって、彼がおってくれたお陰で、終戦直後は生きられたようなもんやったんやからね」
両親もそれは重々分かってたはずや、とおばちゃんは続けた。
「でもな、両親にとったら彼はあくまでも律儀な使用人の一人やってん」
「娘が思いを寄せていたなんて、ちょっとも考えてへんやったやろな」
「ま、分かってたところで、あの頃の事やからね、身分やなんやってうるさい時代やったしな。どうにもならんかったやろね・・」
それで・・?と恭子が言いかけた時、ガラっと格子戸が開いて数人のお客さんが入って来た。
「・・おばちゃん、昼定食」
「こっちは、うどん定食や!」
銘々に注文しだしたのを聞いておばちゃんは「は〜い・・あんたら、また夕方にお出で!」
「続き、聞きたいやろ?」とにっこりと微笑んで立ち上がった。