ノブ ・・第1部
休憩所には見取り図があって、それによると目の前に並んで見える大きな建物の、左が御影堂で右が阿弥陀堂とのことだった。
「どうする?入る?」
「いい。また痺れたらアンタにいじわるされるけ・・」
あっは、もうしないよ、悪かった・・とボクは拗ねた顔の恭子のほっぺたを突いた。
「ま、良かろ、許してやるっちゃ」と恭子は笑って言った。
「でも、どうなんやろね・・・」
「ん?なにが?」
「ほら、こうしてな、うちらみたいに東や西やって、両方の本願寺にお参りっちゅうか、気軽に来る観光客も多かろ?」
「うん」
恭子は続けた。
「それぞれの本願寺の檀家さんっちゅうか・・門徒さんな、不謹慎やなとか思わんとやろか」
「だって・・・それぞれ、こっちが本家本元やっち思っとるっちゃろ?」
ボクはビックリした。そして恭子の疑問は尤もだな・・・とも思った。
「うん、そうだね・・・こうして近くに、二つの本願寺があるっていうのも不思議と言えば不思議だもんな」
「そうやろ?」
「でも・・・きっとオレ達には分からない問題なんだよ、それは」
もう何百年も前から東と西は共存しているわけだから・・・とワケ知り顔で言ってはみたものの、やはりスッキリはしなかった。
この辺が受験勉強の限界なんだろうな、とボクは独り言を言った。
「うちがどっちかの門徒やったら、どう思うっちゃろか・・」恭子も独り言。
分からんね、こればっかりは。なってみらな・・ね?とボクを見た。
「うん、そう思う」
ボクらが珍しく深刻な顔で考え事をしていた時、後ろから声をかけられた。
「・・・おぶ、いかがどす?」
「え?」
ボクが振り返ると、声は休憩所の中からだった。
「暑おすやろ?お飲みやす」
休憩所の中には数人の女性がいて、揃いの作務衣の様な格好でお茶を振舞っていた。
「有難うございます・・」ボクは立ちあがって休憩所に行き、お茶を二つ受け取った。
「あの〜、お代は?」
「いりまへんえ」
「いいんですか?」
「はい、どうぞ・・」
有難うございます、とお礼を言ってボクはベンチに戻った。
「恭子、お茶くれたよ」
「わ、嬉しいっちゃ!ちょうど喉乾いとったけね」
お茶は温めのほうじ茶で、香ばしくて美味しかった。
「おいしい、暑い盛りに、あったかいお茶もいいもんやね・・汗がひくっちゃ」
「うん、美味しいね、これ」
ボクらは、一杯目を飲み干してすぐにお代わりをもらった。
「ふ〜、おいしいっちゃ・・」
「サービスええね、ここ」
あはは、恭子らしいコメントだな、とボクも笑った。
二杯目も飲み干したボクらは「ご馳走様でした」と茶碗を返して、西本願寺の門を出た。
時間は9時をまわっていて、日差しは一層厳しくなっていた。
ビジネスホテル
西本願寺を出たボクらは、日陰を探しながらブラブラ歩いた。
「さて、次はどこ行こうかね?」
「その前にさ、今夜の宿決めといた方がいいんじゃないか?」
「そうやね、泊るとこか・・・どこでも良かよ、うち」
「うん、でもさ、あんまり高いホテルとかは無理じゃん?」
そうやね、安くていい感じのとこがええね・・・恭子も言った。
「ね、一旦、駅に戻らん?」
「案内所とか、あるけん・・多分」
うん、その方が手っ取り早いな・・とボクらは京都駅に向かって南下した。
駅前はほんの2時間前の朝とは様相がガラっと変わっていた。
バスターミナルには各方面行のバスが何台も待機してて、その乗り場は大勢のお客さんで溢れていた。
タクシー乗り場にも長い行列が出来ていて、引っ切り無しにお客さんを乗せては次々にタクシーが発車していた。
ボクらは駅の構内に入り案内所を探した。
案内所はすぐに見つかり、ボクらは希望を伝えた。
「あの・・安くて、いいところありますか?」
「ご予算は?」
「え、あんまり高いと・・」ボクが要領を得ないと思ったのか、恭子が横から口を挟んだ。
「安かったら、どんな旅館でもホテルでもいいっちゃ、贅沢は言わんけ」
案内所のおじさんはファイルをペラペラとめくりながら・・色々と探してくれた。
でも夏休みという事もあって、どこも満員に近かったから、結構時間がかかってしまった。
結局、京都駅にほど近いビジネスホテルに決めた。
そしてボクらは、コインロッカーから荷物を出してホテルに向かった。
ホテルはすぐに見つかった。
フロントにチェックインまではまだ時間がある・・と言われたので、荷物だけ預かって貰ってボクらはまた外に出た。
「さ、今夜の宿も決まったし、これで安心して京都を満喫出来るな」
「そうやね・・・じゃ、次はどこに行く?」
「うん、恭子は?どこ行きたい?」
「うちな・・お腹空いたっちゃ・・」
あはは、そう言えばそうだ・・ボクも笑いながら同意した。
だってモーニングサービスのトーストしか食べてなかったからね。
「いいよ、何食べたい?」
「うち、うどんがいいっちゃ!」
「やっぱ、関西に来たら、うどん食べな・・・ね!」恭子は嬉しそうにボクを見上げて微笑んで言った。
どうやら恭子によれば、北海道と九州はラーメンで、関東は蕎麦。
関西と四国は、うどんが名物らしかった。
「あはは、なるほどね、分かんないでもないな」
「そうやろ?やけ、うどん食べに行くっちゃ!」
ボクらはホテルを出て、うどん屋さんを探した。
京都駅を背にして右に行って路地に入ると、一軒のうどん屋さんがあった。
時間が昼前だったからか、まだ暖簾は出ていなかった。
「ありゃ、閉まっとるっちゃ・・」
「そうだね、ほか探そうか」
とボクらが店の前で相談していたら、ガラっと格子戸が開いておばさんが顔を出した。
「うん?あんたら・・うどん食べに来はったん?」
「あ、はい・・・でもまだ暖簾も出てないから」
「ええよ、もう開ける時間やから・・・お入り」
おばさんは格子戸を開けて、暖簾を掛けた。
「おじゃまします・・」
なかなか古風で貫禄のある店内には、すでに出汁のいい香りが漂っていたから準備は出来てたんだろう。
「なんにする?」
「う〜ん、迷うね・・」
ボクらは、テーブルに置かれた品書きを二人で眺めていた。
「・・この、おかめって何だろうな」
「うちも分からん」
これにしてみようか・・とボクらは「おかめ、二つで!」と注文した。
「は〜い、少々、お待ちを」
と中からおばさんの声が聞こえた。
「一人でやっとるんかね?」
「うん、他の人の気配、感じないもんな・・・」
どうやら、このうどん屋さんは、さっきのおばさんが一人で切り盛りしているらしかった。
「な、アンタ」
「のど、乾かん?」
「あ・・・でた!飲みたいんだろ、恭子は」
「そりゃそうっちゃ、炎天下を歩いたんやけね」
恭子は笑いながら言った。
そして、おもむろに奥に声をかけた。
「すみません、ビールってありますか?」
古びたカウンターの奥から声だけ聞こえた。
「そこに冷蔵庫あるやろ?勝手に出して勝手に飲んどいて〜!」
「は〜い!」