ノブ ・・第1部
「うん、いいけど、具合悪いの?」
「違うっちゃ」
何か、やる気出らんのよ・・・と恭子は言った。
「多分、まだ酒が残っとる」
「ふ〜、まだ酔っとるわ、うち」
恭子はまたベッドに入ってしまった。
仕方なくボクも恭子を追ってベッドに入った。
入りなおしたベッドの中で、恭子はフニャフニャしてた。
「う〜ん、やっぱまだ駄目っちゃ」
「何か、眠いのに寝たくないような、頭は覚めとるんやけど霧の中の様な・・ワヤや」
「オレの方が訳分かんないよ、それじゃ」
そうやね・・・と言いながら恭子は抱きついて来た。
「な、お話せん?」
「いいけど、オレの?」
「そうやね、アンタの話しはだいぶ聞いたけ・・今度はうちの青春時代、語っちゃろうか?」
青春時代ね、お願いします、恭子さん。
「うちな、彼氏、捨てて来たんよ」
「え?そうなの?捨てたって?」
「うん、捨てた。キッパリと」
恭子は高校三年の時から、医大進学のために家庭教師が付いていたのだと言った。
「ひゅ、凄いね・・お嬢さんなんだ」
「違うっちゃ、兄貴が医大に通らんで他に進んでしもたけね、跡取りのお鉢が回って来ただけのことやけ」
そうなんだ、やっぱり医学部来るヤツって、結構みんな事情持ちなんだな。
「そいつは、Q大の医学部の学生やった」
「カッコ良うてね、憧れたっちゃ・・」
「凄いじゃん、Q大なんてさ。旧帝大でしょ?」
「うん、でも、最低の男やった」
高三から一浪にかけて、その家庭教師は恭子を鍛えた。
恭子も気にいられたくて勉強してせいで、成績はグングン伸びた、と。
いつしか、恭子の気持ちは憧れから恋に変わっていった。
男にもそれは伝わったらしく、一浪の夏休み、模試の結果が良かったお祝いに初めて飲みに連れて行ってくれた。
そこで恭子は酔った勢いで告白して、二人はそのまま・・・。
暫くの間二人は、恭子の部屋で勉強とセックスに勤しんだらしい。
お陰で男の扱いはうまくなったかも・・と恭子は笑って言った。
「でもな、最低の男や、って分かったのも、その飲み屋やったんよ」
その年の暮、恭子は早い結婚の決まった仲の良い友人のお祝いに出席した。
博多の飲み屋での、女三人の気軽なお祝い会だった。
そして、その店に偶然その男も友人と連れ立って入って来た。
恭子は勉強をさぼって飲んでるとこを見られたら大変だと思い、とっさに友人の影に隠れて男と背中合わせの席に変わって貰った。
後ろから、男たちの会話が聞こえてきた・・・。
「お前、良かな、あんなお嬢ちゃんと、うもういって」
「へへ、良かろうが。アイツ、ああ見えて、アッチの具合も良かとぞ!」
「おまけに、金持ちやし・・このまま、うまくアイツを躍らせたら、あの診療所、ゆくゆくはオレのもんたい」
うわ、悪やな、お前・・と男たちの話し声。
恭子は耳を疑い塞ぎたかったが、聞かない訳にはいかなかった。
血の気が引いてきた。
「でも、結婚するっちゃろ?あの子と」
「そりゃ、それ位は我慢せな、開業資金借りるバカらしさに比べたら好きでもない女との結婚位、どうってコトなかろ?!」
「どう云う意味や?」
「分からんか?アイツは世間知らずのお嬢やけんな、騙すのは簡単ばい」
「分からん様に、バレん様に好きなコトする位、簡単やろもん!」
「何でもいいけん、オレは医院のオーナーになれれば良かと」
とうとう恭子は立ちあがった。
手には生ビールのジョッキを持って。
そして、男の前に立った。
男は恭子を見てギョっとして青ざめた。
「な、なんで・・お前が・・ここに?」
「良〜く、分かったっちゃ」
「アンタの薄汚い考え、うち、はっきり聞いたけ」
「アンタにあげるんはうちの体でもうちの医院でもなか!これで沢山たい!」
ジョッキに半分以上残ってたビールを、恭子は男の頭からかけた。
「これが、うちからの最後のごちそうやけ」
そして空になったジョッキを男の前に思い切り叩き付けて、言った。
「二度と、うちとうちの家族の前に顔出さんでな?」
「その顔、うちの近所で見かけたら・・・ただじゃ、済まさんけんね、覚えとき!」
恭子は店を飛び出して、思いきり泣きながら帰った。
家族がそんな恭子に驚いて問いただした。
恭子は泣きながら「何でもない」とウソをついた。
本当の事を話したら自分がもっと惨めに、そしてその学生を信用していた家族までもがバカにされた様に感じてしまって。
ボクは、怒りでベッドの中の体が熱くなっていた。
「・・・ヒドイな、そいつ」
「あは、いいっちゃ、もう済んだコトやけ」
でも、うちも悪かったと。Q大生ってだけで憧れて信用して・・・全く、人を見る目なんか無かったんやけね・・と恭子は言った。
「ふ〜、ほんとに傷付いたっちゃ、あの時は」
「それからはうち、もう恋人なんて出来んのやないかって悩んだとよ」
「なんか、うちの人間性まで否定された気がしてしもてね」
そやけ、一浪の受験は散々やった、全部、落ちた・・・と。
「やから、やけになって遊んだっちゃ。暫くはね」
北九州では地元だからマズイと思って博多まで遠征した、と言った。
「遠征?!」ボクはこのセリフで少し笑った。
「男狩りにか?」
「そうっちゃ。どこかに本当にうちを好いてくれる男はおらんかな〜って」
恭子は決してブサイクな子じゃない。それどころか小さな顔に涼しげな一重の眼は、ボクにはとても可愛く思えていた。
「あれ、モテたって言ってたじゃん!」
「うん、もてたよ、ほんとに」
真面目な顔で恭子は続けた。
「高校生の頃は手紙なんか腐るほど貰ったし、言い寄ってくる男もワンサカおったんやけね!」
「でもな、おらんかったと、心にズシっとくる歯応えのある男は」
「あはは、高校生じゃムリだろ、歯応えはさ」
やっぱり面白いな、この子は。
ボクが言うのも変だが、言い回しが洒落てて秀逸だった。
恭子は続けた。
「結局、博多で遊んでもどこで遊んでも、声かけてくる男は碌でもないヤツばっかりやった」
「やから、夏には止めたんよ、男狩り」
「そうか・・で、その後は?」
「うちな、考えたと」
「こりゃ、広い日本で探さないかんのやないかって」
狭い九州に拘ってたらいい男は見つからない・・だから東京の大学に絞ったんだ、と。
「へ〜、それで都内の医学部ばっかり受けたんだ」
「うん、東京にはみんな集まってくるやろ?きっとそん中には一人位はおるやろうって思うたけね」
で、やっと見つけたんがアンタやった、と恭子はまた抱きついて来た。
「うちはな、バカな男に遊ばれて傷ついたアホな女やろ」
「アンタは目の前から恋人が突然おらんくなって傷ついた男・・」
「お互いに傷もん同士やから合うっちゃ!」
あ〜あ、とうとう傷ものにされちゃったか・・とボクは恭子の首を腕でグイっと締めて、笑った。
「あは、怒らんでね?!だってアンタ、暗かったもん」
「そうだよな、友達も恋人も、もうオレには関係ないって思ってたもんな」
つい、この間まではね、とボクは恭子にキスをした。
「ね、嫌いになった?こんなアホな女で」
「ううん、余計好きになったよ、傷もの同士だから」