夢の途中1(1-49)
その頃、優一は相変わらず自宅マンションから通勤し、娘・由美は義兄の屋敷に一室貰い、生活していた。
そこに、予告もなしに真知子は現れた。
着の身着のままで真知子が居なくなったのは平成15年の春だった。
そして季節は夏になっていた。
優一は真知子が生活費を賄う為のキャッシュカードやクレジットカードを持って出たのを知っていたので、毎月十分な金額を口座に入れておいた。
しかし、約2年に渡る『料理家・タレント稼業』で、真知子自身もそれを上回る金銭も得ていたので、「林優一」の口座からは一銭も引き落とされた形跡は無かった・・
今回の逃避行は真知子単独のものであり、相手の若手プロデューサーは局の社員で、逃げ隠れする訳にも行かず、早々に【お詫び会見】をして幕引きをし、社内的には【停職〇ヶ月・減給〇ヶ月】程度の処分を受けたに過ぎなかった。
『この業界』では珍しい事では無いらしい・・・
優一は事件が起きる2か月前から広州に出張していたので、妻と会うのは実に5カ月ぶりだった。
流石にやつれていて、細い肩が一層か細く見えた。
逃避行中、優一や娘も、そして実家の義兄にとっても、連絡の取れない時期には【最悪の事態】も心配されたが、娘とはその当初から携帯電話やメールでやり取りしていたので、本人を刺激する事だけは無いようにした。
優一も何度か電話もしたし、メールもした。
込み入った話は真知子が気持ちの踏ん切りがつくまで待つ事にしたのだった。
当然のことながら、真知子が実家に現れた日、実家の真知子の老母、義兄とその家族は驚き、腫れものに触るように接した・・
いち早く、優一に連絡が行き、【当人同士の話】として実家で話し合う事になったのだ・・
「案外、元気そうやな・・・ 」
『・・・・うん、最後の方は【お気楽一人旅】してるみたいな感じやったわ・・・・』
「お母さん、心配しとったで・・・・」
『うん・・・・親不孝な娘やな・・・・優一さんは?』
「心配せん訳、無いやろ・・・」
『・・・・ウチ、今度の事、優一さんに、謝らへんよ・・・
お母ちゃんやお兄ちゃん、それに、由美には申し訳ないことしたと思ってるけど・・・』
「・・・・・分かってる・・・・・お前がこうなったんは俺のせいや・・」
『・・・・・・・エライ、モノ分かりがエエんやな・・・・・
なんでなん?怒ったらエエやん!ウチ、浮気してんで?
髪の毛掴んで引きずり回したらエエやん!
なんで出来ひんの?
優一さんもウチの事、ず~~っと裏切って来た事あるんと違う?
ず~~~~~っとウチの事、独りぼっちにさせて、
アンタは何時も何処か別の物を見てた・・・
ウチの事なんか一度も見てくれた事無いやん!
何でもモノ分かりのエエのは、ウチの事なんかどうでもエエからちゃうの?
優一さん、前にウチ、聞いたやろ?誰か余所に女の人居るのと違うか?って・・ウチ、あの時興信所で優一さんの素行調査してんで?知ってた?1ヶ月以上調査して、何にも出てこうへんから、出張先の海外まで調査させたのに、【ご主人に浮気の事実は何一つ見つかりませんでした】って報告書が来て・・・・
それでもウチ、納得がいかへんから、優一さん、アンタに聞いたよね?そしたら・・・・・・・・・
【俺は根っからの仕事人間やから仕方無い】って・・・・・・・
ウチや由美より大事な仕事って・・・何やのん!・・・・・・・
あああ~~~~~~~~~~~~!』
真知子は大声で泣き叫びテーブルに突っ伏した・・・
結婚して17年間、このように口汚く取り乱す妻を初めて見た・・・
自分では精一杯家族に尽くしてきたつもりの優一ではあったが、
何かが足らず、何かが間違っていたのかも知れない・・・
妻が言う【何時も何処か違う方を見ている】と云う一言が
優一の胸に突き刺さった・・・
優一はいっそ、自分の中で27年間くすぶり続けてきた想いを妻に話そうかと思った・・・
しかし、それを話すとかえって妻を傷つける事になると、
やはり口をつぐんだ・・
(・・もう相手は27年前に亡くなっているんや・・・
今更その亡霊に真知子が・・・・
これは一生俺が胸の中に秘めて行く事や・・)
「真知子、この通りや!仕事ばかりで家庭を顧みんかった俺が悪かった!俺も考え直すよって、もう一度、由美と三人で暮らそ?あのマンションが嫌やったら引っ越ししたらエエねん!」
優一は畳に頭を擦りつけんばかりに妻に詫びた・・
傍目から見ればそれは逆だと云うだろうが、優一自身心底真知子を傷つけたと思ったからだった・・・
『・・・・暫く・・・考えさせて・・・・・・・・・・』
嗚咽の中から絞り出すように妻は言った・・・
優一としてはこれ以上妻に掛ける言葉は無かった・・・・
優一は義兄におおよその事を説明し、
暫く娘と妻の事を託した。
義兄もその方が良いと言ってくれた。
結論は急がない方が良いとも言って呉れた。
灯りの無い部屋の鍵穴にキーを入れ、ベランダの窓を空け空気を入れ替えた。
煙草に火をつけ
暗闇の向こうを見つめながら、
もうこの部屋に真知子は帰って来ないと感じた・・
更に4ヶ月の別居生活の後の年の暮れ、
優一と真知子は離婚届に判を押した。
17年間に渡る結婚生活に終止符を打ったのだ。
互いに慰謝料等の金銭問題は無かった。
まだ未成年の娘・由美の親権は真知子が持った。
表向きの非は妻に在ったが、娘まで取り上げてしまえば、
真知子のその後は無いものと考えたからだ。
真知子はもう少し落ち着いたら、本来の『料理研究家』として職場に復帰する準備をしていた。
真知子が所属していた料理学校の理事長も、元はと云えば妻の実家・増田家と血縁で繋がる人物であった。
そして、俄かに湧いた真知子の人気を自校の【広告塔】として積極的に利用したのだ。
その結果招いた今回の事件に、血縁者一同から非難され、その責任の一端が自分にある事を認め、真知子の復職を認めたのであった。
由美が大学を卒業するまでの養育費だけは優一が毎月振り込む事にした。
復職後の真知子の収入は別にしても、生花商で裕福な増田家にとって姪一人の学費など問題にする額では無かったが、親権を譲ったと言え我娘の養育費は自分で出すべきだと優一は考えた。
その意志は、義兄泰三も理解し快く受け入れた。
娘・由美も父が自分の親権を母親に委ねた意味を十分理解していて、
『お父さん、分かってるよ。 お母さんは任しといて!』
「由美、頼んだぞ。」
『うん、お父さんも頑張ってね!時々メールするからね♪』
「ああ、お父さんもメールするよ!」
娘とは送ってくれた地下鉄の入り口で笑って別れた。
地下道を改札へと歩きながら、
(由美、頼んだぞ・・・今のお母さんにはお前が必要なんや・・・
お父さんはなんとかなる・・・・・なんとかするさかい・・・)
健気に笑って見送ってくれた愛娘に、再び念じる優一であった。
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章タイトル: 第3章 冬の月 2004・冬
年末に妻・真知子と協議離婚した優一は、年明けすぐに
広州の架橋現場に戻った。
作品名:夢の途中1(1-49) 作家名:ef (エフ)