第8
その中の成分を分離させ、鉄、アルミ、金、銀、銅、レアメタル?
化学合成しまさに無限の用途がある。
遥か昔は、ただの石ころが現代では貴重な資源材料になっている。
鉄鋼石は鉄となり、鉄は剣となり、重火砲兵器となり
爆弾まで生み出した、一方ではテレビ、冷蔵庫、洗濯機
コンピューター、車、飛行機、ハイテクノロジーには
IC集積回路と言う石が不可欠だ・・・
至芸に想像、創造すれば、ただの石ころが宝になった・・・
そして僕はこの道端に転がる、石ころに母なる地球
碧に輝く地球を感じる。
またこの石ころに眼もくれない人も同様に否定しない
おそらく核兵器を生み出した、科学技術を厭わしく感じている
人種であろう、僕もその一員だ、が僕が嫌いなのはこの碧い星の
美しい石で人々を破滅に導く、人類の悪意の技術の意思であって
原石そのものは嫌いでない、プルトニュームはキュウリー婦人
ダイナマイトはノーベル、・・・ノーベル賞なんて糞食らえだ!
こいつがダイナマイト火薬なんか生み出したおかげで
原子爆弾の基・長崎、広島に繋がった・・・
アインシュタインの美しい宇宙の神秘を考究する精神の研究は
悪意ある者に原始爆弾に転用された・・・・
人が美しいものを、美しくなくならせている・・・
僕はこの碧い星地球、緑あふれ大地に巻き上がる土煙
青い海に散在する石、マクロ的に宇宙から見れば
地球も宇宙空間に浮かび漂う石だ、ミクロ的に見れば
その地球という石が45億年かけ化学反応し誕生したのが
動物、人類であるだから僕は石ころが好きなんだ
僕は石ころから生まれたので僕は石ころなんだ!
この立方体の座標軸の中の無限の中には、存在する為の
スペース、間隙、隙間、虚無がなければ、実ばかりで身動きが
出来なくなる・・・これはもう何か神秘的な何かが存在して
バランスを維持しているとしか想像できない人智を凌ぐ
自然の力、・・・だからありのままの現実を肯定せざるを得ない・・・
この石ころ地球が、生命の誕生の親、否、宇宙の遥か見たこともない
銀河集団が地球に生命を誕生させ、僕達に自分お姿を宇宙の姿を
観たくて見たくて、人類を創造したのじゃないのか?と
僕は感じた。
そうして人類は少しずつ、時と時代を重ねながら進歩をしやっと
宇宙の存在に関心と興味、を懐き始めたばかりが現代21世紀
だと思う・・・道程はまだ遥かに遠いだろうが、まだまだ未来の
子孫達に頼むしかないが、満天の夜空に燦然と煌き輝く美しい
星達の願いの、子供の僕達は醜態ばかり見せては自分の姿を知りたいと
生命と、人類を誕生させた星々がああ~自分はこんなにも醜かったのか?
と失望しビッグバンするかも・・・・
ともあれこの道端の石ころは、石が形作り、砂や土が皮膚のように
大地を覆い、地球内部に流れる血液マグマの熱を青い海が程よく
ラジエーターの様に冷やし、これらの石、鉱石、ガス、水、光の
光合成と色々なプロセスで、化学変化し何十億の歳月を育みながら
この無機物は、有機物を産み、ウイルス、バクテリア、隠花植物が
大地に触手を伸ばし、顕花植物となり、送れて地上に這い出した
海類生命体は、昆虫や鳥類、哺乳類と環境に適合し様と
切磋琢磨、淘汰の競争を勝ち抜いて、かくして単なる無機質の石ころの
地球が意思と、判断力と、感情を保有した有機生命体、人類を
繁栄させた・・・・僕が思うに、この碧い星地球が、知的生命体
人類が、無機質が創造し産んだ極致だと推測するが
この無機質の願い、を担う人間は、感情という奇跡の贈り物を
背負いきれるものなのか?無機質である自分の親を、単なる
物質として恣に加工し消費し、使い捨て、破壊し、無機質よりも
有機体のほうが優れていると感情を持っているからと謳歌しているが
ではその有機生命体は、何の上にだけ存在できるのかと?
宇宙空間では、無機質の防護服や、熱や、光、酸素、地盤としての
ステーション・・・どれも皆、無機質のうえでのみしか
有機生命体は存続し得ない。
人類は誕生以来、創造主の石を用いて利用し、加工し、化学合成し
生活物質や、食糧を編出した石が創造した、ほかの僕達の
もと兄弟達、動物や植物を食糧にしたり、皮革品にしたり
身につけたり、鉱物や、昆虫、植物の保有する、体内成分を合成し
薬や、栄養剤を編出し、現代では恣に、物質を操り生産し
生命に有害な副産物まで、同時に生産し、公害から、化学兵器
核、DNA遺伝子操作と驕り奢侈の留まるところを知らない・・・
それまでのこの、碧い星、美しい地球には存在しなかった有害物質だ!
公害・薬物・汚染・化学合成物質これらが今後、数世紀後
未来の可愛い子供達、子孫に与える影響を環境を生態系
遺伝子に与える、利害の信憑性に猜疑的見解に至る者もいるだろう
未来に展望がなく、未来に恐怖心を覚え人生を投げ出す者もいる
であろう懐疑、懸念、虚無主義、有象無象とハムレットに堕す人も・・・・
逆に人生は1回コッキリ楽しまないと損すると、耽美に堕し
荒淫し、酒色に溺れ、女色に耽溺し享楽的に生き
希望的観測し蕩尽し、偸安し、惰性になりドンキホーテーに陥る
やもしれない、または自分の拠り所を神仏に委ねカルト崇拝集団に
走り奉る者もいるであろう。
以上が僕が2007年長崎刑務所で、訳の解らぬままに綴った。
思い込みの思索した思惟だ(リリック)叙情詩だ。
この現代の時代の国家とは、政治と呼称される、いわば政治の名を語り
政治の衣のベールに偽装した宗教だ!この集団が、跋扈する
世の中なんだ・・・この宗教を広めようと国家は
国家を認証し、国家の推奨する平等、自由、平和、治安、生活を統治し
共産主義や、原理主義その他の諸々の宗教、何々主義国家から
民主主義、資本主義を大儀名文にした宗教カルト群盲集団を折伏し
駆逐し様と試みたておるのが21世紀隆盛している経済大国
西洋至上主義でなくてなんであろうか?
この教義の者達は、皆一様に隷属され、働き蜂にされ
右に習い、左に習い、と奴隷の如く育成され、之の教義に違反すると
異端視され、庸懲され、人非人の如くに矯正されるべく刑務所と
称される非人道的、言語に訳し難い環境下に、晒され
人格破綻者に改造される・・・
之が大きくなったのが、紛争介入であったり政治干渉などと呼ばれ
良い例が、合衆国の僕が知る限りのイラン、イラク、ベトナム、介入だ!
この宗教集団は民主主義、及び資本主義のベールの衣を纏って
自由、平和、平等、統治、を強者の力、軍隊の武力によって威圧
折伏し資本主義宗教集団は、それのみを神のように奉りその
触手をこの星、地球を席巻しつつある・・・・
そしてこの文明の発達しているらし、国家群は、崇高な自分だけが
理解した悟りを、理念を何も知らない未開の、自然に生きる
民族にまで力で肉薄し強要する・・・・
それで意にそぐわない場合、民主主義の自由、平等、の大儀を、高々と