朝霧の中で・・・
「え、何でそう思うの?」
「だって同じ柄だし、大きさもちょっと大きいでしょ?夫婦茶碗じゃん、どう見ても・・」
「あ、そうか。なるほどね・・ノブ、妬いてるんだ!」
「べ、別に妬いてなんかないけどさ、ちょっと気になったから」
きっと、その時のボクの顔は唇を尖がらせて拗ねてる様に見えただろうな。いや、実際に拗ねてたんだけど。
「あはは、残念でした!ノブは深読みし過ぎだよ」
「じゃ、何でお揃い?」
「あのお茶碗はね、私がここに引っ越してきた時にお母さんが夫婦茶碗が安かったからって買ってきたものなの」
「前の彼と選んだものじゃないよ!」
「ノブ、意外と焼き餅妬きなんだ・・可愛い!」
「何言ってんの!焼き餅なんて」と言いながら、きっとボクはニッコリしてたんだろうな。
なんだ、そうだったんだ。ホッとした。
だって前の彼氏のお古なんて・・やっぱ嫌じゃん!
「じゃ、さ」
「今度、二人で買いに行こうよ、お揃いのお茶碗とかコーヒーカップ」
「ノブ、また来てくれるでしょ?」
恵子は後から水仕事をしてるボクを抱きしめて、言った。
「うん、二人で選ぼう」もう機嫌が直ってる。
単純だな、ボクも。
「じゃ、二人で買いに行こうね」
恵子がボクの背中に顔を付けてるのが分かる。
「嬉しい!」ボクは思わず振り向いて振り向いて恵子を抱き締めた。
「キャ、ちょっと、背中ビショビショになっちゃったよ、もう!」
「あ、ゴメン、まだ途中だったから」
そう言いながらも恵子は、少しも怒ってる様には見えなかった。
「ノブと知り合えて、良かった」
恵子は可愛いキスをして、言った。
「後はいいよ、私がやるから」
「あっちに行って休んでて!」
「は〜い」ボクはリビングに戻って、ゴロンと横になった。
ふとカセットデッキに目が行った。
「どんなの聞いてるの?」
「え?なに?」
「カセット、聞いてていい?」
「いいよ、適当にラックから選んでね」
どれどれ・・かぐや姫にバンバン、アリス、いるか・・あ、ツェッペリンにディープ・パープルもある。下の段には、ビートルズがギッシリだった。
「けっこう、雑食なんだね、音楽」
「うん、色々好きだよ、洋楽は詳しくないけどね」
いえいえ、どう致しまして。恵子とツェッペリン、何か不思議だったけど。
どれにしようかな、と悩んでいたら隅っこにNSPを見つけた。
「これにしよっと」
優しい歌詞と独特のメロディーが好きなんだな、NSPは。
ただね、男が振られる歌ばっかりだから失恋した時に聞いた時はズシっときたけど。
寝っ転がって聞いてたら、恵子が戻ってきた。
「ね、好きなの?NSP」
「うん、大好きだよ。ポプコンも良く聞いてるしさ」
「へ〜、東京でも聞く人いるんだ。東北地方限定の人気だと思ってた、私」
恵子は嬉しそうに、短大時代に何度か行ったコンサートの様子を話してくれた。
チケットを取るのが難しいことや、メンバーのお喋りも初めは標準語なのにノってくると方言丸出しで、それがかえって受けてたこと等、楽しそうに。
暫く二人で聞いていたら、恵子が言った。
「コーヒー、飲もうか」
「うん、お願い」
「ノブは、ブラック?」
「うん、ブラックでいいよ」
本当は砂糖とミルクをタップリ入れたかったけど、ちょっぴり背伸びしてみた。
恵子は台所に行きお湯を沸かして、ペーパーフィルターのドリップでコーヒーを淹れてくれた。
「私の好きな豆だからちょっと苦いかもしれないけど、いい?」
「大丈夫、飲んでみたい」
豆はマンデリンというヤツだった。一口飲んでビックリした!
確かにちょっと苦いけど、それでもボクがいつも飲んでるインスタントに比べたら何倍も香り高くて美味しかった。
砂糖なんていらないんだ・・いいコーヒーには。
「豆で淹れたコーヒーなんて家じゃ飲まないから、こんなに美味しいなんて知らなかった」
「へへ、コーヒーだけは贅沢なんだ、私」
「おいしいコーヒーってさ、飲んじゃうと不味いのが嫌になっちゃうんだよね」
「うん、分かる気がする。マンデリン?ボク、初めてだけど・・好きだな、この味と香り」
「良かった、ノブと音楽もコーヒーの好みも一緒だね!」
可愛い顔でカップを抱えて微笑みかけてくれる恵子、ボクも思いっきりニッコリした。
「有難う、いいもの教わったよ!」
「マンデリンはね、深めのローストが好きなの。苦さが口の中で、シュワ〜っと消える感じしない?しつこくないのよ」
うんうん、分かる。大人の味ってヤツだね、恵子。
「お父さんが好きなの、コーヒーが。お母さんは、お茶かな」
「うちの両親はお茶ばっかだね、いつも。コーヒーなんてインスタントしかないし」
「そう言えば、ノブのお家ってお仕事は何なの?良かったら教えて?!」
来たか、この質問。実はあんまり言いたくはなかったんだけど。
今のボクの、不安定な状態の説明も必要になってくるからね。
そんなボクの顔を見て、恵子も何か感じ取ったらしい。
「私、ひょっとして変な事聞いちゃった?」
「ううん、そんな事ないよ」
第六章 進路
家は、開業医をしていた。
父が内科医で母は薬剤師。看護師はいない二人だけの小さな診療所だった。
ボクには二つ違いの兄がいて、兄は今、医大に通ってる。
S県の医大だったから下宿して。
そしてボクも医大に行くように言われてて、実はボクは受験勉強真っ只中のはずの高校三年生なのであった。
ただ、悩んでいたのだ。このまま親の言う通り医大に進学して医者になることに。
ボクは本を読む事が好きで、自分では医者よりも小説家になりたかったから自然とそっちの科目には力を注いでた。
だから段々、親の意見とは食い違いをみせ始めてて、三年生になった春から特に父親とはうまくいかなくなっていた。
恵子は黙って聞いててくれた。
「大変なんだね、ノブ」
「いや、大変って事はないんだろうけどさ、自分の行きたい方向と親の行かせたい方向が違うとね、色々ギクシャクしちゃうじゃん!」
努めて明るく言ったけど、恵子には通じなかった。
「だから、独りで山登りしてるの?」
「かもね。一人だと自分のペースで登れるし、色んな事を考えたり出来るじゃない」
「そうなんだ、悩み多き青年だったんだね、ノブは」
恵子の言葉に思わず笑ってしまった。救われた気がした。
「あはは、そんな偉そうなもんじゃないよ。ただ時々考えちゃうんだ」
「親の言うことも尤もだと思うし、自分の夢?みたいなものも捨てられないしさ」
でも、時間は容赦なく進んでいくから。
「でも羨ましいかもしれない、私には」
「え、どうして?」
「私ね、四年制に行きたかったの。こう見えても結構成績は良かったんだよ?」
大丈夫、ちゃんと分かってるから。
「高校の担任の先生は四年制を受けろ、って言ってくれてたんだけどね、うち、そんなに裕福じゃないから、無理だって言われて・・」
「仕方ないから、二年だけ、短大でいいから行かせて!って頼んだの」
「それでも、うちにとってはかなりの負担だったんだと思うわ」
「だからね、今は仕送りして恩返ししてる積もりなのよ」