朝霧の中で・・・
恵子は少し考えて言った。
「嬉しいんだけど、甘え過ぎじゃない?それって」
「そんな事ないよ、だって怪我してるんだから仕方ないでしょ?甘えていいんじゃないの?いや、もっともっと甘えてくれていいんだよ!」
もう必死だった。恵子との時間を少しでも引き延ばせるんなら。
恵子はボクをじっと見て、言った。
「嬉しいし、有難い申し出だけど・・・」
「ダメなの?家に誰か待ってるとか?」
「ううん、そんなんじゃないよ・・・私ね、自信が無いの。家に二人で帰って、はい、じゃどうもここで!有り難う・・って帰せない気がするの」
「あ、それならボク、玄関まで送って荷を置いたらさっさと帰るから・・・」と言いかけたのを、恵子が遮った。
「違うの。自信が無いっていうのは、帰す自信、バイバイする自信が無いってことなのよ」
微笑みながら、でもボクの目をまっすぐ見つめて恵子は言った。
「つまり、一緒にいたいって事。分かった?」
「でも高校生でしょ?お家に帰らないと心配するでしょ、ご家族の方は。特に山に行ってたんだからね」
そうか、全く忘れてた。昨日から今日、家の事なんて。
「きっと、心配してると思うのよ」
確かに、日帰りの予定で出て来てたから今頃心配してるかもしれないな。
さすが恵子、しっかりしてるんだ。
「分かった。じゃお茶の水のホームから電話するよ、家に」
「で、訳話してオッケーだったら、家に行ってもいい?」
「うん、それならいいわよ。言ったでしょ?迷惑はかけたくないって」
「お家の方の心配がなくなったら、遠慮なくシェルパになって貰うね!」
やった〜!よし、後はボクがどんな嘘を並べて家族の心配を無くすかだな。
お茶の水に着いた。
ボクは恵子をホームのベンチに残し、売店裏の公衆電話に10円玉を入れた。
「あ、もしもし?」
「もう、アンタは一体どこで何をしてるの、連絡もしないで!心配したでしょ!」お袋が怒ってる、当たり前か。
「大丈夫だよ、昨日の下山中にさ、ちょっと足首捻っちゃってね、痛みがひどかったから夕べは麓の宿に泊まったんだよ」
悪いけど、恵子、頂いたよ!
「ほんと?大丈夫なの?」
「大丈夫、他に怪我も無いし。ただね、思ったよりも脹れてきてるから、今晩もう一晩ここに泊って明日帰ることにするよ」
「大丈夫なの?本当に。どこの、何ていう旅館なの?」
ヤバ、そろそろ切り上げなきゃ・・・。
「あ、10円無くなる。じゃね、心配いらないからね」ガチャ!切っちゃった。
ま、いいか。迫真の演技だったろうな、今のボク。
うまくいったと思う、自分でも。
「10円が無くなる」と言い残して切れば、多分お袋は納得するだろうし、取り敢えず元気な声は聞かせた訳だから。
恵子のベンチに戻って行く途中で、こっちを見てる恵子と目が合った。
思わずVサインをしてしまった。
「大丈夫なの?お家の方。心配してたでしょ!」
「うん、怒られた。でも足挫いて宿に泊ってるって言ったら、安心して納得してたよ」
後半部分は嘘がちょっと入ってたけど。
「あ、ひどい!それって私の事じゃない」
「えへ、ま、いいじゃん。納得したんだからさ!」
そうさ、これで遠慮無く今夜は恵子といられるんだから。
「じゃ、秋葉原でおりようね。切符、無駄になっちゃったね、新小岩までの」
「いいよ、途中下車は大歓迎!」
何か嬉しくなってきたぞ?!
二人で黄色の総武線に乗り換えてすぐに秋葉原に着いた。相変わらず、いつでも混んでるんだな、この駅は。
人ごみの階段を恵子に肩をかしながら慎重に下りた。そして改札口を出て、高速の下を御徒町の方に向かった。
「家には何にも無いから・・・途中のスーパーで買い物していこうか」
「下手で良かったら、私の料理食べてみる?」
悪戯っぽく恵子が笑う。
嫌だなんて言う訳ないでしょ、こんな場合。
「嬉しいな、何でも食べるよ、恵子さんが作ってくれるんなら!」
「知らないわよ、後でどうなっても」
大丈夫、好き嫌いは実は激しいんだけど恵子の作ってくれたものに限っては、嫌いなものだって好きになるはずだから。
第五章 恵子の部屋
駅を出て、高速の高架下の道を左に曲がって恵子とボクは御徒町方面に歩いた。
やっぱり東京は暑かった。ちょっと歩いただけで汗が出てきた。
2〜3分歩いて、途中のスーパーに寄った。
スーパーの中は嬉しい位に涼しかった。
一階の食料品売り場で、恵子と二人で買い物をする。何か同棲してる恋人同士・・って感じ?!実は憧れてたんだな、ボクは。
「好き嫌い、ない?」
「うん、何でも食べるよ!」勿論、嘘だったけど。
「お肉と野菜の炒めものと、汁物・・でいいかな」
結構でございますとも!
豚肉と玉ねぎ、他諸々をカゴに入れて二人でレジに向かった。
「あ、アレも・・・いるよね」恵子が何かモジモジしながらボクを見た。
「ん?何?アレって」
「ほら、使うでしょ?つけるヤツ」
分からない、本当に。
「もう、だって危ないでしょ?もしものコトがあったら」
あ、そうか!やっと分かった。コンドームね。
「何だ、はっきり言えばいいのに、コンドームって!」
「バカ、大きな声で言わないでよ、恥ずかしいでしょ?!」
恵子はボクを軽くはたいて睨んだ。全然怖くはなかったけどね。
そうなんだ、女のひとって恥ずかしいもんなんだ。
一つ勉強になったな。
「いいよ、適当なの選んでくるから待ってて!」
ボクは薬品コーナーに行って「ゼリアコート」っていうヤツを選んだ。
正直、善し悪しは分からなかったけど「使用感ゼロ!」のうたい文句に惹かれたからね。
「有難う、でも二人でレジに並んで、こんなのも買うんだって分かったら恥ずかしいね」
「いいじゃん、みんな使ってるから売ってるんでしょ?」
「それは・・そうだけど」
女の人って面白いな、こんな事が恥ずかしいんだ。
買い物は思っていたよりも結構な重さになった。
「家まで、どの位?」
「ここから・・あそこを左に曲がってすぐだよ。ごめんね、頑張って?!」
「大丈夫、そんなに重くないし何か浮き浮きしてきちゃったからさ」
そう、好きな人の家に向かってる、手には二人の夕食の材料。
たとえ背には相変わらず二つのザック、両手にもっともっと重い買い物袋であったとしても、きっと恵子と二人なら何時間でも歩けただろうな。
恵子の家、というか社宅は5階建てのマンションだった。
恵子の部屋はその二階にあって、エレベーターを下りてすぐ前の部屋だった。
鍵を開けた恵子が、ゴメン、3分待ってて!と言って部屋に入った。
買い物袋を渡しザックは玄関前の床に置いて、ボクは大人しく待った。
前にはエレベーター、左右は廊下でそれぞれ3部屋位かな?ドアが並んでいた。
廊下は日は当ってないんだけど暑い。
立ってただけなのに汗が出てきた。重いものを持って歩いたからかな。
「お待たせ!いいよ、入って」恵子がドアを開けて呼んでくれた。
「何してたの?」
「洗濯物とかね・・中に干してあったし、まさか人が来るなんて思わなかったでしょ?散らかってたら恥ずかしいじゃない?」