朝霧の中で・・・
恵子の唇がボクの唇に重なった。そして、すぐに離れて恵子はボクを抱き寄せて耳元で言った。
「好き」
そして、今度は大人のあのキスをしてくれた。
こんないい天気、夏の太陽の下で大人のキス。
目は閉じていたけど目の前がオレンジ色で眩しかった。
長いキスを終えると恵子は言った。
「今日は、いつまで一緒にいられるの?」
「う〜ん、夜までに帰れれば大丈夫だと思うけど」
忘れてた。ボクは高校生で恵子は一人暮らしのOLさんだった。
仕方ない、頑張らなくっちゃ!時間作ろうっと。
バスが来た。悔しい事に時刻通りに。
ボクは恵子の手を引きながら乗り込んだ。
バスは空いてた。先客は3人だけ。
僕らは、前後と横に誰もいない二人掛けの座席に腰かけた。
右手に川を見ながらくねった道をゆっくりとバスは進んだ。
恵子とボクは、乗った時に繋いだ手をそのままにしてた。
暫くすると、バスの揺れと繋いだ手の感触でボクのオトコが反応してしまった。
ニッカボッカは余裕があったから、痛くはなかったが・・テントである。
「あら?」恵子が気付いた。
「何で?思い出しちゃったの?」
「違うよ、何か、バスの振動とさ、繋いでる手?感じちゃったみたい」
恥ずかしかったが、隠しようがない。
照れ笑いするボクに恵子は「男の人って、面白いね!」と微笑んだ。
そして、撫で撫でしだした。
「ヤバいよ!」
嬉しかったがまさか、ここでするわけにはいかないし、かと言ってこのまま触られてたら蛇の生殺しだ。
「何か可愛いね、コイツ」
全く、人の気も知らないで。
「そんなことしたら、チャック開けて出しちゃうよ?!」
「・・いいよ、触っててあげるから」
思わず、マジマジと恵子の顔を見てしまった。
「あ、今コイツ、エッチなヤツだ!って思ったでしょ!」
「うん、でもエッチな恵子さん大好き」
前後と横に乗客はいない。椅子の背もたれも充分、目隠しになってた。
でもさすがに・・それ以上は出来なかった。
ボクは恵子の肩を抱いたまま、移り行く車窓を眺めてバスに揺られた。
第四章 東京
程なくして、バスは塩山の市中に入った。
国鉄の塩山駅で恵子は秋葉原まで、ボクは新小岩までの切符を買い駅のホームへの階段を苦労して登った。
だって恵子は右足を引きずったままだったし、ボクは二人分の荷を背負っていたし。
「ゴメンね、重いでしょ?」
「大丈夫・・これ位!」
「ごめんね、私が捻挫したばっかりに」
「でもさ、そのお陰で今こうしてられるんだもん、文句なんて言う訳ないじゃん」
「良かった、そう言って貰えて。有難う」
そう言いながら微笑む恵子は、可愛いかった!
暫くして大月行きの各駅停車に乗った。
やはり夏休みのためか列車の中は混んでいたが、それでも向かい合わせの座席に何とか座れた。
大月駅で下りて乗り換えの東京行きを待つ間、ボクらは駅構内のベンチに腰掛けて休んだ。
時間はもう、お昼近い。お腹が空きはじめてたボクは言った。
「ねえ、ここでご飯食べていかない?」
「東京まで我慢したら、あと二時間は食べられないからさ」
「そうね、もうお昼だもんね。何か食べようか」
「ちょっと待ってて。お店、探してくるから!」
大月駅は小さくて、駅構内に食堂や喫茶店は見当たらなかった。
では、外に出るかとも思ったが、恵子の足を考えるとなるべく歩かせたくはなかった。
「どうしようかな、この際、駅弁でもいいかな・・」と恵子の待つホームに戻りかけた時、ホームの反対側に立ち食い蕎麦屋を見つけた。
「あっちにさ、立ち食いでよければお蕎麦屋さんあったよ!あそこで食べようか」
「うん、そうしよう。お蕎麦は大好きよ」
ザックは、ベンチに置いて行った。重かったし誰も盗る人なんかいないだろうから。
「ハイ、いらっしゃい」
店の中から蕎麦屋のおばさんが、ヤレヤレ・・といった感じで言った。
「あの、天ぷらそばと、山菜そば下さい。あ、おいなりさんも」
ボクは天ぷらそばとおいなりさん、恵子は山菜そば。
おばさんがカウンター越しに恵子を見て言った。
「アンタ、足くじいたの?痛いんなら・・」
潜り戸をくぐっておばさんが外に出てきた。手にはビールケースを一つ持っていた。
「これに座って食べな」おばさんは親切だった、見かけによらず。
「有難うございます。助かります!」恵子は嬉しそうに腰かけた。
「はいよ、天ぷらに山菜、おいなりさんね」
蕎麦は思いの外、美味しかった。天ぷらは舞茸だった。
「おいしいね!」少し驚いてボクは恵子に言った。
「うん、美味しい」
夏なのに熱い蕎麦を二人ですすった。ボクは汗だらけになったが、美味しい蕎麦に満足していた。
恵子は、というと可愛いハンカチで汗を拭きながらゆっくり食べていた。
「ご馳走様でした!」器を返して、ビールケースも・・と思ったら、おばちゃんが「そのままでいいよ」と言ってくれた。
満足したボクらは、ベンチに戻って座って電車を待った。
「美味しかったね。汗いっぱいかいたけど」
「うん、美味しいお蕎麦だった。山菜もいっぱい入ってたし、あのビールケースの椅子も有難かったわ」
恵子はニコニコしながら、シャツの胸のボタンを二つだけ外してパタパタと風を送っていた。
恵子の嬉しそうな顔は、何でこんなに可愛いんだろう。
「何、何か付いてる?私の顔」
違うんだよ、可愛くて見とれてただけさ・・ボクは。
「ううん、なんでもない。嬉しいだけ」
「変なの!」
東京行きがホームに入ってきた。今度も混んでる。
それでも何とか二人掛けを探して座ることが出来た。
ザックを網棚に上げて、駅で買った冷たい缶コーヒーを開けた。
「あと二時間だね、東京まで」
「私は秋葉原だから、お茶の水で総武線に乗り換えるね」
「うん、ボクは新小岩だから恵子さんと一緒に乗り換えて、そのまま行けばいいんだ」
「そっか、じゃ秋葉原でバイバイだね」
二人とも黙ってしまった。多分、思ってる事は同じなんだろうけどそれを口に出していいものか、ボクは迷っていた。
いつの間にか、二人とも寝てしまった。
立川駅に着いた時ボクは眼を覚ました。
恵子は、ボクの肩にもたれてまだグッスリ寝ていた。
暫くそのままにと思って車窓を眺めていたが、中野の駅に着いた時、恵子も目を覚ました。
「あれ、今どの辺?」
「中野」
「そうか、良く寝ちゃった。やっぱり疲れてたのね」
そりゃそうだろう、お互いに。
「あのさ、ちょっと思ったんだけどさ」
「何?」恵子がこっちを向いた。
「秋葉原のどの辺なの?家は」
「秋葉原の駅からね、御徒町の方に少し、五分位かな?歩いたとこにある社宅なの。一応マンションなんだけど高速がすぐそばにあるから、結構うるさいのよね」
そうか、やっぱり言わなきゃ。
「歩くんなら、ちょっと辛いよね、その足じゃさ」
「嫌じゃなかったら家まで送って行こうか?荷物も重いでしょ?」
言ってしまった。
でも次の約束もしないままで別れてしまったら、きっと、いや絶対に後悔するに決まってる。
ボクは、もっと恵子と一緒にいたかったのだ。
「うちまで?」
「うん、ダメかな」