朝霧の中で・・・
そしてそのまま、ボクは後から恵子を愛した。
恵子も、逆らわなかった。
その後、軽く汗を流してボクらは部屋に戻った。
窓の外はもう紫色の夜明けの空だった。
「疲れたね」
「少し、寝ようか」恵子とボクは、布団に倒れこむように横になった。
「いい加減に起きなさいよ、二人とも!」
「・・んん?」
寝ぼけ眼で見上げると、そこには包帯の怒った顔があった。
「ほら、宿の人がさっさとご飯食べちゃえって、さっきから言ってるのよ!」
混乱した頭を整理しようとする間もなく、布団を引っぺがされた恵子とボクであった。
どうやら一足先に朝食を済ませた包帯が、宿の人に言われたらしい。
残ってるのは、ボクらだけだと。
取りあえず顔だけ洗って、恵子とボクは一階の食堂に行った。
食堂には二人分の朝食がポツンと置かれていて、おばちゃんが味噌汁とご飯を持って来てくれた。
「若いっていいね〜!お客さん!」おばちゃんが言った。
「え?」何の事なんだろ。
「でもさ、お風呂場は・・筒抜けだったみたいだよ?他のお客さんに言われたんだから。朝から風呂場でヤッてる客がいたってね」
ウッソ!である。
いきなり、顔面真っ赤っか。
恵子は下を向いちゃってた。
「ま、若いんだから、しょうがないよね。こんな可愛い彼女と一緒だったらさ!お腹一杯、食べなよ〜」
笑いながらそう言い残して、おばちゃんは行ってしまった。
「アチャ〜」
恵子は?と見ると「・・・・」
「泣いてるの?」
「ククク・・」良かった、笑ってた。
「ほんと私達考えなしだったね。そうか、お風呂場は響くんだったね・・ククク」
安心した。恵子は笑ってる。
ま、仕方ない、聞かれてしまったものは。
二人で一しきり笑ったあと、朝食を済ませて部屋に戻った。
部屋に戻ってからが、実は大変だったのだ。
すっかり着替えを済ませた包帯が荷作りしながら言った。
「全く、とんだ赤っ恥よ、私は」
「起きたら恵子はいないし、そりゃ夕べの二人の雰囲気を見りゃね、分かるわよ?何が起こったのか位はさ」
「仕方ないから一人で朝ごはんに行ったらね、何人もの人に言われたんだから」
「すごかったね夜!三人でかい?とかさ、あのカップルかい?風呂場の声は、とかね」
「もう、アンタ達、有名人よ、この宿で」
「ゴメンなさい」恵子の声はまだ笑ってた。
「ほんと、すいません」と、ボク。
「ま、いいけどね。山行の人はみんな早立ちだからもういないし。それに恵子も悩みが解決したみたいだしね〜!」
恵子が今度は真っ赤っかになる番だった。
「知ってたんですか?」
「そりゃ知ってたわよ、相談も受けてたしね!」
「でもさ、私じゃわからないし解決できないでしょ?」
「・・・もう言わないで」恵子はやっとそれだけ言うと、襖の向こうに行った。
「まあ、いいわ。私はあと5分で来るバスに乗って一足先に帰るから、アンタ達はゆっくり帰ってきて」
「レポートも書かなきゃいけないし、二人の邪魔者にもなりたくありませんからね?!」
「すみません」謝ってばっかりだ、ボクは。
包帯はニッコリ笑って「じゃ恵子、そう言う事で!私帰るから、また明日、会社でね」と恵子に声をかけた。
「ハイ、じゃ〜ね」と襖の向こうから、恵子。
包帯が出て行って、ボクも帰り仕度を始めた。
恵子は着替え終わっていて湿布を貼りなおしていた。
ボクらも清算を済ませ宿を出た。
恵子の右足は登山靴を履くのはまだ無理だったので、昨日と同じ様に湿布の上に包帯、その上に靴下をはいてサンダルを軽く縛り付けた。
「これで頑張って帰るしかないね」
「うん、仕方ないわ。我慢する」
バス停は宿の前の川沿いの県道にあった。
「え〜と、次のバスは・・」
時刻表によると、次のバスまで一時間近くある。
「ありゃ、やられた。かなり時間あるよ!」
「いいじゃない、ベンチに座って待ってましょうよ」
うん、悪くないな。こういうのも。
ザックを置いて、ボクらはベンチに腰掛けた。
時間はもう9時近い。
夏の太陽は、強い光を投げかけていて「今日も暑くなりそうね」と恵子がつぶやいた。
そしてボクの方に向いて、言った。
「ねえ、好き?」
唐突だった。
「私のこと、好き?五つも年上だし山で捻挫するような間抜けだし・・変な事で悩んでたような女だけど」
「うん、好きだよ。実は昨日の下山の時から好きだった。って言うよりも、恵子さんと近づきたくて一緒に下りますって言ったようなもんだから」
「本当に?私は下山の時は、余裕無かったな」
「何とか無事に下りたい一心だったから」
それはそうだろう。あの痛みを抱えての下山だったのだから。
「ボクも必死だったよ、恵子さんは気の毒だし二人で落っこちる訳にもいかないしさ」
「カッコいいとこ見せたかったってのもあるね、正直言えば!」
「ううん、頼もしかったよ、本当に。痛かったけど安心して肩につかまっていられたもん!」
「それから下敷きにしちゃったり、おんぶしてもらったりね」
「ごめんね、でも・・・嬉しかったな」
良かった、努力は無駄じゃなかったんだな。
バスを待つ間、聞こえる音と言えば、川のせせらぎと蝉の声だけ。
「静かなとこだね・・」
「うん、ここにいるだけでも気分良くなる感じ」
ス〜っと一つ深呼吸してボクは、大分前から言いたかった一言を言った。
「あのさ、帰ってからも、その・・東京でも会ってくれる?」
恵子はビックリした目でボクの顔を見つめながら、言った。
「今ね、私、そっくり同じ言葉を言おうとしてたの!」
「本当に?」
「うん、嘘言わないわよ、こんな時に。同じ事考えてたんだね。何か嬉しいな!合うね、私達!」
「うわ〜、凄く嬉しい!言おうかどうしようか、散々迷ってたんだ。だってボクはまだ高校生だし社会人じゃないから、相手にされなかったらどうしようって思ってさ。なかなか怖くて言えなかった。良かった!」
一気に喋っちゃった。
そりゃそうさ、釣り合う訳ないのはボク自身が一番良く分かってたから。
でも、このまま帰って、それきりバイバイ!とはいく訳もなかったんだな。
ボクは完全に恵子を好きになっちゃってたんだから!
恵子も言ってくれた。
年上だから引け目を感じること。また怪我したのを助けて貰って、おまけに悩みまで解決して貰って。
どっちが年上なんだろうか、と実は内心かなり悩んでいたこと。
「言えて良かった。さっぱりしちゃった!」
恵子は前を向いて眼を閉じて、微笑んでた。
嬉しかった。
二人とも、このままお別れするにはお互いの事を好きになり過ぎていた事がはっきりしたから!
ボクは周りを見渡した。
静かな田舎道。聞こえるのは、蝉時雨とせせらぎだけ。
ボクは恵子の左の頬にキスをした。
恵子は振り向き、ボクの目をジっと見据えて言った。
「私ね、やっぱり年上だから、迷惑だけはかけたくない。もしも、私が悪かったり、イヤだなって思ったら必ず言ってね?約束よ?!」
「うん、分かった・・けど」
「それに私、言ってなかったね・・・目、つぶってくれる?」
ボクは黙って目を閉じた。