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長浜くろべゐ
長浜くろべゐ
novelistID. 29160
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朝霧の中で・・・

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屋上には、会社のロゴマークなのか「中」の字が大きく掲げられていた。

「この坂を右に下れば神保町だからね、ノブ。迷子になっちゃダメよ!」

何を仰る、ウサギさん。ボクだって本屋には何度も来てるんだから。

「じゃ、今夜の電話、待ってるわ」
「うん、必ず・・じゃ〜ね!」

横断歩道を渡って、ビルの中に吸い込まれていく、恵子。
最後にビルに入る時、ボクの方を振り返って見て手を振ってくれた。


恵子と別れたボクは、坂を下って神保町に出た。

本屋に行く、とは言ったものの、どうもそんな気分ではなかった。
恵子と別れて寂しいのか、やるせない・・のか。
それとも、これからの勉強に対する不安なのか?!

「歩く・・か」

少し色々なコトを考えたくて、ボクは歩きだした。
太陽はギラギラと真夏の日差し。

靖国通りを万世橋から浅草橋、両国橋で隅田川を渡って両国。
思ったよりもアップダウンがあって、流石に堪えた。

両国の、看板に大きな相撲取りが描いてある洋服屋の前の自動販売機で、冷たいコーヒーを買って一休みした。
顔に流れる汗をぬぐいながら・・だったから、Tシャツの袖も胸も濡れた様にグショグショだった。

手に持った駿台の紙袋も、しっとりしてた。


結局、両国、錦糸町を過ぎて、亀戸から平井・・そして小松川橋を渡って徒歩で帰宅した。
「ただ今・・・」やっと家にたどり着いた。

「あら、何でそんなに汗ビッショリなの?アンタ」
出てきたお袋が驚いて言った。
「うん、お茶の水から歩いて帰って来たんだ」

「なんで、電車賃無かったの?!」
「ちがうよ、考え事してたからさ」

変な子ね・・・と首を捻りながらお袋は台所に行った。
「冷たい麦茶でも、飲みなさい」
「うん・・」

本当はビールが飲みたかったんだけど、ね。
それでも、麦茶を飲んでひと心地ついた。

「風呂、入るね」
「あら、まだ焚いてないわよ?」
「いいよ、水風呂に入りたいから!」

ボクは汗まみれのシャツとジーパンを脱ぎ捨てて、水風呂に飛び込んだ。


水風呂に頭まで潜って「プハ〜〜!」っと。
少しはシャッキリしたな、頭も。

汗を流してスッキリして、ボクは机に向かった。
暫くは数2bと格闘した。それでも2時間が限界だった。

「・・・ちょっと、休憩ね」


「起きなさい!鈴木先生からお電話よ?!」

うん・・?なんだ?

起き上ってみれば、もうすっかり夜になっていた。
どうやら、ちょっとの休憩が大休止になってしまったらしい・・・。

「ほら、お待たせしちゃいけないでしょ?さっさと電話に出なさい!」

「はい、かわりました、小川です」
「お、小川か。川端先生には話しといたぞ。随分、驚いてたけどな」
「済みませんでした、色々と」

「でな、細かいことは、直接、お前と話したいってことだから、明後日の木曜日、お前、確か補講あったよな?」
「はい、英語と現国がありますけど・・」

「その日の英語の補講の後、お昼だな、川端先生に会え」
「先生も時間、空けて下さるそうだから」

「有難うございました。じゃ、後は川端先生と・・・でいいんですね?!」
「うん、そうだ。理転しちゃったらオレはもう用無しだからな。ま、担任としてバックアップしてやるよ」

有難うございました・・・と電話を切った。

これで、学校での補講の科目も変わるんだ、と思ったら、いきなり不安になってきた。
「ヤバいよね〜!」

階段を下りて居間に行くと、夕食の準備が出来ていた。

「ほら、さっさと食べちゃいなさい!勉強があるんでしょ?」
「ほいほい、分かってますって・・」

食べ始めたら、親父も診療を終えて食卓に着いた。

「頑張ってるか?」
「うん、やってるよ」
「どうだった?駿台は・・・」

もう、お父さん、恥かきましたよ、アナタの息子は。

「バカだな、お前は。それ位ちょっと考えたら分かるだろうに!」
「まぁ、ね。自分でも何か変だな・・とは思ったけどさ」

何にしてもいいことだ、自分の事を真剣に考え出したってコトは・・と親父が言ってくれた。

昨日も親父と飯食ったな・・久しぶりだった、二日続けてなんて。

親父は上機嫌だった。診療後のビールが効いてたのかもしれないが。

「お前、作家の夢は諦めたのか?」
「いや、諦め切れてはいないんだ、実は」

ボクは文学や歴史に対する未練を正直に話した。

「うん、そんなもんだろうな」
「いいと思うぞ、別に諦めなくも」

「え、どういうこと?」

「医者になってからだって、作家にはなれるだろう?」
「そんなヤツはたくさんいるぞ、今までに」

でも、それって生活の保険をかけたうえでの活動でしょ?
何か卑怯じゃないかな・・・とボクは言った。

「だから、医者になって確かめてみればいいんだよ、自分の本心を」
「医者になってみて、面白けりゃ続けりゃいいし、詰らなかったら作家になればいい」
いいのか?そんなもんで・・・。

「そうさ、人の心なんてな、ころころ変わるものなんだからな」
「そうなの?父さんも?」
「当り前さ、父さんだってやりたい事位あったぞ」

初耳であった。
親父の、昔・・・若い頃。
「父さんな、蒸気機関車の機関士になりたくてな、本気で」

あの真っ黒い、でっかい機関車を腕一本でコントロールして、大勢の人間や貨物を引っ張る責任者だ。
言われてみれば、確かにカッコいい。

「親父さんには内緒で、鉄道学校の願書書いたんだよ・・・」
でも、見つかってぶん殴られて、願書はビリビリに破かれて終わりだった、との事。

「ふ〜ん、そんな事があったんだ、父さんにも」
「それに、死んだ爺ちゃんがぶん殴るなんて、イメージ湧かないね」
「冗談じゃないぞ、あの親父は、とんでもなく怖い親父だったんだから」

死んだ爺ちゃんは、山陰の漁村で村医者をやっていた。
ボクが4歳の頃に亡くなってたから、はっきりとは覚えてないけど、ニコニコ顔で抱っこしてくれてたのは記憶に残ってる。

親父は続けた。
「父さん、お前ならけっこういい医者になると思うんだ」
「はは、まぁ受かったらの話しだけどな!」

全く、持ち上げたり落としたり。
でも、こんな親父さんは久しぶりだ。
楽しそうに食後のお酒飲んで、嬉しそうに話してる。

何か、親の笑顔を見てるとボクまで嬉しくなってくるから不思議なもんだ。
「・・・親孝行、なのかな」

ホノボノとした気分になった時、ふと時計を見た。

「うわ!もう8時じゃん!!」
「ん?どした?」

上機嫌の親父の相手をやめて、ボクは階段を駆け上がった。

ジ〜コロコロ・・恵子の番号を回した。
「はい、近藤です」
「あ、恵子?遅くなってゴメン!晩飯食ってたら、すっかり・・」

「いいわよ、気にしないで。ちょ〜っと、座りっぱなしで足が痺れちゃった位ですからね!」
ヤバい、怒ってるのか?

「恵子、怒ってる?」
「ううん、怒ってないよ、ちょっと拗ねてただけ。ちゃんとかけてくれたから、もういい」
良かった。

「で、どうだった?先生から電話あったんでしょ?」
「うん、明後日に理系の進路指導の先生と、面談。多分、補講のカリキュラムが大幅にかわるんだろうね」
作品名:朝霧の中で・・・ 作家名:長浜くろべゐ