朝霧の中で・・・
でも、他人に指摘されるってのは、あんまり嬉しくはなかったけどね。
「怒らないでね、ノブ。トモコは、ああ見えて、私の事も随分心配しててくれたのよ」
「それが、あの山以来、悩みは解決するし、出勤した私は終始ニヤニヤでしょ?」
「言ってたもん、トモコ。ちょっと羨ましいって思う自分が気にくわないけどって」と言いながら恵子は笑ってた。
皮肉屋のトモコさんらしいな。
でも、そうか、羨ましいんだ、ボク等が。
ま、それなら許そう。例えお気楽ボッチャンと呼ばれても。
「ボクは平気だよ、人にどう言われようが何と思われようが、恵子といられたら」
「もう、そういうセリフ、面と向かって言えちゃうのがノブの凄いとこかもね・・」
「でも有難う・・嬉しい、そんな風に言われたの初めてだから」
いつの間にか二人の世界だった。
「お待たせしました〜」
いきなり、そんないい雰囲気二人の間に、トン!とホットケーキとアイスコーヒーが置かれた。
「どうぞ、ごゆっくり」
二人で目を見合わせて笑ってしまった。
「ほんとに、ごゆっくりしたいよね!」
「うん、でも私は会社だし、ノブはお勉強。頑張ってよね?!」
「ノブが頑張って、そのいいクラス入れたら、お祝いしようか」
「あ、邪魔になっちゃうかな、お勉強の・・・」
「そ、そんなコトない!逆にすんごい励みになるよ」
「お祝い、必ずしてね?!」
ボクは必死だった。
だって・・・もしも恵子がボクのため、だとしても「もう、会わないようにしようね?!」なんて言い出したりしたら最悪だもんね。
ボクが今後頑張るためには、恵子の存在は欠かせないし。
「恵子さ、仕事って何時までなの?」
「大体ね、6時前には終わるかな」
「何で?」
ホットケーキを食べながら、恵子は言った。
「ノブ、一緒にいたいのは私も一緒だよ?!でも、これからすごく勉強しなきゃダメなんだからね、ノブは」
分かってるよ、ボクも。
「違うよ、今日のことじゃなくてさ、今後の事」
「ボク、休みの間、頑張る積もりだからね、学校だったり図書館だったり、また、宅勉だったり」
「でもね、補講の無い日に図書館が一杯だったりしてさ、集中出来る勉強場所が無いと・・・」
恵子は食べ終わって聞いていたが、ふと話し出した。
「ノブ、うちで勉強したいの?」
「うん、ダメかな・・」
「いいけど、ほんとに集中出来るの?私のとこで」
「私の部屋、とても勉強する雰囲気の部屋じゃないしね、落ち着けるって感じでもないし」
「いや、そんな事はないよ、恵子の部屋は落ち着くよ」
でも、少しでも、勉強しながらでも、恵子と一緒にいたい気持ちはどうしようもないんだ。
「ボクね、こう見えても一旦決意したら頑張る方なんだ、自分で言うのも何だけど」
「だから、恵子は何も心配しなくていいから」
心のどこかに下心は、確かにあった。
でも、勉強と恋人・・・この二律背反、カッコ付け過ぎか。
「ノブ、私ね、ノブと知り合ってから、すごく充実してるの。まだ4日しか経ってないんだけど、今までの人生でこんな嬉しい事って無かったかもしれない位」
「そりゃ、誰だって恋人が出来たばっかりなんだからって思うかもしれないけど、少し違うの」
「・・ん?」
恵子は話し出した。
知り合って好きになって愛し合って、自分が変わったコト、いかに誰かを好きでいることが誰かに愛されることが大切なのかを思い知らされたと。
その後で言った。
「私ね、ノブが好き。きっとノブの言うことなら何でも聞いちゃうと思う」
「自分がこんなになるなんて、思いもしなかった」
「だから、ノブのしたいようにしていいよ。でもね・・・」
「これだけは忘れないで欲しいの。私は年上の恋人なんだよ、ノブ」
恵子は、自分と付き合うことでボクの受験勉強がおろそかになってしまう事だけは我慢が出来ないと言った。
大好きな人の人生、大好きな人のこれからを自分と過ごしてしまったがために失敗はさせられない。
それはきっと、大好きな人を後悔させてしまうから。
「ノブと知り合ってから、私、一日24時間・・・オーバーじゃなくて、ノブのことばっかり考えてる」
「通勤の電車でも、歩いてても、会社でも」
「だから、ノブ、約束して?!」
「きっとね、一緒にいたらお互いに我慢出来ないと思うの、私達」
だから勉強しに部屋に来るのは構わないけど、来るなら私のいない時間に来て勉強に集中して欲しい。
そして、一週間、ちゃんと思い通りに勉強が進んだら、二人の時間が欲しい・・・と。
「うん、分かった、そうする」
「一週間、自分なりに頑張って、よくやったな・・って思ったら、デートして構わないんだね?!」
「うん、そうしよう?ノブ」
「私ね、きっと会わずにいられるのは、一週間が限界・・」
「だから、その間は、ノブも頑張ってるんだ・・って思って我慢するから」
恵子の提案は現実的で、決してボクに甘いものではなかった。
勿論、恵子にも。
お互いに耐えることが必要なの、これからの私達には・・・と恵子は言った。
「うん、よく分かったよ」
「恵子がボクの受験にそこまで気を遣ってくれるなんて、嬉しい」
「でも、長いよね、一週間・・」
そんなコト言わないで、私だって頑張って言ったんだから・・と恵子は下を向いた。
「私、一週間って言ったけど、我慢出来るかどうかなんて分からないもん」
「でもね、我慢しなきゃ!」
「あ、時間は?」
ボクの問いかけに、顔を上げて恵子が時計を見た。1時を少し過ぎていた。
「そろそろ、会社に戻らなきゃ」
「そうだよね」
精一杯のボク。
「恵子さ、今夜、進路指導の先生から、夜、電話があるんだ」
「それが済んだら、電話していい?」
「うん、いいよ、電話なら・・・」
やっぱり、恵子も、同じなんだな。
「じゃ、行くね?!」と恵子はレシートを掴んで立ち上がった。
「いいよ、ボク払っとくよ」
「お給料貰ってるんだから、これ位は気にしないの!」
「ノブは?これからどうするの?」
「せっかくお茶の水に来たんだから、ちょっと本屋に寄ってから帰るよ」
「じゃ、一緒に出よう?」
恵子と二人で茶蕃館を出た。
ジリジリとした日差しに、蝉の声・・・暑い。
「会社の前、通って行こうか。こっち・・近道」
恵子はニコライ堂の横の路地に入って行った。
人が二人、すれ違うのが、やっとの路地。前を歩いてた恵子が、振り向いて言った。
「キスだけ、しようか?!」
他に誰もいない路地で、恵子とボクはキスをした。
二人の舌が、絡み合う。夏の日差しの下で・・・。
「ノブ、大好き」
唇を離し、恵子はきつくボクを抱きしめながら言った。
「好き?こんな私・・」
返事の代わりにボクは、またキスをした。キスしながらテントが張った腰をを恵子に押し付けた。
「んもう、ノブったら」
ボクを引きはがして恵子は笑いながら「いくらなんでも、ここじゃムリよね?!」
そりゃムリだな、ボクも笑った。
恵子はボクの手を引いて歩きだした。
「あそこ、私の会社」
おおきな道路を隔てた先には、10階建てのビルがあった。