朝霧の中で・・・
「うん、うちの学校、変でさ、休み中補講やってるんだよ、三年向けにね」
「みんながみんな、予備校に行くわけじゃないじゃん?高いもん、予備校の授業料って」
親切な学校なんだね、ノブの高校、恵子が言った。
「かもね、古い都立校だから伝統みたいなのかな」
「分かった。私は明日は会社だから、ノブは学校に行って相談ね」
「じゃ、私達・・・今度はいつ会えるかな」
これも困った。帰りたくないんだ、本当の事言うとね。
「今、7月末でしょ?来月一杯はボクは休みだけど・・勉強もあるし、恵子は仕事だもんね」
恵子も黙ってしまった。
ここにきて、はっきりと現実なわけだ、二人とも。
「明日、起きたら私は会社に行くからノブも一緒に出よう?」
「分かった。じゃボクは、それから学校に行って先生に相談だね」
「うん・・・でね、電話ちょうだい?!私、今の時期はそんなに忙しくないから遅くても7時には帰ってると思う」
「先生との相談の結果、教えてね」
そうしよう、ボクはボクで先生にも親にも話さなきゃいけないし。
「明日の夜、また来ちゃダメ?」
「だめ。ノブの結論が出て、具体的な計画が出来るまで、来ちゃだめ」
「そんな事ないかもしれないけど、ズルズルになっちゃったら私、辛いもん、彼女として」
「分かるでしょ?」
恵子は言った。負担にだけはなりたくないと。
そんな可愛い事を言う、恵子。
「有難う、頑張るよ」
「じゃ計画通りに頑張って勉強して、どうしても会いたいな、と思ったら来てもいい?」
「勿論、勉強そっちのけでここに入り浸る積もりなんてないから」
「ボクはボクで、恵子に余計な心配させたくないし、自分で決めたことはやり遂げたいしね!」
「うん、ノブがそうしたいならそうして。もしかしたら私も会いたいって言うかもしれない」
「その時は、ノブが会える状況だったらデートしよう。ノブが今はムリって言うなら我慢するよ、私」
ボクは恵子を抱きしめて、言った。
「大丈夫、こう見えて結構頑張りはきくほうだから、恵子に心配はさせないよ」
「嬉しい、大好き、ノブ」
「私ね、自分が怖いの」
「ノブと知り合って、どんどん好きになっていって・・・きっとノブがビックリする位、多分私、ノブの事が好き」
「だからノブが喜ぶなら、きっとどんな事でもしちゃうかもしれない」
「自分で自分にビックリしてるの。私って、こんなに・・・だったんだって」
「え?こんなに・・何?」
「もう、バカ!言わせたいんでしょ」
そう、恵子はエッチな人になってた。昨日から・・・。
「だからね、ノブさえ平気なら、ここで一緒に暮らしたいって思っちゃった」
「でも、そんな事はムリだし、ノブはまだ高校生で、私は社会人なんだから、私がしっかりしなくちゃダメなんだよね」
恋人でいたいから、私も我慢するんだと恵子は言った。
「有難う、恵子」
「頑張ってね、ノブ・・」
ボクは恵子に髪を撫でられながら・・深い眠りに落ちて行った。
第七章 理転
朝早く、恵子に起こされた。
「ノブ、朝ごはん出来てるから食べてってね。私は出掛けるから、そろそろ・・」
寝ぼけ眼で時計を見れば、7時30分だった。
「ご飯食べたら、そのままにしてていいからね」
「部屋の鍵、ここにおいとくから、出る時に鍵掛けて、ドアの郵便受けから中に落としておいて」
「・・・ハイ」
「じゃ、私、会社行くね!」
恵子は白いブラウスに上着を腕にかけて、布団の横に来て、ボクのホッペにキスして出て行った。
綺麗だったな、今の恵子・・・。
しばらくボーっとしてたが、そうしてもいられない。ボクも今日から忙しいんだな。
顔を洗って歯を磨いた。
大分、頭はハッキリしてきた。
リビングの隅っこのテーブルの上には、目玉焼きとウインナー、まだあたたかいトーストが載っていた。
それと、グラスに入ったアイスコーヒー。
一人の朝食はちょっと侘しかったが、恵子の心づくしを感じたし美味しかった。ブラックのアイスコーヒーも。
食べ終わってから、恵子はああ言ってたけどそのままには出来ない性分のボクは、台所で食器を洗って布団をたたんだ。
「さて、と・・・」
部屋を見渡して、電気は切ったし洗いものは済んだし。
恵子に借りたTシャツを着て、ボクは部屋を出た。
鍵をかけて外に出ると、もう暑い。
夏も本番だった。
「今日も暑くなるな」
秋葉原駅までの道、昨日は恵子と一緒だったけど、今は一人。
寂しいのは仕方ない。
また、ここに来るためにも頑張らなきゃ!
新小岩までの切符を買って、黄色い総武線に乗った。
浅草橋、両国、錦糸町・・いつもの景色が何だか違って見えた。
新小岩で下りて、都バスに乗った。
「まず、家だな。そして着替えて、学校・・」
案の定、家では母親に大目玉をくらった。
「本当にいい加減なんだから、アンタは!帰ってくるお金があるんなら、何でもう一回位電話しないの!心配したでしょ!」
はいはい、ご尤もです、母上様。
「うん、分かってる。ほんと、ゴメン」
「それよりね、母さん、オレ決めたから」
「医大、受験しようと思う」
「はぁ?」
母親はポカンと、鳩が豆鉄砲喰らったみたいだった。
「だから、医者になるって言ってんの」
「だってアンタ、お父さんがあれほど言っても聞かなかったのに、どういう風の吹き回し?」
「ま、色々あるのさ!じゃ、ちょっと学校行ってくるね!」と言い残して、ボクは着替えて家を出た。
また都バスに乗って新小岩、総武線で今度は錦糸町で下りた。
ボクの高校は、錦糸町から両国方面に少し歩いたとこにある都立校だった。
結構古くて卒業生の中には有名な文豪もいた。
門をはいって、校庭の端を校舎に向かった。
先生は運良く職員室にいた。
「何だ、小川。どうした?」
「はい、ちょっと相談したい事があるんですが」
「いいぞ、次の補講まではまだ時間あるからな。で、なんだ?」
「ま、すわれ」
先生は隣の先生の空いた椅子をすすめてくれた。
「実は・・医大、受験しようかなと」
「なに?!医大?ってことは、お前、この時期にきて理転するってことか?!」
そうなんだ。理転、つまり文化系から理科系への転換を理転と言ってたのだ。
逆に理系から文系への転換は、文転と言っていた。
「う〜ん」
先生は腕組みをして、おまけに足まで組んでおもむろに煙草に火を付けた。
「ま、おまえの家は医者だし、兄貴も医学部だから分からんでもないが、春の最終の進路指導の時には文学部以外は頭にありません!って言ってたよな、お前」
そうなんである、はっきりと覚えてるんだ、ボクも。
「そうなんですが、実は、昨日、山に行ってたんですよ」
「そこで色々あって・・いや、色々考えて・・・自分の方向とかこれからとか、ですね」
「で、医者もいいかな〜と思いまして」
「そりゃ、生徒の希望をかなえるのが教員の仕事だからな、いいんだけど・・・」
「でもな、ハッキリ言うぞ?!」
「お前の今の成績じゃ受かる医大は、多分ない。ナッシングだな!」
「お前の得意科目は英語と日本史、世界史、あとは現国だろ」