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第7

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午前中に主任が許可しないと郵便屋は、帰ってしまいますよ! 

まさか、また明日に延期する気ですか?お願いします読んで下さい。

(主任) 今は忙しい・・・・・・

(僕)それでは貴方は、いったい何時になったら

時間ができるんですか?

(主任) 

今は忙しいといいよるやろうが!もう工場に帰れ。

(僕)読んで下さい。

(主任)工場に戻れ!

(僕) 僕の単純な手紙に目を通す時間がないと

言うのは、この様な無駄話おし問答をして

ないと言うのは明らかに変であり

小馬鹿にされている感が払拭できない

即刻、目を通して下さい。読んで、出して下さい。

(主任)か・え・れ!

(僕)ではこうやって20分近く押し問答する時間は

あって1分の手紙を読み発信の許可をする暇もないのか? 

通常の定められ規則に則った通常手紙を何故

発信してくれないのか?発信しない正当な理由があるのか?

このままじゃ仕事が手につかないですよ・・・・

(主任)それでも、いいから一旦、帰れ・・・・

(僕)判りました!そうして、強圧され僕は工場に帰った

それがこれ(懲罰審査会に関する通知)

長崎刑務所「平成19年8月30日付け。」

平成19年8月31日午前11時00分頃から

第二会議室において懲罰審査会を開催し下記

容疑事実について口頭による弁解を与えるので通知する。

(容疑事実の事犯名)1・就業拒否 2・職員侮辱(要旨)   

1、平成19年8月28日の朝、前日に出願した知人女性あて

発信が保留された件について、処遇主任から職権面接を受けたが

面接での回答が自己の満足できるものでなかったとして

不満を抱き、同日午前9時50分頃面接を終えて工場へ戻った

際に工場担当台付近において、担当職員に対して

1おいは仕事せんですよ、と申し述べ

2同職員から説論指導されるも 3頑なに同工場での

就業を拒否し 2上記より、同職員から処遇部へ

連衡するので同工場面、廊下側に移動して、待機するよう

4指示された際、同指示に従って移動したものの

もうこの工場には戻ってこないと考えたとして

同所鉄格子につかまつて、窓越しに同工場就業者に対して

5「このおやじは、こがん男ぞ、すぐにこがんやって

切り捨てるぞ」と6大声で叫んで、同職員を侮辱し

もって、被収容者遵守事項33、26に違反した。

である。 

その後工場へ戻った、僕は休憩中でもあったので憂さ

晴らしに、担当看守に冗談で主任に仕事せんでもよかけん

帰れと言われましたよ!喋っていた所に

ちょうど、正式担当の田崎真一朗が帰ってきて

何てこ~ら~と工場の扉を開け放ち代替の担当に冗談話して

いたものを扉の外で、掠め聞き取った僕達の会話を

まに受けたか何か知らないが田崎はそいで?

仕事するとや?せんとや?と荒げに聞いてきた・・・

僕は、しかたなくさっきの台詞を同じ様なニュアンスで

仕事できんですね~と再現した所、煥発入れずに

おら~取調べ~と叫ばれ外に促された扉のそとへと

ジェスチャーで促され、その際すぐ横扉の鉄格子の

窓の中の工場仲間に(1m)位お~い皆

気お付けろよ!オヤジはこげんやって

すぐにみすてるぞ!と普通の声で、声を掛けた

(詳細は前記参照)それから互いに無言で処遇部門へ

歩き連行され、到着し僕はなんも、ここには

用事ないですよ!工場に帰りますばい!と伝えた

そこで唯一、一言、立って待っとけ・・・

会話はそれだけである。

上記の書類では工場へ戻った際に工場担当台付近において

担当職員に対して1おいは仕事せんですよと申し述べ

2同職員から説論指導されるも3頑なに同工場での就業を

拒否しとされた。

説論指導がありましたか?僕が工場に戻らないと

頑なに拒否してましたか? 賢明な読者諸氏に

審判をゆだねる。

 私は洗濯工場で平成18年8月追い出されやむなく

15日の懲罰を消化し新たなる気持ちで

衛生斑工場に同年9月に配役され同年12月に

ハガキの件で巻き込まれ15日間の懲罰を消化し

平成19年1月から同年の8月までの8ヶ月間の無事故を保ち

6月の無事故章を貰い後わずか1ヶ月で最低級の5類から

3類に昇進して3年ぶりに毎月500円分のお菓子を食べれる

身分になる予定でした・・・・

5類のままだと何も食べられません出るまで5類に確定し

他の受刑者が毎月1回500円分のお菓子を食べれてるのに

私しかは結局4年間1回も食べれませんでした

今回の懲罰で水の泡となり満期釈放に決定しました・・・・・

それから私は、家族からの音信がなく仮釈放を貰う為

引き受け人がおらず、しかたなく厚生保護施設と言う

保護観察管理下の、社会に出ても身寄りがなく当てもない

人々が、再犯しないよう3ヶ月間衣食住と職業を世話してくれる

施設に申請を提出しました、また仮釈放の対象者の引き

受けもこの機関が担っていました、但し家族の引き

受けならば3分の1あるものが5分の1に減少します

例えば、3年の刑の人は2年で出所できるが引き受けがない

場合3年の刑の人は2年9ヶ月を務める事になります

普通の人は3年の刑のうち、たかが3ヶ月の仮釈放を貰って

意味ないと思われますが、ここでの暮らしは1日の時間の

長さが常識では考えられない程に、長く感じ1日が

ともあれば1月位あるのでは?と錯覚する位に

時の歩みが延々と無限に感じられるのです。

そう言う意味もあり、長崎啓正会と呼ぶ地元の施設に

入所を拒否され、なにゆえに1日も早く立ち直り

更生し社会復帰したいと願い無事故で、頑張り努力して

いるのに、と私が育ち遊び生活した故郷の人々に

見捨てられたと言う悲しい気持ちでいっぱいになりました

郷愁と、慨嘆、葛藤に沈み自暴自棄になり

でたらめしてやろうと、も考えました。

でも諦めずに更に情報を収集しなるべく大きい

都会の施設が、収容人数もあり、よいと聴いたので

福岡の施設に申請を依頼しました・・・・

それまでの私の工場の、正式担当は村本と言い

平成19年から、ずっと面倒をかけて貰いこの当時私は

何もかも、嫌気がさし無気力でした人ともあまり

会話せず、孤独に過ごし休憩中は隅の方でうなだれ顔を伏せて

過ごし、仕事も頑張ってます!とは遥かに言えない位

ボーッとやっていましたが村本看守は、そんな私の心情を

ある程度、理解してくれており、あまりやかましく私に干渉せず

そっとしておいてくれました・・・・・

所が平成19年4月の人事異動に伴い工場担当が変わり

田崎真一郎と言う新しい看守になりました。 

私は、気がめいっていて人との触れ合いをなるたけ

避けており、担当も例外ではなかった、新しい担当

田崎は非常に明るくスポーツマンタイプで

年齢も30代前半で、衛生斑の仕事がら、常に指示や

会話を交え、行うもので、その合間に受刑者と

看守が冗談を交わす機会がおおいのが、他の工場との違いだ

他の工場は、時間から時間まで黙々と作業を行い冗談を
作品名:第7 作家名:万物斉同