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第6

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拉致監禁された・・・

1095日も・・・・

僕は脱力感に押し潰され、無力感に打ち拉がれつつ

出所後の恋人に逢う日を、これだけを頼みに目標に

この一心で3年の受刑を余儀なく送った・・・

時を経て満期釈放された、釈放されすぐに

逮捕され1年8月の実刑判決で

医療刑務所に収監された、ここに居た時に話した

おっさんは何と僕が生まれる前から居てて

昭和46年から住んでおられて、僕が何時出れるのか?と

尋ねると、死ぬまで出れないらしい

こんな壮絶たる会話を交わした、因みにこの人は

3人を殺したらしい彼曰く、当時は精神病で

あったからと・・・

時は移ろい釈放後またすぐに逮捕3年の実刑・・・

刑務所生活通算累計10年・・・

二十歳頃から捕まり始めて娑婆にいたのは

2年もない・・・

転がり続けて35歳、僕は勉強もできない馬鹿だし

字も読めない話もできないキモイ醜いブサイク男

友達はできず、女どもからは無視され続けどうしようもないし

包茎、短小・・・

一度だけ風俗店の、女の子とHしたけれど

お客さんの、あれ、入っているか入っていないか?

ぜんぜん解らなかったヨ・・・

と言われ、それ以来女性恐怖症になり

いったい、こんな僕に他のどんな生き方が許されると

言うのか? 

僕は悪い事は何一つとしていないんだぁ!

子供の頃から皆に、疎外され続け今も社会から疎外され

続けている・・・

いったい僕の生きる世界はどこにも無いの?

僕がやっと掴んだ幸せ覚醒剤を奪い(俺はあずみだぜ!勘違いすんな)

僕自身の体の心の自由さえも奪って・・・・・

僕は働いたんだよ!汗水流して労働してその金で

恋人を買っていただけなのに・・・

これがなかったら僕はこれを綴っていないし

もう既にこの世に生きてはいなかった・・・・

白い恋人だけが僕を助け生かした・・・んだ・・・・

僕はこれからどこで?恋人とも別れ

ひとりぼっちで話し相手もおらぬままに

残りのこの世知辛い、厳しい世故を歩んでゆけば

いいのだろう?僕の生きる為の

技(頭、力、顔、体格、能力、性格、性器)を

すべて奪って於いてすべて劣悪に創っておいて

何の選択肢も与えてくれず子供の頃から

僕の生きる場所をも奪って於いて

大人になっても僕の居場所を奪って

さぁぁぁうああああああああああぁぁぁぁぁ! 

いったい僕にどうせろと言うのか? 

どこで?生きろと言うのか?天は僕をいったい何度

滅ぼせば気が済むのか?僕の心を

僕の魂を・・・・

こんな僕には薬しか頼るしか

生きてゆけなかったのに・・・・・

 僕は男であるが女性が強姦される時の、惨めさ悔しさ

恥ずかしさを最も理解できる・・・

なぜなら僕は実際に現に、オカサレてきたから・・・・

尊厳を失うから誇りを失うから自身を失うから

心を失うから魂を失うから、そして愛する人も失い

自分も失うから・・・・・・

さぁっ~此れから僕の人生を審らかに解放しよう

だってオカサレ続けてもう何も隠してしまう程の

恥ずかしことはないもの・・・・

 これらは僕が怨念と僕、自身を探し見付ける為に

記載したものであるが同時に、この僕が歩んだ

この履歴が他人にも有益であると

自負、信心するゆえに情報を提供、開示するのである

僕の綴る、ものを見たり知ったり、識ったりする者たちに

警告して置く是は、焚書である破壊の諸刃の危険な

危ない核爆弾と、同質の威力を有す

兵器である扱い方には要注意だ

是はよく斬れる刀、子供が悪戯で触れれば

命もおとす、扱いの困難な代物だ責任は

この刀?を扱う本人に所在する、覚悟して

推敲して未読して、命を賭して是を利用、使用されよ! 

 長崎刑務所での実録

満期釈放日当日までの不当懲罰、並びに不正処遇に

対する審査の申請。

を満期釈放であったので之の不当性を訴える術を

長崎刑務所のお歴々に尋ねた所、看守曰くお前はもう

出所するので、コノ処遇に関しては

審査の申請、及び再審査の申請は出来ないので

諦めなさい。

出所するからもうよかやっか!と

お茶を濁され正式な手続き方を教えて

貰う事ができなかった・・・・

冗談じゃない・・・

私はコノ満期釈放日、前日まで座禅、懲罰させられ

尚且つクリスマスの12月25日に謂れのない

難癖で懲罰を不当に誣いられ同年の誕生日

8月28日に取り調べ懲罰の延長からやっと

開放され衛生班工場にて働き後述するが

またもや担当の僻みで、不正連絡と取調べに伏され

20日間の座禅懲罰が終了し

2008年12月25日に内装工場に配属されたが

その日の夕方に他工場の詳しくは10工場の

中山次郎というヤクザもどきだ、基、私が2007年に

長崎刑務所に来て、始めて配属された

洗濯工場に居た人物でコノ人物に私は

(刑務所の不当な審査会による、不利益、並びに被害の報告)

でも説明している私が長崎刑務所に入所して初めての

取調べ懲罰となった、因循の人物がこの中山である・・・

この人物が部屋の、弱者から飯を巻上げ

水道をだしっぱなしにして、ヤカンのお茶を

冷やしたり、私に対しても因縁めいた難癖を

振り撒くので、私が飯や水がもつたいないし

食べ物を横取りするのは、いかがなものかと

話した所、彼から部屋から出て行って貰うなどと

自分の家か何かと勘違いしているのか、しつこく私に

絡んできて翌朝、洗濯工場に於いて、作業中に真後ろの

席の彼は、私に罵詈雑言を弄し周りの者たちに対して

面子を潰され腹が立ち、殴り付けてやろうかと想ったが

仮釈放を貰う目的の為に、私は身を引くことにして

担当に件の経緯を相談したが、鼻にもかけられず

放置され無視されたので、私も同様の態度を取り

工場の隅側に行きストライキした、すると

お歴々方は、杜撰に事の真相も調べようともせず

私に責任を負わせ作業拒否などと

仰々しい違反事項とした・・・

この顛末が2007年8月初めての刑務所に

収監されてからの不当、不正取調べ及び懲罰である。 

私は2,007年8月28日34歳の誕生日に

取調べ懲罰に伏され3度に亘る

違法で不当な処遇を、已む無く消化し

衛生班工場に2007年11月に配属

もどされた・・・

私は2006年9月頃から2007年の8月28日まで

この工場にて社会違反で服役し義務を果たしていた・・・

私の部屋は8人おりこの中に

中国人が2人いた・・・

この中の1人は26歳の言葉や意思の疎通が

非常に困難で、もう独りの27歳の中国人の翻訳でしか

話が出来ない。

日常生活を送る上での決まり順番、掃除など多岐に渡り

言葉と、文化、習慣の違いで喧嘩が多々あったが

表ざたには、ならなかったし成らない様

私はカバーしていた・・・

この中国青年は我儘で、意思の疎通が出来ない為

孤独に過ごし、文化の違いもあり日本人の中から

横着だ!日本のしきたりを叩き込む必要があると

幾度も諍いを触発しそうな場面が多々あった・・・
作品名:第6 作家名:万物斉同