私の理想の性格
私の会社では、ほとんどのやりとりをメールで済ませる。隣に座っている人にさえメールで用件を伝える始末だ。私のような内気な人間にとっては、メールのみのやり取りはいいのかもしれない。
しかし窮屈だった。なにしろ前も右も左も、机がくっついている。向かい合わせの男とは笑いの訪れない睨めっこ状態だ。
きっと私以上に、周りの人間がうっとうしいだろうと思う。後ろを通る時は「気持ち悪い」と囁いて行く。時に椅子の足を蹴っていく。業とらしくぶつかっていく。空気を読めと言わんばかりに咳払いや舌打ちをする。
私は二十三歳にして童貞。恋愛経験は元より友人なし。歳に反して主任に昇格する気配など微塵もない。家に帰ってのゲームと酒だけが唯一の楽しみだ。
とある飲み会の時にはっきり言われたこともある。
「亀田さんって気持ち悪いですね」と。 皆笑っていたが、冗談の笑いではなくきっと本心だ。
要するに彼らは「早く辞表を出せ」と言いたいのだ。
現代は転職が厳しい時代であることは知っている。ましてや私のコミュニケーション能力では、面接など受かるのは奇跡だ。今の会社だって偏差値だけで入れたようなものだった。
こういった経緯で今私はいる。
「なるほど。今日は履歴書をお持ちですか?」
「はい」
私は履歴書を鞄から取り出して渡した。ブレイン・パワーのサイトに用意するように書いてあったからだ。
角山医師は、しばらくそれを上から下へながめた。
「いい学歴ですね」
「いえ......」
インターネットでは大学にランク付けをしている。東大はSランク、東京工業大学や京都大学がAランク、というように。よくレベルの低い大学という意味で「Fラン」という言葉が用いられる。私が卒業した千葉大はBランクであった。
角山医師は「ふむ」と軽く頷く。
「内向的な性質は必ずしも悪いことではありません」
間を置いて突然言った。
「え?」
「履歴書を見る限り、あなたは真面目で勉強熱心だ。あなたの個性を活かした人生を歩もうと考えたりはしませんか?」
冗談じゃない。勉強だけができても他が何もできなければ役には立たない。
「例えば、学者とか」
「学者は......ちょっと」
ただ本や論文を読み漁っていればよいというものではない。成果を出さなければならなのだ。私には無理だ。
「今の自分を否定し、変わらなければいけない、そう思いますか」
「はい」
「では、俺は変わる、変わってやる、と決意して根性を出そうとは思いませんか」
そんなことはもうやってみた。だが数ヶ月から、せいぜい1年で元に戻ってしまうのだ。そもそも私に似合う明るさというものが分からない。
だからここに来た。ここなら私の――私に似合う明るさを見つけて、その性格にしてくれる。
「私は精神論が嫌いです!」つい大きな声が出た。「学生の頃に自己啓発本を何十冊も読みました。精神論なんて何の役にも立たないというのが私の人生の結論です」
「では、むしろ論理的な思考の方が合っているんですね?」
「え......ええ、まあ」
医師は履歴書に目を落とした。
「得意な科目にも数学と書いてあります」
「そうですね、どちらかというと」
彼は立ち上がって、隣の部屋に通じるドアへ手を伸ばした。
「こちらへどうぞ」
ドアを抜けると、寝台と巨大な機械が空間を占領していた。
「精神科医は抑鬱状態にある患者に鬱病のレッテルを貼ります。何の根拠もなく、ノルアドレナリンやセロトニンといった脳内物質が不足していると決めつけ、それらを増量すれば治るものとしています。非常に原始的で、インチキくさいですよね」
神経症や鬱病の本は何冊も読んだ。自分がそういう心の病にかかっているのではないかと疑ったからだ。角山医師の言うことはもっともだ。
「この装置は脳の個々のシナプスを解析し、それぞれの電流をコントロールして明るい性格に変化させます。どうです? 論理的に明快でしょう」
「脳細胞全部ですか」
「ええ」
「別々に、ですか」
「はい」
そんなことが現在の科学でできるのか? こっちの方がよほどインチキくさい。
「そのかわり、内向的である良い面......つまりは、真面目で、慎重で、几帳面で、謙虚で、論理的である、そういったものは失われてしまいますよ?」
「構いません」
「あなたのような方は明るくなることを望み、明るい方はクールになることを望みます。人間の心理とは不思議なものです」
医師は契約書にサインするように言った。私はろくに目を通さず、すぐにサインした。
次に寝台に乗るよう指示された。頭上にはCTスキャンのようなトンネルが口を開いている。
「安心してください。別に手術をするわけではありません。ただ横になっているだけです。痛くもかゆくもありません」
彼の言う通りだとするとリスクは高いように思える。脳を電気的にいじるだなんて。だがこのままだと自殺かホームレスだ。私は高鳴る心臓を押さえつけて、覚悟を決めた。