私の理想の性格
「おはようございまーす」
今日も俺は元気に出勤した。寝覚めの気分は爽快だった。
前の会社は辞めた。あんな意地悪な連中とはおさらばだ。面接では自分でも驚くほど滑らかにしゃべり、九社目で採用された。 九社という数が多いかどうかは知らない。採用されたなら万事オーケーだ。
パソコンを起動していると、藤尾君が出社してきた。二十歳の、向かい側の席の男だ。
彼は無言で座った。それを一目見て俺は笑顔で話し掛けた。
「藤尾君ってさあ、酒強いの?」
「まあ、普通です」
「どれくらい飲むの?」
「1日に発泡酒2缶くらいですね」
「だよねえ。やっぱり飲むよねえ。俺なんかビール3缶とウイスキー4杯だよ」
「それ肝臓に悪いですよ」
「酒もタバコもやらないのに早死にする人もいるでしょ? 逆に大酒飲みで超ヘビースモーカーでも長生きする人もいる。 ってことは、人間なんていつ死ぬか分からない、って事じゃん。楽しいこと我慢して早死にしたらつまらないだろ?」
しゃべっているうちにパソコンが起動したのでアクセスの画面を開いた。今俺が任されているのは、エクセルからアクセスのデータベースにデータを登録するいわゆるマクロと、データベースから自動的にメール送信するプログラムだ。
分厚いマニュアルを読んでいるうちに眠くなってきた。俺は横を向いた。
「牧野さんってアクセス詳しいんでしょ?」
牧野さんは二十四歳の、眼鏡がかわいい女性だ。前は人の年齢なんて全然興味がなかったのに、明るくなると関心を持つ。歳や血液型まで覚えてしまうから不思議なものだ。
「何か分からないことがありますか?」
「いや、そうじゃないけど。っていうか全然分からないんだけどさあ。牧野さんはすごいなあと思って。俺前の会社では出荷管理部っていう、人が聞いて何やるんだかさっぱりイメージできないような部署にいたの。まあエクセルとワードができりゃいいような仕事だよ。で、面接の時にちょっと誇張してアピールしたんだよね。アクセスもできますって言ったけど、実はかじった程度なんだよ」
「いや、私もそんなにすごい方じゃないんですけど」
「牧野さんってB型だっけ?」
「はい」
「意外だよなあ。A型っぽいよね」
血液型と性格が関係あるなんて本気で思っているわけではない。手頃な話題としては調度いいのだ。
なおもマニュアルと格闘する。平均して一時間に一行くらいしか打っていない。以前の俺はこういうことが好きだったはずだ。今はただ眠いだけだ。
二時間程経っただろうか。青木課長が声をかけてきた。
「亀田君、ちょっといいかな」
俺は空いている会議室に連れていかれた。
「自己申告した納期まで、あと一週間なんだが」
「社内で使うツールですよね? 納期なんてあってないようなものでしょう? まだ10パーセントもできてませんよ」
「君さあ、おしゃべりばっかりして、全然集中してないように見えるんだけど」
「そんなあ、俺だって頑張ってますよ?」
「周りのみんなと世間話してさあ、あれじゃ彼らだって集中できない」
「なんでですか。職場の雰囲気を盛り上げようとしてるんじゃないです。明るく仕事するのはダメなんですか?」
課長はため息をついた。
「とにかく、1週間で仕上げてくれ」
「無理です。無理無理」
俺は笑いながら顔の前で手を振った。 「はっきり言って、細かいのは向いてないですよ。他の仕事に変えてくれませんか?」
「他の仕事?」
「例えば......営業とか」
「営業を馬鹿にしちゃいけない。厳しいノルマがあるんだぞ。君みたいな軽佻浮薄な人間は、どこに行っても勤まらん」
俺は横を向いて顔をしかめ、「おもしろくないなあ」とつぶやいた。
瞬間、課長はテーブルを叩いた。体がびくりと反応する。
「何だねその態度は! 君は前の会社でも、そんな甘ったれた考えで辞めたのではないのかね。いつまでも子供ではないんだ。もっと社会人としての自覚を持ちたまえ!」
怒鳴り声が俺の頭を鳴らした。
席に戻り、しばらくは意気消沈してアクセスの画面をながめていた。それにも飽きると、また周りに話しかけた。
まったく作業がはかどらないまま、今日も一日が過ぎていく。定時には帰るつもりだ。
残業代も出ないんじゃ、馬鹿馬鹿しくてやってられない。
「今の仕事、向いてないんだよねえ」
藤尾君に言った。
「そんなこと言わずに頑張ってくださいよ」
「辞めちゃおうかなあ」
「辞めてどうするんですか?」
「さあねえ。コンビニのバイトでもやろうかなあ」
藤尾君は急に真面目くさった顔になった。
「人生は努力の積み重ねですよ。天職に巡り会えた人間なんてごくわずかです。みんな不満を抱えながら頑張ってるんですよ」
「偉いねえ、藤尾君は」
俺は帰宅することにした。
こんな馬鹿な。明るくなれば全てがうまくいくはずじゃなかったのか。
心の冷静な俺が呟いた。
スーパーで買った弁当をビールで流しこみ、バラエティを見て笑う。ウイスキーを三杯飲んだ時点で、暗かった時のように急速につまらなくなり、テレビを消した。
酔いが回った頭に、課長や藤尾君の言葉が甦ってくる。
そういえば昔、お笑い番組の有名人が言っていた。
「俺お笑い芸人になっとって良かったわあ。普通の仕事とか絶対できへんもん。こんな性格やからな」
言っていた有名人の気持ちが今になって分かるような気がする。
久しぶりに音楽を聴いてみることにした。なんだこれは? どれも不気味で、奇妙で、なぜこんなものを好きだったのか分からない。
俺はゲームをした。走り回り、架空の人物達に話しかける。虚しさとともに怒りがこみ上げてきた。俺はコントローラーを床に叩きつけた。
暗い時にはいいと感じていたものが、今は少しも楽しくない。私は音楽も、必死なって無意味に集めた画像も全部パソコンから削除した。
「ちくしょう」
俺は頭をかきむしった。ゲーム機もソフトも、全部売り払ってしまおう。