はちみつ色の狼
19 Have a break.
「お前には、俺を目的地へ行くバスの停留所まで送り届ける義務がある・・。」
「・・へぇへぇ、わかってますよっ!」
先へ先へと進んでいくジン、それを追いかけるジャン。
リーチの差なのか、ジンが二歩で歩くところを、ジャンが一歩で追いかけていく。
このまま追いかけて歩くのも楽しいだろうが、送り届けるべきバス停がどこ方面行きなのかを知っておく必要もある。
「・・つか、どこ行きのバス停でしたっけ?」
ジャンは、左右を見回しながらその場所に一番近いであろうバス停を探す。
じっとりとした嫌な感じが、急に振り向いたジンの真っ黒い瞳から感じられるが、気にはならない。
この辺には、バス停らしきバス停は一個も無い。
「・・・す、」
「なんて・・・??ここに、来たてだからわかんないとか?」
「スナイデル。」
「スナイデルはえっとぉ・・・、」
一瞬頭に浮かんだのは、軍の掲示板に張り出してあったバスの時刻表。
最近スナイデル地区の文書保管庫に用事があったジャンはその時刻表を見たことがあり、少しくらいなら知っている。
今の時間からすると・・・、と言うよりも・・・場所が。
「誠に、残念なお知らせがあります。」
「・・なんだ?」
ジャンは極力暗い顔を作る。
ジンは、その様子にごくりと唾を飲み込む。
「そこ行くバスはこっちとは全く逆方向です。駅挟んで反対側。」
「へ?こっちだろ?市庁舎は、こっちって矢印があったぞ?」
クルクルと周囲を見回すジン。
「どこの矢印見たかは知らないですけど、俺ここに何年住んでると思ってんですか?」
「お前、俺を騙してないだろうな?」
一瞬クルクルと見回していた顔の動きを止めて、じっとジャンを見つめる。
綺麗な漆黒の瞳が見つめてくるのに対してそのまま見つめていて欲しいと少し思ったが、だが騙す???
騙すって、かなり人聞き悪かぁねぇか??
「・・あのねぇ、あんた騙して俺になんの得があるのか教えて頂けたらいいんですけど。」
「・・・何もない。」
「それじゃあ、素直に聞いてください。」
「・・うん。」
素直にうんと頷かれると、何故か笑いが堪えられないジャン。
「とりあえず、土地勘のある・・、この場合俺の言う事には、本気で駅を挟んで反対側のここら辺にバス停の場所がありまして・・、そのA乗り場の隣ある町循環の・・」
一生懸命に説明をし始めるジャン。
最初はふむふむと聞く本人であるが、話が長くなりそうな様相を感じ取ったのか、一つ欠伸をする。
「あの〜・・・、聞いてます?」
「うん、とりあえず違うんだろ。で、駅に向かっていくわけだろ?」
「そうですけど・・、」
「駅は、ここから戻るんだな?確か。」
指差した方向には確かに駅があるはずであるが、大雑把過ぎる。
「・・・めちゃアバウトだけど、その通りです。」
「だろう?じゃあ、送ってくれ。」
「急いでるんですか?何時かに約束があるとか?」
またしても駅と思われる方向へと転換して、足を進め出そうとするジン。
それを慌てて追いかけるジャン。
「別にないよ、ただの見学だ。」
「・・・バスも多分30分に一本くらいだし、お礼に俺にちょっと付き合いませんか?」
「いや、いい。」
質問に対しての答えは、約一秒かそこらで出ていた。
「・・・返事はや!!!ちょっとくらい、考えろよ。」
「付き合わないし、俺は今すぐにスナイデルに行く。」
「・・・だからここからスナイデルまで、バスで10分やそこらで行けますから、ね?」
「・・・。」
「それに、今の時間じゃ残念ながらバスはありません。あと、30分後ですかね。」
「じゃあ、・・・・・。」
おもしろい。
彼は、方向音痴で自分で街を探索する時間さえもなかったのだろうか?
右も左もくるくると視線をやっている。
だが、たまにこちらを振り返っては困った表情を浮かべる。
「昼ごはんは?」
「・・・いい。」
「じゃあ・・・、ん〜〜〜・・・。」
人差し指で自分の下唇をブルン音がしそうなくらいに
上を向いて考えるそぶり。
ジンは、それを静かに眺めていた。
そして、急に正面を向いたと思うと唇を触っていた指を一本正面に突き出して、満面の笑顔で一言。
「紅茶とか、どうですか?」
「え?・・・・紅茶?」
その言葉に思わず嬉しそうな反応を見せるジン。
だがすぐに、偉そうに居直る。
「ああ・・・、お前がどうしても飲みたいんだったら付き合ってやってもいい。」
「はいはい。」
はははと笑うジャンに、複雑な顔をするジン。
気に障ったかな?と微妙に思うが、その複雑な顔がすぐにまた街への関心に変わるとまたも、微笑んでしまった。
「んじゃ、こっちっすよ。」
ジャンは、ジンがちゃんと後ろから付いてきているかを確認しながら、元来た道を数メートル戻っていく。
市場に程近い十字路を左に入っていく小道を指差した。
「この先。」
指差した先にあるのは、高い建物の間の細い路地。
薄暗い小道の両脇に立ち並ぶ4階建ての古いアパート群。
一階部分が飲み屋になり、その真正面に偶に置かれた大きな酒樽が並んでいる。
本気でこっちか?と言うような視線を送るジンと、それをたまに横目でちらりと見ながら突き進んでいくジャン。
「数分です。数分。」
「わかってる、俺は付いてきてるぞ?」
疑った表情を浮かべながらね・・、ははは。
そう思わずにはいられないが、ジャンはそのまままっすぐに歩いていき二個目の角を右に曲がった。
すぐに印象が変わった町並み、レンガ敷きの道が広がりを見せ始める。
ただ、一個角を曲がっただけなのに雰囲気が変わった町並みにジンはジャンの後ろからゆっくりと歩きながら、左右を眺めている。
赤い日干し煉瓦が敷き詰められた道に、急に背が低くなった建物。
その低さからなのか、陽の光が道路を明るく照らしている。
この辺りの道は先の大戦で大通りのようにタンクが通ったり爆撃があった訳でも無かったようで昔から道が今も残っている。
自分達が入って来た小道は言わば、市場から伸びる飲み屋の横の寂れた汚い道だったのに対して、一歩入っただけでこんな広がった道に出るのは驚きだろう。
名前もそのまま、保存地区。
この地区には教会や古い建物なんかがある。
一匹の真っ白い猫が目の前を飛び出し、そのまま違う路地へと歩いていく。
「なんか、平和でしょ?」
返事は待ちはしない。別に返事を求めているわけでもないし。
その道をのんびりと少しだけ進んでいくと建物の切れ間に広がりを見せる川のような水路。
架けられたかわいらしい赤い小さな橋を越えて行くとコンクリート製の新しい建物や古い建物がいい感じに混在する場。
橋の上にも建物の前にある小さな広場にも、所狭しと自転車が放置されており、足の踏み場が無いほどであるが、そんな事はあまり気にならないくらいに静かでいい雰囲気なのだ。
四方にある水路では船遊びをする家族、釣りをする男に道の端には自身の家から持参した椅子に座りチェスをする老人達がいる。
思い思いの事をして過ごすこの地区、砂漠のオアシスのように張り巡らされた水路。
ここはジャンのお気に入りの場所であった。