はちみつ色の狼
美人は微笑むと余計に美人に見える。
だが男の方は、その様子にいきり立ち、ヤバそうな顔で睨みつけている。
ジンの微笑みも武器を捨てた事も逆効果だったのだろう。
男は顔を怪物のように豹変させ、涼しい顔のジンに向かって行く。
ムガーと言う、なんとも形容しづらい言葉を発しながらまるで闘牛の如く、赤い顔で一回りは違う身長差の相手の顔面めがけて、張り手が飛び、ついでタックルをするはずであった。
しかしそれは、一瞬だった。
卑怯な手は一切なし。
ジンはまるで魔法を使ったかのようにふわりとそして軽がると相手を飛ばす。
相手も自分に土が付いている事に気が付いていないのか、道路の真ん中で大の字になり目は宙を泳いでいるようだった。
結構動体視力の良いほうだと自負していたジャンでさえ、目を凝らしていなかったら見落としていた程の素早い動き。
腕をかけてそのまま投げ飛ばしたのだろう。
多分、東方の格闘技である『アイキドウ』とか言う、相手の力を使って投げ飛ばす遣り方なのだろう。
「綺麗・・・・。」
ポツリと口から出た言葉。
直ぐ様口当たりを袖口で軽く押さえる。
本人が聞いていたらやっばいなとばかりにジンの全体から視線を彼の顔に合わせるとちょうど、瞳が会う。
一瞬、ジンの表情がふんわりほのかに和らいでいるように見えた。
その様子に、胸がなんだか焦って打つのを感じる。
聞こえてた筈はない、野次馬は騒がしい、砂漠風に、市場の騒めき、すべてが聞こえる筈が無いと教えてくれているのに。
そしてそのまま、相手の腕をぐいっと地面に押さえつけそしてその肩口を軽く踏みつける。
くっそ、
憎たらしい位に綺麗に決まり技を見逃さなかった野次馬(少年を含む)から、おおっと歓声と拍手が巻き起こる。
ジンは片腕で大男を押さえつけながら、反対の腕で捲り上げていた袖口を直していく。
全く何も無かったかのような表情を浮かべていた。
「・・・で、いつまでこうしてたらいい?」
少し自分から遠く離れた場所にいるジャンに尋ねるジン。
足の下にされた男には余り痛みが無いのだろうか、男はじたばたと悪あがきをしながらギャーギャーと騒ぐ。
「はっなせ!!!!離しやがれ!!兄ちゃん!!!!兄ちゃん、助けてくれよぉ!!」
その声に思わず眉をひそめるジン。
男が叫ぶ度に、眉間に皺が寄る。
確かに男は、体格には似合わないくらいに高い声で叫んでいる。
もしかすると超音波か何かが出ているのか、簡単に見た目は太くて30そこそこに見えるのだが、若く変声期も越えていないのかもしれない。
うるさいと言うよりもむかついてくると言うのが正直な感想ではあるが、その声がジンを悩ませているのは言うまでもない。
でも・・・これって、なんか絵になる光景だな。
ジャンの青い目に映るのは、小さく線の細いジンが太くて図体のでかい大男をのしている姿。
うつ伏せに倒された男の背中に片足を乗せ、そしてそれと同時に男の片腕を上部へと捻り上げている。
それによって男は肩口を地面に押しつけられて身動きが出来ないようになる仕組みではあるが・・・、
でかい図体の割に短い腕の持ち主の男を押さえつけるの、少し握る角度に苦労をしているジンの姿は笑いを催す。
俯き加減だからか、さらりと額を流れ落ちる黒髪。
髪の毛の隙間から覗いた黒い瞳が少し噴出しそうになったジャンの顔を見つけて少し睨んでいるようにも見えた。
体重の軽いジンを今にも押しのけようと騒ぎ出している男を押さえる役を交代すべく、ジャンはゆっくりと近づいていく。
ジンは、ジャンの顔が語っている言葉を口に出す。
「人は見かけによらない・・だろ?」
「・・・ですね。」
なんでわかった?などとは、思わない。
そう思っているのは事実で、あんなすごい技を見たのは初めてだ。
お世辞でもなく軍人たるもの格闘技には精通をしているもの東部の格闘技はあまり縁がない。
東部は閉鎖的な地区という事もあり、格闘技だけとは言わないがこちらの情報もあちらの情報も出たり入ってくるのは、稀である。
細い指が、ふくよかな簡単に言うと太い肉の付いた男の腕をしっかりと押さえているのを見て少し、見とれてしまう。
ただそれを言う事もない、それどころかジンは攻撃を仕掛けてくるのだ。
「筋肉だけの奴は、向かって来る事しかしないから簡単に投げられる。」
「・・・・きんにくだけって・・、俺のことっすか?」
「お前・・・?ああ、筋肉。」
なんだか納得が言ったかのように真面目な顔で頷くジン。
それを見て、冗談だったのにとひねて見せるジャン。
出来事が終わってからほんの数分ではあったが、
すでに市場はざわめき、市場本来の活気を取り戻し始めていた。
ややあって、解散しだした野次馬軍団に、市場のオーナー達。
この市場のオーナーは元来血の気の多き地域と言うこともあって、結構喧嘩を見慣れているのか終了しそうなのを見計らって、料理を始めたり、物売りの声を出したりし始めた。
二人の傍にも見学をしていた先ほどの少年達が駆け寄ってきた。
「あんた、ほんとに強いね。」
「俺、見直したよ!すげって、あんな一瞬で、ズバンだし!」
興奮冷めやらぬ少年達は口早に喋り、そして先ほどジンがした投げ技のような格好を見せて「こうだもんね。」と、まるで自分がしたかのような口ぶりである。
その様子に少し笑ってしまうジン。
「あれは、なんて格闘技なの?」
「ああ、あれは・・・・、」
『きゃっ!!!!!!』
『わぁっ!!!』
「??」
ジンの言葉と重なるように聞こえてきた悲鳴。
二人も含め少年達もそこにいた全員が動きを止めて、その悲鳴のする方向へと視線をやる。
叫び声や、悲鳴は前にも増してこちらへと近づいてくるように思えた。
こちらの方向を目掛けて走ってくる人物。
あるものは、後ろを振り返りながらこけそうになる体制を立て直しながら二人の横をすり抜けていく。
何事だ??
二人の少年は、ジンとジャンの背後に隠れながらも怖いモノ見たさなのか、顔を半分出して覗いている。
ジンは未だ図体のでかい男を必死で押さえている。
どこに、その恐怖の元があるのかわからない。
すべての人間が右左と走って逃げ出していく。
先ほどまでは、前方から二人の方向へと走ってくる人間が多数いたのに対して、今は背後から逃げてくるものが多いのかもしれない。
何気に一人の金髪のジャン好みのボインが、後ろを振り返りながら走ってくるのに見とれていたジャンだったが、その背後で動いた影の主に驚いた。
「??!!!!!!」
「っ!!」
視線を向けるまでもなく背後から感じられる雰囲気はなんとなく危険なものであるとはわかった。
そして、ジンの足の下の男が叫んだ言葉がその背後から忍び寄った人間が誰なのかを示している。
「兄ちゃん!!!!」
先ほどまで地面で白目を剥いてのびていた筈の男は、今はジンとジャンのすぐ後ろで立ってる。
野次馬という名の観客が逃げ惑ったのは、気が付いた男が周囲を歩き回っていたからだろう。
兄の姿を見た男が、激しく暴れ始めジンの身体を揺らしていく。