はちみつ色の狼
ジャンは、一応気を使いながらも彼の名前を聞き出す。
「シド・デュラインです。」
「よろしく、ジャン・シルバーマン。」
相手からの握手を受ける為に片手を出す。
ゆっくりと両手で握りこまれる手。
生暖かい手は、なんだか汗が滲んでいるように感じられた。
「知ってます、俺、少尉のファンですから!!」
「・・・・どうも。」
さっと苦笑いを浮かべて手を離し、頭をぽりぽりと掻くジャン。
はっきり言って、はずかしい。
俯いて、下のほうから顔を覗くと相手は恥ずかしげもなく笑顔を見せてこちらをむいていた。
何せ別段、普通の顔をしているものだからこう、面と向かってファンなどといわれるのは慣れては居ない。
シドは、握手の直後嬉しそうに腕を組みながら、ジャンを背後から眺めている。
ジャンは着て来たTシャツをすばやく脱ぎロッカーの中に投げ入れて、ポケットの中にトレーニング用に持ってきたランニングに着替えようとしていたが、穴が開きそうなくらいのその視線にやるせないものを感じて、ジャンは振り返りざまに笑顔でシドへ話しかける。
「あのさぁ・・。」
「なんですか?!」
ジャンが言ったただの一言に嬉しそうに反応をするシドに、その視線がなんとなく遣りにくいとも言えず、ランニングシャツの袖に片方ずつ腕を通しながら柔らかめに伝える。
「シド、用意しようか?」
「・・・あ、そうですよね。」
ファンというのは、こういうモンなのか?
ファンなんてモノに縁のないジャンには全くどういうモノなのかは、わからない。
ただ、わかるのは少しめんどくさい。
ちろりとシドの方を見ると彼もそのまますごすごと自分のロッカーへと向かっているのが見えた。
ジャンは横目にそれをみていたが、すぐに自分のロッカーへと視線を戻して上の段に置かれた白いテープを取り出す。
シドのロッカーは新人君ということもあるのか、少尉であるジャンのロッカーよりも壁際の暗い場所にありジャンからは少し隠れて見えないような場所にあった。
それをゆっくりと右手に巻きつけていくジャン。
親指に輪を作りゆっくりと手首へと巻きそのまま、上部の方へとどんどんと巻きつけていく。
手早く、なれたものである。
新人の軍人は全員最初の一年と、二年目に初めて格闘技を習うことになるその基礎になるバンデージの巻き方。
それから10年以上巻いていれば、うまくもなる。
まず、こんなごつい大男のファンで何が楽しい?
開いたままのロッカーの扉に備え付けられた小さな鏡の中に写るジャンの顔は至って普通である。
髪の毛は朝のまま寝癖がつき、ぼさぼさ。青い目はいつもと一緒で、その鏡を見つめている。
それか、なんかすごい功労をしたか?俺よ・・・、いつのまにか。
それにファンになるなら、ルイスやソナーズ先生の方がなんぼか楽しいだろうにな・・。
ぼんやりとそんな事を考えながら左手のバンデージの端を結び終えて、鏡付きの扉を閉める。
振り返りなんとなくファイティングポーズを取りがてら、そのままサンドバックに向かってゆっくりと歩いていく。
サンドバックは5つリングとロッカーの間に並んでぶら下げられており、そのうちの2つはすでに使われている。
小気味のいい音が聞こえてくるほかの二つのバック。
ジャンもその空いていたバックの前へと立ちパンと一発叩く。
左右へとゆっくり揺れるバック。
さぁてと・・・、
ジャンは、二発、三発と最初はゆっくりと打ちながら、どんどんと早く打ちに行く。
右へ左へ、下から横から、繰り出されるパンチの音は鈍く重い。
考えることは、唯一つ。
緑の遺体の事件と今回の銃撃事件は関係があることなのか・・?
体を動かしている時と酒を飲んで仲間と馬鹿騒ぎをしている時にだけ何も考えていないで済んでいたが、
仕事場でたまにジンを見かけるたびに思い出される。
ジャンは、思いっきり振り上げた腕を勢い良くサウンドバックにヒットさせる。
ばくっと大きな音が鳴り響きバックは右へゆらりと揺れ動く。
パンパンと小気味のいい音と共にゆらりゆらりと動き出すバック。
弾む息と、額から流れ落ちる汗。
来ている紺のランニングが流れた汗で黒く色を変えていく。
その汗は同じくジャンの髪の毛も額へと張り付けていく。
「ふっ・・っ・・。」
荒くなる息。
わからないことばかり・・・だな。
ついでに言うと一介の兵士にはそんな情報も入ってこない。
隣で、同じようにサンドバックを打っている、シドがたまにこちらをちらちらと見ている。
それに気が付きはしていたが別に何を話しかけられたわけでもないのに、自分から別に話しかけるほどでもないだろうとジャンは、バックを打ちに行っていたがその視線があまりにも暑苦しいので手を止めて、笑顔でどうもと挨拶をするジャン。
「っ・・・、どうも。」
「ああ、・・・・。」
また、手のスピードを早めていくジャン。
パンパンとリズム感のある音が、繰り返される。
それにしても演習の時は、なんて暗そうな顔をした男だと思っていたが、今見ると愛嬌のある男である。
顔は、まぁハンサムとは言えない顔ではあるが少し肉の付いた頬に出来るえくぼがかわいらしいと言えばかわいらしい。
なんとなく、田舎の人間を思い起こさせるような人懐こい笑顔である。
多分、さらさらの黒い髪の毛で鼻筋の通った整ったハンサム顔のリードの後ろに立っていたらジャンでも薄暗そうな顔に見られたかもしれないな。
サンドバックにパンチを繰り出しながら、ジャンはぼけっとまた同じ事を考えていた。
緑の遺体に、銃撃戦・・・、
なんだかこのまま終わりそうに・・・ないと思うんだけどな。
だんだんと弱気になる自分。
そういえば、緑の死体の時にマスタードガス?っとかなんとかいうのは、最近の戦争では使用されていないらしいって聞いた。
多分、それを作成する人物が今はもういないんだろう。だけど、危険極まりない代物であるらしい。
テロリストならまだしも、今この世界でそんな自分までも危険に巻き込むような人物が居るとは思えない。
それにもしあったとしても、それを手に入れるのも一苦労だろう。
「やっぱり、わかんねぇな・・・。」
ぼつりとつぶやき、も一度大きく右手を振りかぶってバックを叩く。
バックは、左へと勢い良くぶらりと揺らめく。
そして、その直後にジャンはそのバックにクリンチをして、その動きを止める。
汗が、床へとぽたぽたと落ちていく。
玉のような汗が、床に跡を残す。
「ふぃ〜・・・、」
それにしても、
「つかれた・・・。」
ジャンは、ゆっくりとそこから離れる。
ランニングシャツも、そのただの20分やそこらのトレーニングでびちゃびちゃに濡れて、絞れそうである。
ランニングマシンも筋肉トレーニングマシンも今日は使おうと思ってはいたが、この汗ではマシンがびちゃびちゃになるかもしれない。
と片隅で言い訳を思いつつも、正直疲れたからだなぁと苦笑をした。
腕を見るとやはり玉のような汗が滲んでいた。
手の白いバンデージは、少しサンドバックについた汚れも吸い取っているのか色を変えて汗で湿っぽくなってしまっている。