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死線

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 死線「薔薇・トンネル・少女(ホラー指定)」



 イヤフォンから流れ込んでくる絶叫のような歌声に誘われて瞳を開き、閑散としたプラットホームに違和感を覚える。
 先程まで酸欠になるほどに混雑していたのがまるで嘘のようだ。ずいぶん長く眠ってしまったらしい。まだ意識が覚醒し切れていないようで、波打つ頭痛に合わせて目の前の風景が歪んでいた。
 今日は1限目に必修の講義があったことを思い出したけれど、今さら慌てても仕方ないので気にしない。

『ただ今ダイヤが乱れております』

 駅構内の電光掲示板は相変わらず無機質なメッセージを流している。
 次がいつ来るのか分からないので、バラードに変わった音楽を聴きながらベンチから立ち上がり、ホームの端の方へとぼんやり歩いていく。
 この高架駅はホームの中央から下り口方面にかけてが橋の上にあり、幅が狭くなったそこからは河川敷が望める。平日の川沿いをのんびり散策している人を眺めていると、此処とは違う緩やかな時間が流れているように感じた。
 でも、実際に行きたいとは思わない。
 子供の頃に家族で遊びに行った思い出があるけれど、そんなに綺麗な川ではなかったし、特に楽しかったという記憶もない。河原に横たわる魚の死体が気持ち悪かったのと、頬を滑る風が生臭かったという印象だけが微かに残っていた。

 不意に背中を這うような視線を感じ、陽光を浴びながらわたしは身を震わせる。
 
 思わず振り向くと、ホームの反対側の端に少女がポツンと立っているのが視えた。
 少しずつだけれど確かにこちらへ近づいてきていることに気づく。
 白いワンピースに長い黒髪。その小さな姿には見覚えがある。それはアイツとの思い出の中にあった。半年くらい前にアイツの車に乗って行った山奥の寂れたトンネル。惨殺された幼い女の子の死体が捨てられていたという暗闇。「その子の幽霊が出るらしいぜ」ってアイツは笑ってた。
 でも、そんなものはやっぱり視えなくて、すっかり枯れ果てた花が置かれていた場所にアイツが用意してきた新しい花を供えた。バラバラ事件の現場に赤い薔薇の花束なんて悪趣味だと思ったけれど、アイツが楽しそうだったからわたしも笑った。
 肝試しに飽きたわたし達が再び車に乗ってトンネルを出た時、バックミラーに人影がチラッと映った気がした。白いワンピースを着た長い黒髪の女の子がトンネルの闇の中からわたし達を見つめていたんだ。何度言ってもアイツは信じてくれなかったけれど。

 そんな記憶を辿っているうちに、視線の先から少女の姿は消えていた。
 どうやらまだ寝ぼけているみたいだ。いえ、本当は目覚めてさえいないのかも知れない。耳障りになったイヤフォンを外すと、耳まで一緒に引き千切ってしまったかのように世界は無音だった。

 アイツはわたし以外にも沢山の女と付き合っていた。たぶん、わたしはアイツの中で7番目くらいの女だったのだと思う。だけど、何十億人もいる地球上の女の中で7番目に選ばれるなんて奇跡的な幸せだと信じていた。 
 大学の知り合いとかは「あんなバカと付き合うのはやめなよ」って呆れ顔で忠告してきたけれど、アイツの心の中にも優しさのカケラがあることを知っているわたしは無視していた。
 でも、確かにアイツはバカで、だからバカな交通事故で身体をグチャグチャにして死んじゃった。わたしの頭を撫でてくれたり、わたしの膝枕で気持ちよさそうに眠ってくれたりしたアイツは突然にいなくなった。
 もしかして今ならアイツの霊も視えたりするかもとホームを見渡したけれど、やっぱり7番目の女の前にわざわざ現われることはなかった。

作品名:死線 作家名:大橋零人