ラクガキ 1
「そう!名づけるなら俺はテロリストのサブロウちゃんっていうの。」
気づけば、祐綺のシャツの裾が切れている。
うっすらと血がにじみ、汗と交じって鈍い痛みが彼の腕にまっすぐ刻まれた。
「今日は勧誘のお仕事でねぇ。君、不思議なチカラ持ってるでしょ?」
「……え…」
はいもいいえも聞かないうちに、男は話し始めた。
「おれさぁ、なぁんとなくわかっちゃうんだよねぇ。
だっておれ達って、どっかビビっちゃってる目、してるんだもの。」
「なにを…」
サブロウと名乗る男は不意に祐綺の胸倉をつかみ、捻り上げた。
「ああ、やっぱりだぁ。」
その笑顔は、およそ平和とはかけ離れた邪悪な輝きを秘めている。
「ただの人はさぁ、説明のつかない事が起こった時に、そんな面しねえんだよ。
世界からずれて、逸れて、消えていく恐怖に日夜怯えてるやつはさぁ、やっぱちがうわなぁ!!」
罵声とともに祐綺の体はいとも簡単に中に投げ飛ばされた。
小屋の壁面にたたきつけられ、受け身をとる暇もなく崩れ落ちる。
うずくまりなんとかこの場をやり過ごせないかと息を整え、ふいに胸ポケットに入れてあるミニノートに気付く。
よかった。ノートが無事という事は中の仲間たちはまだ無事だ。
……まてよ?
祐綺は、男を見つけるまでに感じた違和感を思い出した。
駐輪場に来た時、静かで人の気配がなくほっとした。
掃除当番でないからさっさと帰るのはこのためだからだ。
だが、こうして自転車小屋が一つ潰された今、なぜまだ人の気配がないのだ?
「あたま、冷えたかなぁ?」
男はいつの間にかしゃがみ込み、祐綺の顔を覗き込んでいた。
勧誘って、一体何の勧誘なんだ?
今日は外ればっかって事は、俺以外にもいたはず…。そいつらはどこに行ったんだ?
祐綺の頭の中では、そんなことばかりが渦巻いている。
それを知ってか知らずか、男は咳払いをして本題に入った。
「おれたちはさぁ、能力者を集めて世界を正しい方向に導く革命家なわけ。」
じわりと、ついに下着にまで泥水がにじむ。
「でさぁ、本来おれたちが持ってる不思議なチカラってやつはさ、みんな持ってるんだぁ。
でもそれじゃ都合が悪いと思ったえら~い人たちが、無理やり忘れさせてるらしいんだよ。
それっておかしくねぇ?」
祐綺はもはや男の話にはついていけなくなっていた。
どうやってこの場から逃げるか、そればかりを考えていたからだ。
大声を上げれば?いや、理由は分からないが周囲に人気がない今、助けが来るとは思えない。
かといって、一介の高校生に攻撃手段などない。
かくなるうえは、一度条件をのんだふりをして逃げる。これしかない。
男は何か話していたようだが、もはや祐綺は聞いてなどいなかった。
「じゃぁ、そろそろ勧誘のお話なんだけどぉ」
「いえ、結構ですよ。」
祐綺は自分が発した声なのだろうかと思わず口を押さえたが、その主は男の背後から現れた。
「やれやれ…少年、あんた今日はついてないね。同情するよ。」
「そんな必要はありません。能力者の宿命ですから。」
片方は初対面だったが、もう一方は今日の昼出会った人物だった。
「あんた…生徒会の…」
「ええ。また会いましたね。」
彼女はゆるくカールした髪を後ろでまとめ、昼とはまた違った意味で勇ましい闘気を醸し出していた。
もう一方はというと、制服のままで鞘付きの刀を背負い、右目はスコープのようなものが一体化している。
「まったく、まさかここまで手の内を明かさないといけないとはね。」
「あはは、おれも同感だよぉ。いつものちょっかいのハズが、つい本気になっちゃ世話ないねぇ。」
「ちょっかいならば、さっさとお引き取り願えますか。契約違反ですよ?」
同感だとでも言うように、刀使いはそっと構えを改め、男の前に立った。
男はそれを見て、ほろりと笑みをこぼした。
「つれない嬢ちゃんだねぇ…」
「危ない!」
地を突き破る轟音をまとい、先ほどよりも大きな刃が出現した。
祐綺は彼女たちのいた場所である刃の山の中を目で追った。
「忠告ありがとう、少年。」
「おかげで、もう一人見つけてしまいましたからね。」
声の主は祐綺の自転車があった場所から3つほど校門側の小屋の上にいた。
傷一つない彼女たちは、見慣れない小柄な男の後ろ手を抑えている。
「うへぇ…」
「すみません、サブロウさん。」
彼は、ジーンズにTシャツといったありふれた格好の上で、地味な雨合羽と長くつを着込んでいる。
その両腕は怪しい輝きが文様となって蠢いているが、
それよりも祐綺の目に映ったのは、不自然なところで途切れている彼の右足だった。
「あちゃぁ、つまり、俺たちは鼠捕りにまんまと引っ掛かったってわけだ。」
男はそう言って、含み笑いにも似たため息をついた。
「…交換条件です。無傷でこの方を連れて帰りたいのであれば、ここはお引き取りください。」
「ははぁ、じゃ、今我慢すれば彼の右足も返してくれるのかな?」
「もちろん。」
祐綺は彼らのやり取りにうすら寒いものを感じていた。
修羅場と言ってしまえばそれまでだが、自分がついにフツウとは違う世界に迷い込んだことに、諦めと落胆を感じていた。
そしてふと、気付いた。
右足がないのだから、刀で切り落としたのではないかと思っていたが、違う。
彼の右足からは血すらにじんでいない。
それどころか、切断面と思しき場所は綺麗に畳まれたかのように消えている。
「それでは、まずは彼から離れ、裏門側に10歩下がってください。」
男は言われたとおりに祐綺から離れ、ゆっくりと下がった。
それを見届けると、刀使いは屋根から飛び降り、祐綺のそばについた。
「今日は災難だったね。大丈夫?」
彼女の長い髪からふと柔らかな香りがして、草原に咲く白く可憐な花が思い起こされた。
「…はい。」
見たことない顔だけど、ちょっと、いい。
この状況でこんなことを考えられるなんて、我ながらかなり図太いなと祐綺は笑った。
そんなことを知ってか知らずか、屋根の上の女は大きく咳払いをして次の行動に移った。
「では次にこちらの方ですが、今から下に降ろしますので、今日は正門側からお帰りください。」
「…おれはどうされちゃうのかなぁ?」
「あなたは裏門から帰っていただきます。
尚、監視が付いておりますので、もし校門付近で待ち伏せをされた場合には、全力で排除いたします。」
「あぁそう。じゃ、 …さよなら、おっさん。」
それがなにかの合図だったのだろうか。
「………!!」
ゆっくりと歩き去るサブロウを見つめ、
男は拘束されていた手を無理矢理解き、懐から出した符を女の目の前に突きだした。
「ジャッジ!」
男の声に呼応するように、符から大小さまざまな腕が飛び出し、彼女を抑え込む。
ひとつだけ、金の腕輪をつけた腕が男を指さし、掌を差し出した。
「本質は“消失”!前提条件、“無生物”!」
祐綺の方向からは女の顔を見ることはできなかったが、その宣言を聞いて笑みを浮かべているように感じられた。
「…はずれ、です。」
彼女の答えに応えたかのように、腕たちは符を差し出した男を根こそぎ地面からもぎ取った。
サブロウはというと、裏門手前の小道からそれを助けるでもなく見ていた。