相聞歌
(3)
夕食後、自室に再び戻った佐衛士は、大伯父の部屋から持ち出した文箱を開けた。
小谷英治の消息を祖母に尋ねると、やはり八月六日に亡くなったのだと言う。
小谷英治は中学時代、大伯父・進一郎と競うほどに優秀な青年だったが、海軍兵学校には進めなかった。ひどい近眼で受験資格に達しなかったのである。戦時下の粗末な食料事情から体力が低下し徴兵基準にも満たず、文理大学に進学したものの身体を壊して休学。家業の提灯舗を手伝っていた。
西村家も小谷家も市街地にあったが、英治の一家は十キロ山寄りに移り、店舗を兼ねた元々の家には父親と二人で通っていたらしい。
あの朝、彼の父親は所用で隣町に出かけ、英治は店番をしていて惨禍に遭った。爆心より数百メートル。英治は少しの骨と壊れた眼鏡を残しただけだと言う。
「じいちゃん、何か言ってた?」
「それどころじゃなかったわ。うちも家族みんなを失ってしもうたから」
大伯父の心情は、黒い手帳に遺されていた。
『昭和二十年八月六日 俺はこの日を生涯憎む、憎む、憎む』
「憎む」と言う文字が呪詛のように、ページ一面に書き殴られていた。ところどころペン字は滲んでいる。それが涙の跡によるものだと想像するのは容易かった。
家族を奪われたことを呪ったのか、故郷を奪われたことを呪ったのか、想い人を奪われたことを呪ったのか。そのどれでもあっただろう。
進一郎は八月の時点でまだ退院出来ずにいた。自分の故郷に新型爆弾が落とされたと言うこと、そして町が壊滅状態となり、甚大な被害を人々が被ったことを軍関係からいち早く知って、すぐにでも現地に行きたいと思ったが、彼が松葉杖を使ってようやく故郷に帰りついたのは、九月も終わりのことだった。何も残っていない町の惨状を目の当たりにし、家族を失ったことを知った。そして英治の死も。「憎む」と手帳に書き殴ったのはその時だろう。
黒い手帳が不自然に膨らんでいることに気づいた佐衛士は、その元を探すと、二つ折にされた封書が最後のページに挟まっていた。
――小谷英治からの手紙だ
取り出して広げる。伸ばされてはいたが便箋は皺だらけであった。
手紙は佐衛士が読んだ何通かと同様に、大伯父が送ったものに対する礼文から始まっている。それから夏の暑さが本格的になり、中洲に出来た故郷の町では、例年通り、子供達が川遊びを始めて賑やかな様子が書かれていた。
盆に帰省出来るかどうかわからないとでも大伯父からの手紙あったのか、それについての返事は、
『とても残念なことではあるけれど、任務優先なのだからしようがない。でもくれぐれも身体を労うてください』
と、例によって相手を気遣うものだった。
日付は昭和二十年八月二日。あの日の直前に書かれたことがわかる。
手紙には追伸があった。
『進一郎、君に堪らなく会いたい。無理なのはわかっているけれど、やはり盆には戻ってきて欲しいと願ってしまう。
もし今度休暇が取れて戻る時は、足を延ばして宮島に行こう。それまでには体力をつけておくよ』
その約束は果たされなかった。
あの頃の郵便事情では、この手紙が大伯父の元に届いたのはかなり後のことだったと思われる。大伯父はすでに小谷英治の死を知っていたのだろう。便箋についた皺がそれを物語る。
――この人も、じいちゃんのこと、好きだったんじゃないかな
小谷英治の手紙は、どれも大伯父への思いやりに溢れていた。世相の暗さを感じさせず、それでいてわざとらしくなく、冒頭の頂きものへの礼文と、相手の身体を気遣う結尾を読まなければ、戦時中とは思えないくらい、ごく普通の日常的な文面。大伯父は彼からの手紙を読んで、しばし疲れを忘れただろうと佐衛士は思った。
きっと命がけで国を守る親友へ、細心の注意を払って書いたに違いない。相手のことを大切に想わなければ、こんな文章は書けない。
文箱の中のスナップ写真を手に取る。今、もし佐衛士が小谷英治と出会ったなら、歯牙にもかけないタイプだ。内面を知ろうとせず、外見だけで判断する。それでよく「より良い相手」との出会いを求められたものだ。そして遊びと割り切った付き合いでしか相対さないようでは、それなりの相手しか佐衛士の前には現れないだろう。あの拓真のように。
『今の時代の方がよほど自由じゃと思うぞ。 どんな恋愛も、本人の意志次第だ。うらやましいことじゃな』
「俺はじいちゃんが羨ましいよ」
もっとちゃんと恋をしよう。せっかく大伯父が羨ましいと思う時代に生まれたのだから。相手と向かい合う恋をするのだ――佐衛士はそう思いながら、スナップ写真の中の大伯父を見つめた。
机の引き出しを漁る。
――確か、白い封筒が残っていたはずだけど
ようやく未使用の白い封筒を見つけた。文箱から便箋を出して、大伯父が出さずにいたページを外し三つ折にした。それを封筒の中に入れて封をすると、文箱にまた戻した。