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相聞歌

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(4)




「遠いところ、ようお越しくださいました」
 指定された駅構内の待ち合わせ場所で佐衛士を出迎えたのは、小谷英治の弟・弘之だった。弟だと言うので、佐衛士は老いた姿を想像していたのだが、さほど年寄りじみていない。聞けば兄の英治とはひと回り離れていて、今年七十才になるのだと言う。まだ税理士として現役で働いているせいか、年齢よりも若く見えた。
 彼は左腕をギプスで固めている。
「手、どうされたんですか?」
「転んで手首を突いたんですわ。不細工な話です。ああ、車のことじゃったら大丈夫。『運転手』を連れて来とりますけん」
 駅の車寄せのところに一台のワンボックスカーが停まっていて、弘之氏はその車に佐衛士を導いた。運転席には若い男が座っていた。佐衛士と目が合うと、ぎこちなく会釈する。
 彼は大学二年生になる弘之氏の孫だった。最近のアイドルのように前髪や襟足を長く伸ばした髪型で、痩せすぎなくらいの体型をしている。どことなく、あのスナップ写真の英治と似て見えた。祖父の弘之氏に頼まれて仕方なくついてきたような風である。
 佐衛士は春になる頃、小谷家と連絡を取った。去年の夏に大伯父の進一郎が亡くなり墓参出来なかったこと、遺品の中に英治に宛てた手紙を見つけたので墓前に供えたいから、墓所を教えて欲しい旨を手紙に書いた。小谷家の連絡先を知る由もなかったが、英治からの手紙の住所と、文面から弟がいるらしいことはわかっていたので祖母に名前を確認し、それらだけを頼りに手紙を出した。住所は二処あって、市街地に出した方は戻ってきたが、郊外の方はたどり着き返事が来た。英治の弟・弘之は、昭和二十年に一家が転居した近くに存命で、墓所まで案内してくれると言うので、日時を打ち合わせた。八月六日は土曜日で佐衛士の勤務先は休みであったが、小谷家は何かと忙しいだろうと翌七日に決めた。
「進一郎さん、亡くなられたんやねぇ。去年、花がなかったんで、何かあったんじゃなぁかと思うとったんですが、連絡先、わからんかったもんで」
「じいちゃ…、いえ大伯父が墓参りしていたことは、ご存知だったんですか?」
「知っとりましたが、いつも私らが来る頃には帰られた後で、姿をお見かけしたんは、兄が亡うなって何年かした頃に一度だけなんですわ」
 車は緩やかな坂道を登り、市街地を見晴るかす丘陵地に着いた。エアコンの効いた車内から出ると、一遍に汗が吹き出す。今を盛りと蝉の声が忙しなく、更に暑さが増すようだった。
 新たに造成された霊園を通り、コンクリートで整備された墓間の路を奥へ奥へと進むと、昔からの墓所にたどり着く。小谷家の墓は桜の木のそばにあって、木陰になっていた。
「兄ちゃん、進一郎さんとこの甥御さんが来てくれたけぇ」
 弘之氏が線香に火を点ける間、佐衛士は大伯父の手紙をカバンから取り出し、墓前に供えた。
「尋哉(ひろや)」
 弘之氏は後方で所在無げに立つ孫に声をかける。彼は手に黄ばんだノートを持っていた。弘之氏はそれを、佐衛士が供えた手紙の下に重ねて置いた。
「兄の日記です。兄さんの想いが詰まっとる。毎日仕事場に持ってっとったのに、あの日に限って家に忘れてった。きっと進一郎さんに読んで欲しかったんかも知れん。いつかお渡ししようゆぅて思うとったんじゃが、結局、今日まで機会がなかった」
 弘之氏は目を細めて町を見た。彼はそれ以上、英治の日記の中のことは言わなかったが、先ほどの言葉で何が書かれているのか佐衛士には想像出来た。進一郎と英治の想いが、やっと通じあったのだと言うことが。
 三人で手を合わせる。「すん」と隣で小さく鼻をすする音が聞こえた。弘之氏には感じ入るところがあるのだろう。彼は兄の密やかな想いを、知ってからの六十年、ずっと心の中にしまっていたのかも知れない。
 手紙と日記は、今夏の盆の送り火で使うことになったのだが、それを聞いた弘之氏の孫の尋哉が「え?!」と声を上げた。
「それ、俺が形見にもろうたノートじゃん」
「本来、渡すべき人に渡せたんじゃ。おまえが持っとる必要はなかろうが。すんませんなぁ。どうもこの日記を読んでしもうたらしゅうて、どこが気に入ったんか、『俺が預かる』ゆって聞かんでして」
「よ、余計なこと、言うなよ」
 尋哉は顔を赤くして、弘之氏の言葉を遮った。佐衛士と目が合うと、キュッと下唇を噛み、上目遣いで睨み見る。
――こいつも、もしかして
 佐衛士がそのきつい目に笑みを返してやると、尋哉はプイっと横を向いた。佐衛士は思わず吹いてしまった。
「どうかしましたか?」
「ああ、いえ」
 くつくつと佐衛士の笑いが止まらないのを一瞥した後、弘之氏は尋哉に向き直り、
「やっぱりこの日記は『あっち』へ送ろう。やっと気持ちが伝わるんじゃから」
と言って、孫の頭をくしゃくしゃと撫でた。尋哉はまだ納得しかねる表情である。
 後で彼に大伯父・進一郎もまた、英治を想っていたことを教えてやろう。そうすれば日記と手紙を二人の『手元』に戻すことの意味が彼にもわかり、納得するだろう――と佐衛士は思った。
 一陣の風が、佐衛士の頬を撫でて過ぎて行った。その風の行方を追うようにして視線を流した先には、どこまでも広がる一片の雲もない青い空。
 佐衛士はその青の中に、古びた写真の中で微笑んでいた進一郎と英治の姿を見ていた。
作品名:相聞歌 作家名:紙森けい