アカツキに散る空花
▼序.幽始二百年『赤空の戦』
――漆黒の鬼達が、空を埋め尽くしていた。
十メートル近い黒い鳥型。翼の内側は赤い鱗で埋まり、頭部は人の頭のように丸い。そこから生え出た牙と角は、鬼と呼ばれるに相応しい風体だった。
《黄泉岩戸》の亀裂から現れた空を翔ける鬼、『空鬼』。
対する黒い群れが飛翔する先には、ほぼ同じ大きさの鋼鉄の巨鳥が何機も立ち塞がっていた。
神国『暁』が保有する対空鬼用飛行兵器、「天衣」。背後の国を守るため、人が乗り込む千機強の人工天衣はしかし、三倍以上の数で迫る空鬼群に対して劣勢を強いられていた。
『戦線左翼崩壊! 突破されます!!』
『何としてでも止めろ!! 神国を鬼どもに穢されるわけにはいかんッ!!』
『……っ、駄目ですッ! 止められません――ッ!!』
為す術も無く崩壊していく暁航空団。黒い鬼の濁流に、灰銀の天衣は次々に飲み込まれて火を噴き上げた。
だが鬼達の勢いに逆らうように――、その中心でふいに赤い球形の空間が発生する。黒で染められた空に赤い大穴が穿たれ、呑み込まれた数百体の空鬼が一瞬で消滅していく。
その中心に――、一機の天衣が浮かんでいた。
……それは他の流線形の天衣とは違い、凹凸のある武骨な外殻だった。胴部には荒縄を巻きつけ、赤銀の配色が派手派手しい。
赤い空間の中心で静止していたその天衣へ、球形空間が一気に収束していく。それを全て飲み込むと、赤銀の天衣は息を吹き返したように動き出した。
加速し、翔ける。
さらなる群れの深奥、空鬼達が現れる方角へ。空を何度も赤く染めながら、ただ一機の赤銀の天衣が千も二千もの鬼の群中を加速した。
『ハバリ、止めぬか!! それ以上は――!!』
赤銀の天衣の隣へ、一回り小さな紺青の天衣がふいに現れた。
しかしそれに構う素振りも見せずに赤銀の天衣は前進を続ける。紺青の天衣の必死の呼びかけにも応じる気配は無い。やがてそのまま二機が一定の空域を抜けた所で、赤銀の天衣は緩やかに高度を下げ始める。
地上にどこまでも広がる一枚岩の大地。その中心で、……黒い裂け目が見えた。
その裂け目からは大量に鬼達が湧き出て、地表と空を覆い尽くそうとするように広がる。
ここは《黄泉岩戸》の亀裂。
現世と地獄を繋げる境目だった。
『アレは――』
そして今、亀裂に近付く二機の目に映ったのは普通の鬼達だけでは無かった。
亀裂の向こう側。闇の深淵から、灼熱がたぎるように赤い瞳を持つ八首の大蛇が――空を覗いていた。
『あの怪物は……ッ!』
紺青の天衣に乗る白髪の男が、全身に鳥肌を走らせる。
眼下から這い出ようともがく怪物は――まさに伝承に聞き知る悪鬼と同じ。
だがそれに臆する事も無く、赤銀の天衣は――巨岩の裂け目へ荒々しい疾風となって急降下していくのだった。
『ま、待て、ハバリ! 分かっておるのか、アレは――!!』
『ネソク…………――――を止めろ』
赤銀の天衣から聞き取り辛い言霊を受け取った中年の操縦士は、目を見開いて動きを止める。
直後、《黄泉岩戸》の亀裂に――――赤い大光が強く輝いた。
轟音、震動、爆炎。
数秒に満たない僅かな時間。
切り崩した岩で亀裂を埋めながら、最後に閃光を発して――赤い大光は収束していった。
▼一.目覚める運命
神国「暁」の信仰と政治の中枢、暁宮。
その中でも最も神聖視されている紫祭殿の障子は開け放たれていた。
清々しい空気が板張りの床を撫で、白木の柱に纏わりつきながら抜けていく。
中には三つの人影。
少年と青年の境目ぐらいの年齢の二人が、円座という藁の敷物に腰を下ろしている。
正面には紫祭殿の奥へ繋がる襖があり、その前には巫女が立ち塞がっていた。
「……神剣を血肉に受けた英傑。天野叢雲、および戸塚火地煮」
「はい!」
「はい」
巫女の厳かな言葉に、二人の青年が返事する。その拍子に暁の第一礼装、大紋長袴の裾が微かに揺れた。
小柄な青年の礼装には雲と剣が合わさった家紋が、長身の青年の方には長い刃の剣の家紋が織り込まれている。
血肉に暁の神剣を受け継いだとされる『英傑』の家門。それがこの場に座るこの二人、天叢雲剣を継いだ天野家のムラクモと、十柄剣を継いだ戸塚家のヒヂニであった。
その二人の表情をジックリと眺めながら、巫女はさらに低い声で囁く。
「さて――。両名が齢十五を迎えるにあたり、これより選定の儀を執り行なう。その結果は父祖神イザナギの御意志である。異存はないな?」
「はい! 異存ありません!」
反射の速度で返事するのは、柔らかい笑みを浮かべる天野家のムラクモ。
焦げ茶の癖毛は耳にかかり、背は同世代の中では低い。目が大きく童顔なのもあり、二、三ほど幼く見える。
「同じく」
次に隣から答えたのはヒヂニだった。
背中に届く黒い長髪。形の良い口元をきりりと結び、あぐらをかいた膝の上で拳を握りこんでいる。
御巫はそんな二人へそれぞれ視線を送ってから、ゆるゆると頷いた。
「……それでは両名、奥の間へ。皇女より選定の神水を受けよ」
二人は一瞬だけ視線を交わすと、袖を振って立ち上がる。
彼女が襖の引き手に指を掛け、ゆっくりと開け放っていった。巫女の前天冠に付いた鈴が清く空気を震わせる。
そうして英傑二人の目前に神国「暁」の聖域、『伊邪那岐の間』が姿を見せた。
巨大な宮を支える太い白木が床を貫き、天井まで真っ直ぐに伸びていた。
ムラクモとヒヂニは柱の両脇に分かれて筵の上を進む。部屋は薄暗い。筵の横に等間隔で並べられた高燈台だけが視界を確保するための光源だった。
そのさらに外側では政府の要人である高官達が平伏し、二本目の巨木柱を境に平伏するのが巫女達に変わる。
三本目の柱からは人が途絶え、部屋の中央へ向かう筵の上を歩いて二人は合流した。
そこから先には無数の供物。この世の全てを捧げるかのように食物、花木、陶器、道具にいたるまでが供物台に置かれて板張りの床を覆い尽くす。だが二人が呆然と立ち尽くしていたのは、この建物の終着点、入り口とは反対側の壁を見上げているせいだった。
そこに――神社がそびえ建っていた。
屋内に建てられた神社にも関わらず、どこよりも立派な造りだった。中央の扉は開け放たれ、後ろの壁には『伊邪那岐神』と大きく書かれた掛け軸が見える。
遥か頭上でぽっかりと空いた天井の穴から光が差し込み、巨大な建物は神々しく輝いていた。
扉の前に鎮座する銅製の巨大神鏡が燦然と光を反射し、神社の左右ではそこだけむき出しの地面から榊の木が生えている。その領域と部屋を区切るように、神社の前には太い注連縄が張られていた。
呆気に取られて神社を見上げていた二人は、その内側へと視線を落とす。
目を凝らせば黒い布で顔まで覆った警護兵達が円を組むようにして数十人ほど立っている。
そしてその中心に、……御簾の垂れ下がった四角い物体が置かれていた。
暁の皇女の御帳台。
半神半人と崇められる皇女が、そこにいる。垂れ下がった帳の内側で、小さな影が揺らめく。
「……この日、父祖神イザナギは、成人となりた英傑に神栄天衣を与え給う――」
――漆黒の鬼達が、空を埋め尽くしていた。
十メートル近い黒い鳥型。翼の内側は赤い鱗で埋まり、頭部は人の頭のように丸い。そこから生え出た牙と角は、鬼と呼ばれるに相応しい風体だった。
《黄泉岩戸》の亀裂から現れた空を翔ける鬼、『空鬼』。
対する黒い群れが飛翔する先には、ほぼ同じ大きさの鋼鉄の巨鳥が何機も立ち塞がっていた。
神国『暁』が保有する対空鬼用飛行兵器、「天衣」。背後の国を守るため、人が乗り込む千機強の人工天衣はしかし、三倍以上の数で迫る空鬼群に対して劣勢を強いられていた。
『戦線左翼崩壊! 突破されます!!』
『何としてでも止めろ!! 神国を鬼どもに穢されるわけにはいかんッ!!』
『……っ、駄目ですッ! 止められません――ッ!!』
為す術も無く崩壊していく暁航空団。黒い鬼の濁流に、灰銀の天衣は次々に飲み込まれて火を噴き上げた。
だが鬼達の勢いに逆らうように――、その中心でふいに赤い球形の空間が発生する。黒で染められた空に赤い大穴が穿たれ、呑み込まれた数百体の空鬼が一瞬で消滅していく。
その中心に――、一機の天衣が浮かんでいた。
……それは他の流線形の天衣とは違い、凹凸のある武骨な外殻だった。胴部には荒縄を巻きつけ、赤銀の配色が派手派手しい。
赤い空間の中心で静止していたその天衣へ、球形空間が一気に収束していく。それを全て飲み込むと、赤銀の天衣は息を吹き返したように動き出した。
加速し、翔ける。
さらなる群れの深奥、空鬼達が現れる方角へ。空を何度も赤く染めながら、ただ一機の赤銀の天衣が千も二千もの鬼の群中を加速した。
『ハバリ、止めぬか!! それ以上は――!!』
赤銀の天衣の隣へ、一回り小さな紺青の天衣がふいに現れた。
しかしそれに構う素振りも見せずに赤銀の天衣は前進を続ける。紺青の天衣の必死の呼びかけにも応じる気配は無い。やがてそのまま二機が一定の空域を抜けた所で、赤銀の天衣は緩やかに高度を下げ始める。
地上にどこまでも広がる一枚岩の大地。その中心で、……黒い裂け目が見えた。
その裂け目からは大量に鬼達が湧き出て、地表と空を覆い尽くそうとするように広がる。
ここは《黄泉岩戸》の亀裂。
現世と地獄を繋げる境目だった。
『アレは――』
そして今、亀裂に近付く二機の目に映ったのは普通の鬼達だけでは無かった。
亀裂の向こう側。闇の深淵から、灼熱がたぎるように赤い瞳を持つ八首の大蛇が――空を覗いていた。
『あの怪物は……ッ!』
紺青の天衣に乗る白髪の男が、全身に鳥肌を走らせる。
眼下から這い出ようともがく怪物は――まさに伝承に聞き知る悪鬼と同じ。
だがそれに臆する事も無く、赤銀の天衣は――巨岩の裂け目へ荒々しい疾風となって急降下していくのだった。
『ま、待て、ハバリ! 分かっておるのか、アレは――!!』
『ネソク…………――――を止めろ』
赤銀の天衣から聞き取り辛い言霊を受け取った中年の操縦士は、目を見開いて動きを止める。
直後、《黄泉岩戸》の亀裂に――――赤い大光が強く輝いた。
轟音、震動、爆炎。
数秒に満たない僅かな時間。
切り崩した岩で亀裂を埋めながら、最後に閃光を発して――赤い大光は収束していった。
▼一.目覚める運命
神国「暁」の信仰と政治の中枢、暁宮。
その中でも最も神聖視されている紫祭殿の障子は開け放たれていた。
清々しい空気が板張りの床を撫で、白木の柱に纏わりつきながら抜けていく。
中には三つの人影。
少年と青年の境目ぐらいの年齢の二人が、円座という藁の敷物に腰を下ろしている。
正面には紫祭殿の奥へ繋がる襖があり、その前には巫女が立ち塞がっていた。
「……神剣を血肉に受けた英傑。天野叢雲、および戸塚火地煮」
「はい!」
「はい」
巫女の厳かな言葉に、二人の青年が返事する。その拍子に暁の第一礼装、大紋長袴の裾が微かに揺れた。
小柄な青年の礼装には雲と剣が合わさった家紋が、長身の青年の方には長い刃の剣の家紋が織り込まれている。
血肉に暁の神剣を受け継いだとされる『英傑』の家門。それがこの場に座るこの二人、天叢雲剣を継いだ天野家のムラクモと、十柄剣を継いだ戸塚家のヒヂニであった。
その二人の表情をジックリと眺めながら、巫女はさらに低い声で囁く。
「さて――。両名が齢十五を迎えるにあたり、これより選定の儀を執り行なう。その結果は父祖神イザナギの御意志である。異存はないな?」
「はい! 異存ありません!」
反射の速度で返事するのは、柔らかい笑みを浮かべる天野家のムラクモ。
焦げ茶の癖毛は耳にかかり、背は同世代の中では低い。目が大きく童顔なのもあり、二、三ほど幼く見える。
「同じく」
次に隣から答えたのはヒヂニだった。
背中に届く黒い長髪。形の良い口元をきりりと結び、あぐらをかいた膝の上で拳を握りこんでいる。
御巫はそんな二人へそれぞれ視線を送ってから、ゆるゆると頷いた。
「……それでは両名、奥の間へ。皇女より選定の神水を受けよ」
二人は一瞬だけ視線を交わすと、袖を振って立ち上がる。
彼女が襖の引き手に指を掛け、ゆっくりと開け放っていった。巫女の前天冠に付いた鈴が清く空気を震わせる。
そうして英傑二人の目前に神国「暁」の聖域、『伊邪那岐の間』が姿を見せた。
巨大な宮を支える太い白木が床を貫き、天井まで真っ直ぐに伸びていた。
ムラクモとヒヂニは柱の両脇に分かれて筵の上を進む。部屋は薄暗い。筵の横に等間隔で並べられた高燈台だけが視界を確保するための光源だった。
そのさらに外側では政府の要人である高官達が平伏し、二本目の巨木柱を境に平伏するのが巫女達に変わる。
三本目の柱からは人が途絶え、部屋の中央へ向かう筵の上を歩いて二人は合流した。
そこから先には無数の供物。この世の全てを捧げるかのように食物、花木、陶器、道具にいたるまでが供物台に置かれて板張りの床を覆い尽くす。だが二人が呆然と立ち尽くしていたのは、この建物の終着点、入り口とは反対側の壁を見上げているせいだった。
そこに――神社がそびえ建っていた。
屋内に建てられた神社にも関わらず、どこよりも立派な造りだった。中央の扉は開け放たれ、後ろの壁には『伊邪那岐神』と大きく書かれた掛け軸が見える。
遥か頭上でぽっかりと空いた天井の穴から光が差し込み、巨大な建物は神々しく輝いていた。
扉の前に鎮座する銅製の巨大神鏡が燦然と光を反射し、神社の左右ではそこだけむき出しの地面から榊の木が生えている。その領域と部屋を区切るように、神社の前には太い注連縄が張られていた。
呆気に取られて神社を見上げていた二人は、その内側へと視線を落とす。
目を凝らせば黒い布で顔まで覆った警護兵達が円を組むようにして数十人ほど立っている。
そしてその中心に、……御簾の垂れ下がった四角い物体が置かれていた。
暁の皇女の御帳台。
半神半人と崇められる皇女が、そこにいる。垂れ下がった帳の内側で、小さな影が揺らめく。
「……この日、父祖神イザナギは、成人となりた英傑に神栄天衣を与え給う――」