WishⅡ ~ 高校2年生 ~
なんとか廊下を抜け階段へと辿り着く頃には、掻き分けた人ごみの密集度にいささか息切れしていた。が、のんびりもしていられない。聴こえてくる筈の歌声が途切れたのだ。
『次の演奏でラストになります……』
スピーカーから聞こえてくる放送に階段を下りようとする慎太郎。その背中に航の声が当たる。
「シンタロ! 奏が!」
人波を押し退けての移動が奏の体力を奪ってしまったのだ。
「少し……休めば……平気……」
途切れ途切れの言葉で“ごめんね”と項垂れる。
「俺、“ちょっと待って”って言うてくる!」
言うが早いか、航が階段を駆け下りて行く。
「行こう。慎太郎」
膝から手を離し、奏が身体を起こした。
「大丈夫か?」
「うん。なんとか……」
肩で息をしながら歩き始める。その身体を支えるように手を添えた慎太郎が、手すりの方へと奏を導く。
「ゆっくりでいいぞ。航が先に行ってるから」
「……うん……」
――― そして、
「今来るから、ちょっと待ってて、下さい!」
パイプ椅子の観客席の脇を走りながら、息を切らせた航が後ろから来る二人を手招きする。ステージの上には、スタンドマイクと各々の楽器がセッティング済だ。航が一足先にステージに飛び乗り、ギターを手にする。チューニングを確かめるように弾き始めた曲は、いつもストラで最後に歌う歌。歌ではなくギターがその旋律を奏でる中、遅れてきた二人がステージへと到着した。
先に来ていた航の手前で慎太郎が止まり、ギターを手に取る。その慎太郎と航の後ろを通り、奏がキーボードの椅子に座った。心配そうに振り返る二人に“もう大丈夫”と奏が頷き、慎太郎と航がブルースハープの乗ったスタンドを首に掛けた。
互いにアイコンタクトを取り、息を吸い込む慎太郎の動きに合わせて最初の曲“銀杏並木”の演奏が始まる。
歌声同様、優しく響く慎太郎の音。それに寄り添うように危な気な航の音が響き、それを見守るように奏の落ち着いた音が演奏を深めていく。校庭に吹き始めた秋の風が、まだ色付く前の街路樹を揺らし、その音すらも“銀杏並木”の曲の一部であるかのような音を紡ぎだす。
「ありがとうございます」
沸き起こる拍手に深々と頭を下げて、慎太郎がMCを始めた。
「えー……。去年、歌わせてもらって……。今年もって事で……」
……途端、慎太郎の動きが止まる。
「シンタロ?」
どうしたのかと慎太郎を見る航。……の動きも止まる。
「慎太郎? 航くん?」
更にその二人を見た奏が、二人の視線を追っていくと……。
「奏―っ♪」
パイプ椅子の観覧席の最前列ど真ん中で手を振る藤森教諭とにこやかにステージを見る木綿花の姿を確認。
「マ、ママッ!?」
またたく間に真っ赤になる奏と、
「木綿花ちゃん……」
航。と、
「なんでそんなとこにいるんだよ!?」
逆ギレする慎太郎。客席からはクスクスと笑いが漏れる。
「職員の特権?」
……かしらね? と藤森教諭が木綿花を見る。
「職権乱用の便乗?」
……ですよね? と木綿花が藤森教諭を見る。
三人はというと、驚こうが恥かしかろうが、演奏をやめる訳にはいかない。
「……か、かぼちゃ……かぼちゃ……」
「……ここは、かぼちゃ畑……」
航と奏の二人がマイクに……客席に……背を向けて、必死に呟く。
「……ったく!」
小さく吐き捨て、慎太郎が気を取り直してマイクに向かった。
「目の前に“保護者”がいて、ちょっと動揺しましたけど……」
チラッと木綿花を睨みつけて、
「大丈夫か?」
と、かぼちゃ畑の自己暗示中の二人を見る。
「めっちゃビビった……」
大丈夫だと頷きながら、航が笑顔を見せた。その奥にいる奏も同じ様に顔を上げる。
「ごめんね。ウチの母が……」
奏の言葉にムッとする藤森教諭。
「こちらこそ、姉が……」
今年も“弟”と“従兄弟”で申請されているので、ここは“姉弟”という事で……。
そして、ワザとらしくマイクに声を通す慎太郎に木綿花がプッと膨れる。
「お、俺は何を謝ればいい?」
準備を終えた航が二人の間でキョロキョロと首を動かすと、会場から笑いが起こった。
「時間もありませんので、とっとと曲にいっちゃいます」
♪ たとえば……
最初は“僕らの革命”。
♪ 風と一緒に 学校へ GO!
三人の声が元気に号令をかける。
♪ ポケットには いつも
木綿花の周りにいつもストラで見かけるメンバーがいる事に気付いた慎太郎が会釈すると、
♪ “可能性”を探してる
“キャァ”と小さな悲鳴が沸いた。そんな事に不慣れな慎太郎が視線を後ろの二人へと反らす。二人とも、さっきまでの緊張は何処へやら……。視線を感じた二人が楽しそうな笑顔を返してくる。
やがて一曲目が終わり、拍手の中、そのまま次の曲へと移行する。
♪ 言葉のない世界で
二曲目は“メロディー”。
♪ 茜色の雲が
さっきまでコーラスを務めていた航の声がグランドに響く。
♪ キミがいること キミといること
奏と慎太郎の声が上下のハモに加わり、音に深みが増すと会場のあちらこちらから溜息が聞こえた。
♪ キミと出会って 取り戻した時間
間奏に響くブルースハープの優しい音色は慎太郎。会場を包み込むかのようにその音が広がる。
♪ キミがいること ここにいること
互いに顔を見合わせて、各々が自分の居場所を確認する。
♪ 紡いで繋げる
まるで歌詞通りの三人。
♪ ボクらのメロディー……
そんな三人に微笑ましい拍手が送られた。
「えっとですね……」
深いお辞儀の後、慎太郎がマイクに向かう。
「今回、こうやって呼んでいただいて……。何人かは普段僕らがやっている公園でのライブをご存知の方もいらっしゃっるっていうので、いつもの曲だとつまらないかもしれないって思ったんですよ」
この日のストラを中止にして桜林祭で歌っても、ストラと同じ曲ではあまり意味がない……と。
「でもって、ここは女子校で、俺ら……いや、僕らは……」
言葉に気を付けていた筈が、うっかり“俺”。慎太郎が慌てて言葉を訂正するが、
「えぇやん。いつも通りで」
“なぁ?”と航が奏を振り返り、
「肩こるよ、慎太郎」
“その通り”と奏が頷く。
「……あー……。じゃ、“俺”で……」
ヒョイと頭を下げる慎太郎に、会場からクスクスと笑い声が聞こえた。
「で……ですね。ここは女子校で、俺らは男子なんで。……となると、こういうのの方がいいのかなって、知識も経験も想像の中でしか存在しないんですけど……。聴いて下さい。“初恋”」
♪ その笑顔 失いたくなくて
前奏なしで三人の声だけで始まる、新しい歌。
♪ 心にベールをかける……
三人の声が小さくなり、ギターの音が静かに響く。
♪ 風に舞う桜の花びら
メインボーカルは航だ。そして、
♪ ふたつ並んで歩く影
言葉尻に奏の声が重なっていく。
♪ 叶わない恋だと 知っているから
作品名:WishⅡ ~ 高校2年生 ~ 作家名:竹本 緒