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小石 勝介
小石 勝介
novelistID. 28815
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金色の鷲子

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――やっぱ、江戸で決戦すべきだったのだろうか。何が尾張様だ! 誰も嘉昭の殿様のことや公儀隠密で小頭だった泰蔵のおっちゃんのことなんか知らねぇ。儀兵衛の爺さんのからくりの凄さを知らねぇだろう!
 誰も真実を知らないことに最初は激しい憤りを覚え、大声を上げて叫びたかった。所詮、人の苦楽は壁一重、壁を隔てた隣家の様子がわからないのと同じように、他人の苦しみや楽しみは他人事でしかないということなのか? それとも対岸の火事だとでもいうのか? 誰も鷹の悲しみや悔しさ、やるせなさを知らない。
 だが、最近ようやくそんな他人に腹が立たなくなってきた。時間の経過で記憶が薄れたせいではない。きっと連日、思考する余裕がないほど伊織に鍛えられているからだ。素振り二千回の後、伊織との激しい掛かり稽古で頭の回路が変わって行くような錯覚を受ける。きっと鈴が立ち木打ちに励んだのは、精神を高揚させることで悲しみを乗り越え、己に打ち克てることを鷹よりも早く気づいたのだろう。伊織は鷹の甘えを許さず、容赦がなかった。時折、鷹の中に潜む教経の鬼の部分が出てきて、伊織を梃摺らせたが、伊織はもっとそれを引き出そうとしているように思える。
 花川戸町に入った。鷹は町屋の賑わいを避け、桜並木の路を折れると河岸に降りた。
 腰を降ろしてそれとはなしに川で遊ぶ白い水鳥の群れを眺める。鳥の言葉を解して心の中へ語りかけてくる人の姿に水鳥達は驚いて警戒したが、敵意のないことを知って安心した。しかし、話の内容は水鳥達にとって理解できないことばかりであった。
――淀君の小母さんは江戸城を破壊して、その後どうするつもりだったのだろう? どうして白虎神や玄武神はあれほど小母さんに忠誠を尽くしたのだろう?
 何故、そんなことを考えたのかというと、あの時は思いもよらなかった右京の転生である。
――小母さんの誘いを断ることもできたはずだ
 平清盛は、転生を拒否したと天草四郎が教えてくれた。きっと天草四郎は、心の中に徳川幕府を怨む気持ちが残っていて、そこを付け込まれたと考えられるが、右京には、転生しなければならないほどのそんな強い怨みなどなかったはずだ。同じように小倉藩京都屋敷で柳生十兵衛や宮本武蔵など過去の剣豪が転生することを危ぶんだが、結果的にはそれも取越し苦労であった。
 夕飯を食べながら伊織に訊ねたが、やはりわからないと真摯に答えてくれた。
――いつかわかるさ。百年後か二百年後かもしれないけど……
 鷹は霞のかかった川下に目をやるとちょうど渡し船が川を横切って行くところだった。
 鷹の頭の中には伊織と歩いた関ヶ原から江戸への道中が甦ってきた。中山道を途中で折れ、尾張城下へ入った。
 そのまま尾張柳生を訪ねたが、鈴と連也斎は猿飛佐助の消息が入ったとかで信州へ旅立った後だった。顔見知りの裏柳生が庭掃除をしていて、彼から鈴の近況を聞くことができた。鈴は、小西行長の家臣で侍大将であった母方の姓である結城を名乗っているそうだ。名も鈴から志津香と名を変えたという。結城志津香、名付けたのは連也斎らしい。
「しずかって、おいらのおっ母さんの名前じゃねぇか。いくらおっ母さんが乗り移ったからって、もっと気の利いた名を考えろよ」
「いや、顔に似ず剣が荒々しいのでな。袋竹刀とはいえ、まるで刃の下に身を置くような攻め方をする」
 掃除の手を休めた裏柳生が苦笑してみせた。
「それは柳生の奥義に近づいておるのではないのか?」
 伊織が感心して見せたが、その裏柳生は首を横に振った。
「いや、死を恐れぬのではなく死ぬることを望んでいる捨鉢な太刀筋ゆえ、連也斎様が戒めて、心静かにと名をかえさせたのじゃが………。あのようなことがあったばかりじゃからのう」
 共に戦い抜き、生き残ったその裏柳生も鈴の事情はよく理解していた。
 まだ青年剣士の姿を変えていないことも師範級の者と試合をして三本に一本は取る腕前だとも教えてくれた。尾張藩主の御前試合でも勝ち抜いて準決勝まで進んだそうだ。示現流雲耀の打ち込みを自ら封印していなければ、優勝していたかもしれないというのが、試合を見ていた彼の感想であった。そのことは鷹だけでなく伊織も胸を痛めた様子であった。これから滞在する江戸の小倉藩藩邸の場所を書付にして預けてきたが、未だに便りはない。

 一月十四日の朝であった。
 小姓姿で肩肌を脱いだ鷹は素振りの手を休めて空を仰いだ。朝の太陽は、うららかな日差しで鷹の体は汗が迸っていた。
「雪でも雨でも降ってくれないと体がどうにかなりそうだよ」
 鷹は首に掛けた手拭いで汗を拭う。
 鷹等が江戸入りする前からもう二カ月近く晴れ間が続いているそうだ。庭掃除の老中間が教えてくれた。からっ風に空気が乾燥している。
「二日にも四谷竹町辺りで大火事があったようでございますよ。正月早々焼け出された人は大変だ」
「おいら、火には強いんだけどね」
 老中間が不思議な顔をして首を傾げた。五日にも吉祥寺周辺で火事があったことを教えてくれた。
「心配ないよ。もし、ここが火事になったらお爺さんのことはおいらが真っ先に担いで逃げてやるさ」
 鷹の笑顔が能天気に見えたのだろう。中間は竹箒と笊を持って庭を出て行った。
 まだ松の内なので伊織は江戸城へ上がらず、ずっと部屋で書き物をしている。伊織の咳払いが鷹の耳まで届いた。
「はいはい、後三百回で終わりまする。休んではおりませぬ」
 気怠るげに素振り用の木刀を振り上げた時、どこからともなく黒紋付を羽織った粋な芸者が現れた。歩くのに足音がしない。手にした三味線は仕込み刀であった。
「ちゃんと真面目にやっているじゃないか。感心だねぇ。だけど何だい、その恰好は? お侍になっちまったのかい」
「この恰好じゃなきゃ屋敷の中へ上げてもらえないんだよ。歩き方から襖の開け方まで、そりゃあ厳しいもんだぜ」
 不審者の訪問に廊下まで出てきた伊織が、菊之介だとわかると刀を右手に持ち替えた。
「伊織の旦那、傷の方もすっかりよくなったようでござんすねぇ」
「おぬしが江戸に入って来たということは、妖怪も近くにいるということかな?」
 菊之介は艶っぽく頷いて伊織の傍に腰かけた。鷹も菊之介の傍へ寄ろうとすると伊織から叱責された。
「後二百九十八本ぞ。終わるまで来てはならぬ。菊之介殿、ここでは鷹の気が散るで、奥へ上がられよ」
 菊之介を奥座敷へ誘う伊織が、もう一度鷹に念を押した。
「素振りの音は聞いておるので、一本一本をおろそかにするでないぞ。素振りが終われば掛かり稽古じゃ」
「あちきもお手伝いいたしやしょう。冨田流小太刀の免許皆伝ですぜ」
「それは良い。胆力を鍛えるには小太刀が一番じゃ。しばらく菊之介殿にこやつの指南を頼もう」
「その代わり、いきなり指先から火の玉が飛び出すのは、無しでござんすよ」
 二言目には英彦山へ帰れという伊織に逆らえない。鷹は怒鳴るような大声の気合を上げ、素振りを繰り返した。
作品名:金色の鷲子 作家名:小石 勝介