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小石 勝介
小石 勝介
novelistID. 28815
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金色の鷲子

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 夜が明ける前に、鈴は鳥の鳴き声にも似たけたたましい掛け声を聞いて飛び起きた。いつ果てるともない掛け声におそるおそる障子を少し開けてみると、右京と泰蔵がそれぞれの立木に向かって木刀を何度も振り落としていた。泰蔵の左右交互に振り落とす袈裟切りも凄まじいものであったが、右京のそれは目に見えないほど早かった。木刀の当たっている所からうっすら煙が立ち昇っている。周囲の坊舎に迷惑になるのではないかと鈴は心配したが、他の修験者はすでに修業へ出かけて留守のようであった。鈴は二人の立ち木打ちに魅入られて縁側に座り込んだ。すっかり朝陽が昇って、やっと泰蔵が汗だくの体を労わるようにふらふらと縁側まで戻って腰を下ろした。
「お鈴どん、びっくりさせてしもうたのう。じゃっどん、我等の日課じゃけん、許してくいやい」
 泰蔵は大声で笑った。
「何回、打つの? 小父さん」
「朝は三千回じゃ。でも右京どんは凄か。おいは汗まみれじゃが、おい以上の速さで打ちおろすのに涼しい顔しちょる」
「ふーん」
 鈴は下駄をつっかけて庭に降りると右京の邪魔にならないようにそっと後ろに立ってその鋭い打ち込みを眺めた。そんな鈴を気にすることもなく右京は目の前に集中している。
 鈴の脳裡に昨日の光景がよみがえって来た。右京は、恐くて堪らなかった槍の男達をこの撃ち込みでやっつけてくれたのだ。
「やってみらんや?」
 泰蔵が鈴に向かって自分の木刀を投げてよこした。受け取って鈴はよろけた。想像以上に重い木刀だった。
「柞の木の枝を長い時間かけて乾かしたもんじゃ」
 泰蔵はにやにやと笑っている。自分の打ち込んでいた木を指さして、やってみろと顎をしゃくった。
「……やったことないし、やり方もわからない」
 自信無げな鈴であったが、「好きにやればよか」と泰蔵に促されて、そっと立木を打ってみた。
「大きな声を出さんね。ほら、こうじゃ。チェースッ!」
「キャーッ!」
 鈴も泰蔵の真似をして叫んでみた。大きな声を出すと何故かすっきりとした気分になった。
「そうじゃ、その意気で打ち込め」
 泰蔵が囃したてる。
 夢中で打ち込む鈴に、いつの間にか右京も手を休めて眺めていた。もともと感の良い娘だったのかもしれない。ずっと右京の後ろに立って立ち木打ちを注視していたためか、蜻蛉の構えも様になってきた。武術家として右京は助言したくなることもあったが、自重して声を掛けなかった。
 鈴は流れる涙を拭うことも忘れ必死で打ち込み続けた。息が切れて途中で手が止まることがあっても、それは僅かな時間でしかなかった。三百本は打ち込んだかもしれない。鈴の掌は皮が破けて血が滲んでいた。
 そんな鈴の体から吹き出してきた汗を心地よく吹き飛ばす風が通り過ぎた。鷹が帰って来たようだ。
「ぞっとしねぇな。敵討ちの練習かい?」
 不機嫌な顔をした鷹の背には、侍姿の若者がおぶさっていた。上質な羽織には三階菱の紋所が入っていた。小笠原家の家紋に違いなかった。
 縁で寝そべっていた泰蔵が裸足で庭へ飛び降りて来た。
「そのご仁は、まさか!」
「泰蔵の小父さん、腹がへった。何か食べる物はないかい? お殿様にも何か食わせてくれよ。逃げ回るのに随分走らせちまったから」
「こりゃたまげた。本当に幽閉されていたお殿様を連れて来たのでごわんどか!」
 一万四千石豊前茂林藩主小笠原嘉昭は夜通し走らされたせいかぐったりと鷹の背にもたれている。
「追われちょるね?」
 辺りを憚って声を潜める泰蔵の問いを鷹は鼻で笑って無視し、右京を睨んだ。
「右京の兄ちゃん、お鈴ちゃんに剣術の稽古をさせてどうする気だい?」
 藩主を泰蔵に預けた鷹は、右京に詰め寄った。無論右京が勧めた訳ではないが、止めなかったのも事実である。右京が言い淀んでいるのを見兼ねた鈴がまた甲高い気合を掛けて立ち木打ちを始めた。
「あたいが、やりたかったからよ。小父さんは関係ない。勝手にやってるの」
 鈴の刺々しい態度に鷹は怯んだ。
「お鈴、鷹殿は父上や母上の恩人ではないか。恩人に向かってその物言いはないぞ」
 鷹が訝しんで右京を見た。右京の言っている意味がすぐには理解できなかったのだ。
「おっ父とおっ母を折角島原から助け出したんだったら最後までどうして面倒みないのよ。わざわざここまで連れて来たんだったら最後まで……」
「おいらと仙吉さんのこと知っていたのかい?」
 鈴が睨んだ。今にも溢れそうな涙目を吊り上げた形相は、面立ちが細いせいか般若のようだった。
「………ご、ごめん、悪かった。気付くのが遅かったんだ。間に合わなくてごめん」
「でも天狗の技を使っても敵わなかったじゃない。助けてくれたのは右京の小父さんだよ。槍を突き付けられて何にもできなかったくせに!」
 鷹が答えに窮しているのを見て、嘉昭が足元をぐらつかせながらお鈴の前に出た。
「すまぬ。来る途中に鷹殿から話は全て聞いた。余の不徳といたすところだ。源四郎に書状を託したばかりに腹心ばかりかおぬしの父母まで巻き添えにしてしまった。いくら詫びても済むことではない。おぬしのことは余が必ず悪い様にはせぬ。できる限りのことはする。許してくれ」
 嘉昭は地べたに座り込むとお鈴に向かって両手をついた。藩主の真摯な態度に怯んだ鈴であったが、唇を噛んで木刀を蜻蛉に構えた。気迫のこもった構えだった。気迫は怒りから生まれているに違いなかった。手の豆が破けて血の滲む木刀は、明らかに嘉昭の頭を打ち据えようと狙っている。鷹も右京もお鈴を制しようと慌てたが、覚悟を決めた嘉昭が皆を押し止めた。どのくらい時が経ったであろう。両手を突き無防備な背を晒したまま俯く嘉昭と木刀を構えたまま振り落とせないお鈴の横で、鷹が胸の前で印契を結んでいた。
「青龍……百虎……朱雀……玄武……空珍、南儒……北斗……三態……玉如………」
 鷹の口から低い呪文の声がずっと漏れてくる。眉間に滴る汗を拭おうともせず鷹は、懸命に念を送り続けた。何かに抗いながら何度も鈴は気合を入れ直した。それは絶叫に近かった。鈴の気合に呼応するように鷹の呪文も鋭くなった。鈴は声を上げるたびに振り落とそうと力を込めるのだが、金縛りにあったように動けなかった。何度も構えを直す鈴を見兼ねて泰蔵が後ろから抱きとめた。
「もう、よか、よかよ。お鈴どんは、優しい娘じゃ。殿様を打ち据えることなんぞできもうさん。それで、よかっちゃ!」
 手から木刀が剥がれ落ちると同時に、鈴がその場で泣き崩れた。嘉昭が恐る恐る鈴の肩に手を掛けて何度もすまぬと謝り続けた。泰蔵が二人を坊舎の中へ上がるように促して連れて行く。
「鷹殿、金縛りの法でござるか?」
 右京の問いに鷹が苦笑いしてみせた。
「結界が近いからね。効いたかどうかはわからない。いや………」
 鷹が、確信した表情で右京を見上げた。
「殿様を打てなかったのは、お鈴ちゃんが優しかったからだよ。小さい頃から知っている。ちょっと気は強いけどね。まだ、おいらも修業不足だ。なんせおいらのおっ母さんは人間だからね。おいら半人前なんだ。なかなか親父みたいにはならねぇ。親父は天狗の元締めなんだぜ」
「親父殿がおられたか?」
「おっ母さんは、とっくの大昔に死んじまったけどね」
作品名:金色の鷲子 作家名:小石 勝介