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小石 勝介
小石 勝介
novelistID. 28815
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金色の鷲子

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「それで、そちは池田殿を捨て置きここへ戻ったというのか!」
 所司代に阿る小倉藩留守居役からの思わぬ的外れな責めに右京が言葉を失った時であった。別に藩の留守居役ごときから指図される覚えはない。いきなり連也斎がまさに怒髪天を衝くというに相応しい形相で進み出ると、抜く手も見せず愛刀肥後守秦光代で留守居役の横に立てかけた燭台を火ごと縦に斬り割った。真二つに割れた燭台がゆっくりと左右に倒れる。連也斎の起こした太刀風は一瞬にして大広間の空気を静寂に変えた。
「くだらぬことを申すな。ことは急を要す。これから先のことを論じるならともかく、二度とかような馬鹿げたことを言うと、貴殿の首が飛ぶぞ」
「……ぶ、無礼な」
 留守居役が目を剥いて怒りを見せたが、正統な柳生の後継者に対して臆しているのか声も指先も震えている。連也斎の勢いに圧されて黙った上座を見て、鷹は留飲が下がった。右京も連也斎と一緒に死地を潜ったせいか、連也斎の性格がわかった後は、悪い印象を持っていない。俯いて小さく笑った。
 宮本伊織が進み出ると、連也斎は何事もなかったかのように元の座に戻り胡坐をかいた。
「所司代殿、ここは我が小倉藩藩邸でござる。筆頭家老である拙者がここを取り仕切りたいと存ずるが、よろしいか?」
 伊織が所司代の牧野親成に礼を尽くした。親成自身、想像を超えた出来事にどう差配してよいかわからず、伊織の申し出は渡りに船である。
 伊織がさらに裏柳生からの報告も聞き合わせて、岡山城の攻防を吟味して行った。
 豊臣国松と思しき土御門豊全は、魂魄共々この世から消滅した。そして、豊臣の天下一統をもくろんだこれまでの城攻めは豊全が画策していたと推測できる節がある。何故なら大量の傀儡兵を動かすには如何に術達者な豊全といえども効率を考えなければならなかったはずだ。殲滅破壊した藩の藩士を傀儡兵として組み込み、移動するならば隣接した藩を狙うしかなかった。夥しい傀儡兵を操っていたのは豊全による祈祷であり、豊全が落命した今となっては傀儡兵が今後現れることはないであろう。つまり豊全のことは解決したといってもよい。
 残された問題は、淀君の怨霊の件だけである。淀君の放つ地獄焔は、城ひとつを消滅させるほど強力で、一番頭を悩ませるのが神出鬼没であるということだ。豊全が生きていればある程度辿る道筋が予測できただろうが、これからはどこに現れるかわからない。豊臣家の血筋が途絶えた今、直接江戸城を狙わんとも限らない。
「しばらくは大丈夫でござろう」
 座敷の後ろから声がかかった。僧侶の一団が座していた。その中の一人である。
「御坊、しばらくという根拠は?」
 伊織が気持ちを押さえて尋ねた。あまりに軽率な感じを受けたためだ。小倉城の惨状を目にしていないためかもしれない。しかし、その僧侶は伊織の憂慮に気づかぬのか殊更泰然と構えてさらに話を続けた。
「徳川三代に御仕えした天海僧正の結界が、江戸を守護しております」
 住職は天海の名を出すと恭しく頭を下げた。
 天海僧正は、江戸城を霊的に守るために、徳川家康を祀る日光東照宮を北に、上野の寛永寺、神田明神を鬼門守護、徳川家の菩提寺増上寺を南、日枝神社を裏鬼門に配した密教的魔方陣を構築していた。
「淀殿の霊力も計り知れませぬが、天海僧正の法力には敵いますまい。淀殿といえども江戸をたやすく破壊するわけにはまいらぬかと存じます」
 住職の自信満々な態度に納得する者も少なくはなかった。また江戸の城下に目黒不動、目赤不動、目白不動、目青不動、目黄不動など五色の不動を配置したのも天海であった。密教でいうところの「地、水、火、風、空」を現す五色である。
 つまり何重にも結界が張られている。
「平安の古より四神結界に守られておるこの京のようにか?」
 安心した所司代の牧野が京の結界を口に出した時であった。
 大地がずどんと大きく揺れた。座敷の襖が全て熱風で吹き飛ばされた。すぐさま全員が庭へ飛び出し、夜空を仰いだ。
 その夜空を覆うような巨大な女性の幻影が浮かび漂い、火焔珠が乱れ飛んでいる。京都所司代の牧野は自分の目を疑った。話を聞いていても今一つ信じられなかったのだ。まさか公儀隠密と裏柳生が一緒になってわざわざ奇想天外な嘘を吐いているとは思わなかったが、今までの経験と常識を超えていたのだ。ただ冷静に事実を確認しようと努めて黙っていた。しかし、天上の女は、一か所へ集中的に火焔珠を撃ち続けている。火は途中で跳ね返されているが、耐え難い熱風が地上まで伝わってきた。同時に獣の遠吠えのような悲鳴が京都の四方から上がり続ける。
「四獣神が泣いている………」
 鷹の背を冷たい汗が流れた。
 京都の北に位置する羽茂雷神社の方角から玄武が痛苦に身をくねらせその極大な姿を現した。玄武は骨肉の奥から金色に身を輝かせたかと思うとその固い岩のような甲羅とともに漆黒の空に砕け散っていった。女は綻びた北から火焔を撃ち込むと、鷹等の方を見つめて笑いながら上空を漂っていた。しかし、玄武は斃されたが、青龍、白虎、朱雀が傷つきながらも淀君を京の都へ降り下ることをなんとか阻止している。既に相当量の火焔を撃ち放したはずであった。今夜はこれで終わりでも後三晩、いや二晩で京の都は炎上し、消滅してしまうかもしれない。
「内裏が燃えておる! 二条城も………」
 留守居役が北西の空を指差して腰を抜かした。動揺したらしく何度も同じ言葉を叫ぶ。
――誰が古の結界を破れぬと申した?
 ふいに鷹の心に向かってぞっとするような声が届いた。鷹だけではない。そこにいる全員同じ声を聞いているようであった。
――方広寺鐘銘で姑息な浅知恵をひけらかす天海ごとき、如何ほどのことがある。
 小倉藩邸の話を盗み聞いていたのか、淀君の怨霊が京都の結界を崩すことで力を誇示して見せたのであろうか。小倉藩邸に集まった僧侶達が思いもよらなかった怨霊の力に恐怖して慄いている。一斉に経を唱え始めたが気休めにもならず、所司代を始めとする文治派の武士の不安を余計煽るだけであった。
――我が孫を殺したのは、誰じゃ…………許さぬ………国松同様、地獄の焔で焼き殺してくれようぞ! 小笠原嘉昭の手の者とは、わかっておる。名乗り出ぬと京に住む無辜の民とともに地獄へ落ちると覚悟せよ
 そのおぞましい怨念の声に中てられて胃の中のものを吐き出す者も出た。
 淀君が北にできた結界の裂け目から次は小倉藩邸だとでもいうように指差すと、地獄焔の発動態勢に入った。藩邸に動揺と混乱が渦巻き、門から逃げ出す者もいる。
 すぐに別の声が心の中に届いた。天草四郎からであった。
《鈴さん、すぐに八咫鏡で地獄焔を跳ね返してください。もう淀君には大きな熱量を放出する力が残っていません。鏡の力で十分撥ね返せます。鏡面を焔に向けてください》
 鈴が素早く座敷へ駆け上がると、自分の荷の中から預かっていた神鏡を取り出して戻った。八咫といえど、たかだか径二尺の鏡である。
 鈴にはあの強大な火焔を跳ね返せるのか疑問に思わずにはいられなかった。
「こんなものであの火が跳ね返せるの?」
 暇ができると鏡面を磨いていた鈴であったが、うっすらと覆う薄緑色の錆は拭いきれないままである。
作品名:金色の鷲子 作家名:小石 勝介