願い石 叶い石
一話 一話 大志を抱く少年【3】
「ばっかじゃないの?」
「ぶーひぶーひ」
背中に刺さるトゲのある言葉によろめいて、ディンは手近な木にすがった。ルーシェの容赦ない発言も痛い。だがなお痛いのが、もっともだといわんばかりの仔ブタのうなずきだ。
バイアス山を懐に抱いて広がる森は、道をはずれると慣れた者でも迷う。狼や熊などの危険な獣も多く、森の奥まで踏みこむ者はまれだそうだ。しかし街道を行くより近いので、森を突っきる山越えの道もあった。ただ数年前、山に幻妖が封じられて以来使われていないという。
そんな山を越えるハメになったのは、一昨日までの長雨のためだ。
街道の橋が川の氾濫で落ちたのだそうだ。迂回路では日数がかかりすぎるし、渡し船をだすには水のいきおいが引くまでまだ幾日か待たねばならない。
それでもなくても雨のために日程は遅れている。通行可能になるのを待てるほど、のんきな旅ではなかった。
朝早く立てば、日が暮れる前には山向こうの里につける。
そういう里人の勧めに従って出発してきた。だが幻妖に襲われたときか、元の場所に戻ろうと迷っているときに時間をくったのか、ひとえに慣れない山道のせいか、頂上も見ないうちにすでに日が傾いていた。
暗くなる前に野宿の算段をするべきなのだろうか。それともこのまま夜通し歩いて山を越えたほうがいいのか。
危険な獣のいるところで野宿なんて、襲ってくれというような気もする。けれど昼でさえ薄暗いようなところを、夜歩くのも無謀だと思える。どうしたらいいのか、こんな経験は初めてで、教えてくれる大人たちももういない。
だから自分で考えなければと思いつつ、ディンは顔をしかめた。
後ろがうるさくて、思考がまとまらないのだ。
彼女たちと出会った場所から、仲間の元へ戻ろうと迷っていたきには力を貸してくれた一人と一匹だが、今は単にジャマしているとしか思えない。
頼んだわけでもないのについてきて、両側が切りたった崖になった山道を歩きながら、一瞬も黙ることなく無謀な子供への非難をつづけているのだ。
その刺さり続けるトゲの毒がとうとう足にも回ってきたのか、足下も覚束なくなっていた。
けれど一向に容赦してくれる気のないらしい幻妖と仔ブタは、なお言葉を重ねる。
「だいたいさっきだって、おまえになにができたって? 逃げ回ってただけじゃないか」
「ぶひひぶひぷぎ、ぶぶひぶひぶひ」
「だよね、わたしが助けなかったらいずれ死んでたよ。ほら、ブヒコさんもこういってる」
「ぶぶっひぶひぶひ」
「いえてる。あのさ、いったいどんな英雄譚を寝物語に聞いてその気になったか知らないけど、おまえ、絶対無謀だから」
ブタにどの程度の知能があるものなのか。
重い足を引きずって再び歩きだしながらディンは考える。
犬猫程度にならあるのか、それとも幼児程度はあるものなのか、残念ながらブタと親交を深めたことがないのでわからない。通訳が正確なのか創作なのかはどうかとしても、声音や口調の感じからして、こぶたに説教されていることだけはよくわかって、非常に複雑だった。
「ぶぶひぶひぶひぶひひひひ、ぶひぶひぶぶひぷぎぶひ」
「子どものころは多少無茶したほうがいいけど、おまえのは範囲を超えてるって。ブヒコさんのいう通りだぞ。大志を抱くのはいいけど、死んだら終わりなんだから」
「ぶひぶひ」
「せめてもう少し成長してからにしたら」
「ぶひひぶひぶひぶぶひ」
「あたら若い命を散らすなって。だいたい、さっきだって剣を構えるぐらいはできたんだろうね?」
ぐさりと特大のトゲが背中に突き刺さって、ディンは思わずへたりこみたくなった。心配してくれているのだと思っていたから黙って拝聴していたが、単にバカにされているだけかもしれない。
だいたい幻妖の王を倒すの倒さないのと、幻妖とする会話ではない。
「いいから、これ以上構わないでくれないか」
振り返って重い溜息をついた傷心のディンに、彼女らはふんと鼻を鳴らした。
「これしきの山道で肩で息してるんじゃ、幻妖の王を倒すなんて夢のまた夢だと思うけど」
「ぶひぶひ」
歩き慣れない山道のせいで、すっかり息があがっていた。
何年も使っていないという道は、道があってなきがごとしで、そのうえぬかるんでいるから、どうにも足場が悪く歩きにくい。話では馬も通れるということだったが、実際に連れていればかなりの苦労を強いられただろう。
やけに汗が噴きだした。それでいて震えがくるほど寒いのは、かいた汗が冷えたせいなのか、日暮れが近いからなのか。ずいぶん暖かくなってきたとはいえ、夜はまだ冷えこむ。
疲れと寒さでディンがもう足もあがらなくなりかけているというのに、ずっとしゃべり通しのルーシェとブリリアントは息一つ乱していなかった。まあ宙に浮いているし、幻妖なのだからルーシェは関係ないかもしれないが、仔ブタのほうは短い足でかなりの健脚である。
これくらいで音をあげていては確かに、ルーシェの言葉を否定できない。ディンは荷物を担ぎ直すと、気合いをいれて歩きだした。
その背に、ルーシェがなお言葉を重ねた。
「だいたい、幻妖の一匹も倒せないヤツが、敵う相手だと思ってるの?」
「幻妖の王を倒したいとは思う。でも最終目的じゃない。昔は幻妖を倒すのに、今ほどの苦労はなかったそうだ。
王が現われて、幻妖があれほど強堅になったのではないかという話を聞いた。だから王を倒せば、幻妖ももっと倒しやすくなるんじゃないかと思ったんだ」
「それじゃあなに? 幻妖の王を倒すのではなく、幻妖をすべてをこの世から抹殺することが最終目的だってわけ? 物語の英雄かなにかのつもり?」
「ぶぶひ……?」
さっきまでのからかいまじりの様子とは明らかに違っていた。口調からやりとりを楽しむ余裕が消え、変わりに冷ややかさがまじる。
唐突な変化についていけず、ディンは振りかえる。ブリリアントもまた、心配げにとなりをいく幻妖を見あげていた。
「何をムキになっているんだ? 心配してくれるのはありがたいが……」
「誰が心配してるなんていった? せっかく助けたのに、無駄になるのがいやなだけだ。助けるんじゃなかった。どうせ粗末にするなら、幻妖に襲われたとき死んだってかわらなかったじゃないか」
「助けてもらったことはとても感謝してる」
「してるだって!? してたらそんな無茶、考えたりしない」
「残念ながらこれは、幻妖に襲われる前から考えていたんだ」
場を和ませようと、おどけた調子でいったみせたディンは、しかし刃をひそませた鋭い視線に、降参と諸手をあげた。
「本当に感謝している。ルーシェにとっては不本意かもしれないが、おかげで旅が続けられる。それに、無謀も無茶も無理も承知の上だ。それでもしなければ……いや、しようと決めたんだ」
息がつづかず、立ちどまって肩で息をし、袖で額の汗をぬぐう。
ディンに冷ややかな視線をむけながら、ルーシェは脇をすり抜け、前に立って進んでいく。つられてディンもまた歩きだした。
「だからっておまえに何ができるって? 幻妖の王を倒すなんていうけど、どうやって倒すつもり? 幻妖の王がどんなヤツだか知ってるの? どこにいるかわかってる?」