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決して四通八達した土地柄ではないこの町の急務は都市部とこの町をつなぐ利便性のある道路の建設であると、昨夏に行われた町長選挙で蝉の鳴くのより煩雑に耳にした台詞である。その工事は既に何年も前から計画されていて、本格的に着手されたのは昨年度末。その日から通学するたびに生活圏に接地した山は目覚しく変化を遂げて、日常が変容した。
しかしながら現在私の眼前に映るその道は、およそ夏季休暇以前からいくらも伸びてはいない。そのことに気づくのには少し時間を要して、私が時間を不意に持て余した夏休み後だった。生まれたときからこの土地に慣れ親しんできた私はこの町のほんの些細な変化を受け取ることができたのに、はたと止まった工事の様子にはまるで気づかなかったのだ。どこかで工事の様子を日常の一部であったと既に意識が捉えていたのだろう。私はそれを自覚した時、少しだけショックを覚えていた。
進退すっかり窮まった摩天の構造物。それを視野に捉えるとき心身が窮屈になる感覚に陥る。一言で言えば嫌悪、だがその根源はもっと別のところで、私自身と深くつながっているのだと知る。
私はなんとなく居心地が悪くなって、それから解消されたい一心でほとんど無意識のうちに私は高速道路から背を向けていた。眼下には私の住みなれた町があまりにちっぽけに広がっていて、脱力するほどの虚無感が沸いて出た。
唐突に腹の虫が鳴り出して、意識が現実に引き寄せられていく。時計を見るとすでに昼時を過ぎていて、私はその場にへたり込んだ。久々の登山は思った以上に足腰にきて、私も年だなぁと、深い嘆息とともに年寄りじみたことを呟く。
風呂敷を広げてお弁当箱を取り出し、そこから大き目のおにぎりを一つ手に取った。冷たくなったおにぎりを口に頬張ると粉末の鮭が口の中で泳いだ。私は自然の音に飽きて、彼女がいつも口ずさんでいたあの歌のフレーズを思い出そうとする。
その時、頭の中で歌詞が駆け巡るのと重複するように山中を駆け巡るものがあった。それはあまりに聴きなれてしまったもので、一瞬夢うつつの判断が困難だった。おにぎりをゆっくりと三回咀嚼するだけの時間をもってしてようやく実感をもって理解する。とともに、理解からワンテンポ遅れて全身に襲い掛かるのは平生体感しているあの戦慄だった。
――彼女の歌声だった。
粟立つ気配を抑え切れなくて、私はきっと鈍器で殴られたならばこんな感じなのであろう衝撃に頭をクラクラさせながら、普段と寸分違わぬ声のするほうへ恐る恐る振り返る。
すると私の少し後方で、腰元まである艶やかな黒髪を横風にそよがせている女性を見つけた。後姿しか確認できないが、随分と華奢な体躯に私は少しばかり瞠目していた。あの力強い歌声の源がこんな、折れそうな身体からであったとは。
口の中で転がる米粒は既に味がしなくなっていた。全神経が彼女の歌声を受け止めようと注がれる。どこまでも果てしなく突き抜ける清涼な響きだった。
暫くの間彼女の歌声に動作を奪われていると、唐突に彼女は発生を切り上げ、振り返って私を発見する。
「どうだった?」
「えっ?」
彼女はまるで私がここにいたことを初めから知っていたように、事も無げにそう声をかけてきた。呆気に取られた私は間抜けに声を漏らすほかなかった。少し離れていて判然しないが、彼女はそれでも端正な顔つきであることはわかった。
切れ長の目じりが、少し緩んだ。
「聴いていたんでしょう?」
「えっ? あ、はい。……とても、じょうずですね」
やっとひねり出して出てきた言葉はあまりに稚拙で。それも致し方なかった。私は彼女を賛辞する術を持ち合わせていないのだから。
「ありがとう」
私の馬鹿げた返答にあまつさえお礼を述べる彼女に、私はますます萎縮して身を縮こまらせるしかなかった。
「こんなところで、誰かに聴かれているなんて思ってなかったわ」
「ごめんなさい」
「謝らなくていいわ。いいのよ、気にしてないから」そう言って彼女は照れたように少し俯き、「ただ、驚いただけよ」と言った。笑いなれていないのか、少しぎこちない笑みは逆にとても印象的で、眩しかった。
「あなたはよく、ここに?」
吹いてきた風によって巻き上がる髪を押さえつけながら、彼女は問いかけてきた。何故か私は動揺して、慌ててぶんぶんと首を横に振る。
「そう」
私がお尻についた草を払いながら立ち上がると、彼女は私の返答にどう思ったのか、目を瞑って一度大きく深呼吸した。
「いい天気ね」
誰に向けられたのかわからない漠然とした問いかけに首肯しかねていると、彼女はくるっと身を反転させて再び高速度道路に向きかえる。彼女がくいっと顎を上げたので私もつられて上空を仰ぐ。空は相変わらずぼやけた青色が広がっていて、大気の動く音と枝葉の擦れる音だけが私達を包み込む。
「私、ここが好きだわ」
「ここ……って?」
ふと彼女は唐突にそんなことを口走るので、私は思わず聞き返していた。後悔。
私は彼女の一歩後ろまで歩み寄っていた。緩やかな傾斜の上部で、彼女はいつまでもそれを見つめている。真剣な彼女の横顔に、私は言いようのない焦りを覚える。
「高速道路」
彼女の瞳は、少しも焦点を揺るがない。必要最低限のその単語は妙にじんわりと皮膚に感覚に浸透して、過日沸いて出たあの言葉の意味を知ることになる。
先の見えない、中途で断絶された道。それは去就をいまだ定められない自分自身の心そのものだった。私は一度も高速道路と向き合うことなく、途切れた道路の向こうに広がる何もかもを受け入れてくれそうな空を待望した。学校と家の往復を繰り返す日々、ついでに言えば、屋上と部屋を往復するその毎日。漠然とした大空は漫然と浮遊する心のわだかまりを晴らしてくれる気になっていたが、今はその莫大な蒼さに息苦しいとさえ感じていた。
この道は前途だ。暗中模索の未来にすくみ、その場で足踏みしている。そのくせ、自らその道を作ることなく、いつか完成されることを心のどこかで望んでいるのだ。私は何の努力なしに、完成された未来像ばかり、大空に描いている。積み重ねた足元を省みない。
彼女は町の方など一切関心がないように私達に背を向けて、あの道路に対峙している。未練などまるでないふうで、先の見えない道路にいつまでも焦がれている。その視線の先にはきっと彼女の描く完成像が生み出されているのだろう。こんなにも近くにいるのに、とてつもなく彼女は遠くにあった。その距離はやはり、屋上にいた頃のままだ。
「歌、上手いですね」
しばらくの沈黙を破るように、再び言った。一瞬彼女の視線は道路から外れて私に注がれる。少し目を丸くしている彼女に相反する気持ちを隠して、私は一言「大丈夫ですよ」と言った。彼女は少々の間の後、やはり「ありがとう」と微笑んで答えた。
帰り際に聞こえてきた歌声は、どこまでも力強い声だった。

   *
作品名: 作家名:mugita