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秋月あきら(秋月瑛)
秋月あきら(秋月瑛)
novelistID. 2039
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あやかしの棲む家

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 暖かな温もり。
 人肌の温かさだった。
 美花が目を覚ますと目の前には美咲の顔。
「お姉さま……」
「目が覚めたようね」
 美花の頭を撫でながら、美咲は膝枕をしていた。
 ここは美咲の部屋。
 とても質素な雰囲気で、家具は最低限必要な物だけ。
 鏡台に映る二人の姉妹の姿は、母と子の様でもあった。
 愛しい顔をしながら妹の髪を撫でる姉。
 膝枕で安らかに心を落ち着かせる妹。
 しかし、美花はふと恐怖に駆られてしまった。
 意識を失う前の出来事。
 浴槽に強い力で沈められ、もがけばもがく程に口に浸入して来る水。咳をすればさらに苦しくなった。
 美花は躰を強張らせた。
 だが、そんな美花を見守る美咲の瞳。とても和やかな瞳だった。
「ごめんなさい美花」
「どうして謝るのですのか?」
「妹への接し方がわからないの。とても嬉しい出来事なのに、その気持ちをどうやって表していいかわからなくて、だから風呂場ではあんなことになってしまって、決して貴女を傷つけるつもりはなかったのよ、愛しい妹だもの」
「……お姉さま」
 美咲のことを誤解していたのかもしれない。
 はじめの印象はとても恐ろしいものだったが、今はとても温かい。
 ――きっと、姉も接し方のわからない人なのだ。
 生まれた時から、この屋敷で育ち、外との交流もなく、毎日顔を合わせる限られる人々。
 絶対的な主従関係ばかりのある世界。母と子、主と侍女、教師と教え子。同世代の友達など一人もいなかった。
 姉もまた、疎外感を感じていたのかもしれない。
 美花がにこやかな顔をして美咲を見つめた。
「わたしにお姉さまがいると知った時、とても嬉しかったです」
「こんな姉で幻滅したかしら?」
「いいえ、これからも一緒に生きていきたい」
「そう、永久に過ごしましょう……二人で」
 二人は同じ部屋で眠ることにした。
 美咲の部屋に並べて布団を敷き、姉妹揃って床に就く。
 部屋を淡く照らしていた行燈が美咲の息によって吹き消された。
 静かに眼を瞑る双子の姉妹。
 安らかな吐息。
 静かな夜。
 そして、暖かな布団。
 美咲は静かに手を伸ばし、美花の手を握った。
 驚いた顔をして美花が首を横に向けると、美咲が静かな笑みを浮かべていた。
 美花はとても心が温かかった。
 こんなに安心して眠れる日はあっただろうか。これからは姉が傍にいてくれる。心強く、愛しく、これから生きていける。
 もしかしたら、一年か、二年先に死が待っているかもしれない。
 長く生きられてもあと三十年余りの人生。
 砂時計の砂は残り僅かかもしれない。
 それでも姉がすぐ傍にいてくれる。
 精一杯幸せな日々を生きようと美花は心に誓った。
 美花の手が美咲によって強く握られた。
 ――絆。
 その手を強く握り返そうとした瞬間、突然に美咲が覆いかぶさって来た。
「わたしは永久に一緒よ。美花はわたしの身体の中で行き続ける」
 冷たく静かな微笑。
 美咲が背中に隠し持っていた短刀を翳した。
「お姉さま!?」
 寝首を掻こうとした短刀を美花は手で受けた。
 握られた手から滲み出す鮮血。
 激しい痛みは胸まで届いて美花を困惑させた。
 ――信じていたのに!
 臓腑を抉られる程の裏切り。
 憤りよりも悲しみが美花を支配した。
 無我夢中で美花は暴れて足を蹴り上げた。
 腹を押さえてよろめく美咲。
「よくも姉のわたしを蹴ったわね!」
「……だって……どうして……」
「死ね!!」
 般若の形相で眼を剥いた美咲が襲い掛かって来る。
 美花は逃げることしかできなかった。
 血が流れ出す手を押さえ、部屋を飛び出して廊下を必死で駆ける。
 短刀を受け止めた傷は骨まで達していた。とても痛く、躰が芯から震え、涙も零れた。けれど、その涙は痛みよりも悲しみが零れたもの。
 ――お姉さまはわたしを殺そうとしている。
 死ぬことは怖くなかった。姉が傍にいてくれると思ったから。しかし、殺されることは怖い。
 同じ顔をした者に殺戮され、腹を裂かれ肝を喰われる。考えるだけでぞっとする。
 暗い廊下。
 ほとんど何も見えなかった。
 振り返ることもできない。すぐそこまで美咲が迫っているかもしれない。だが、振り向くことは恐怖で出来なかった。
 助けを叫びたかった。
 しかし、叫んだところで誰かが助けてくれるだろうか?
 双子が殺し合うことを知ってるのか、そんなことが行われるのに知らない筈がないかもしれない。
 助けを求めても裏切られたら?
 この屋敷の中には誰も味方がいない。
 美花は今日来たばかり。生まれた時からこの屋敷で育った美咲とは違う。
 広い屋敷と言っても逃げ場はどこにもない。
 逃げ場の限られた閉鎖空間。さらに出入りを封じられた部屋ばかり。
 走れば走るほど鼓動は高まり、血流が激しく全身を駆け巡り、手から流れる血は止まらない。
 廊下の行き止まりに来てしまった。
 振り返るしかなかった。
 意を決して美花は振り返った。しかし、眼は開けられなかった。
 今度は眼を開けられなくなった。一度恐怖で閉じられてしまった眼はなかなか開くことができない。
 視界を閉ざされた分、聴覚が鋭く研ぎ澄まされた。
 空気が流れる音。
 風が戸を揺らす音。
 足音は……聴こえた。
 美花は唾を呑み込んで、静かに目を開けて天井を見た。
 足音は廊下から聴こえたものではなかった。屋根裏から聴こえたのだ。
 この屋敷に棲むモノ。
 何がそこにいる?
 耳をさらに澄ますと、足音が近づいて来るような気がした。おそらく降りて来ている。階段を下りているようだ。
 そして、近づいて来ていた。
 逃げようと思った。けれど、足が動かない。
 広がる闇の先。そこは来た道を戻る廊下。その先には美咲がいるかもしれない。
 確実に何かが近づいて来ている。
 後ろだ、行き止まりの筈の木壁から、その先から下りて来る微かな音が聴こえる。
 微かな物音。
 それが何かわからず、美花は息を潜めて気配を探った。
 静かに開かれた。
 そこは開く筈もない木壁だった。隠し戸になっていたのだ。
 眼が合ってしまった。
 美花は全身を凍らせて死を覚悟した。

 男は瞬時に美花を取り押さえ、口を手で塞ぎ、その首に短剣を付きつけた。
 抵抗する猶予すら与えられないまま、美咲は開いた戸の中に引きずり込まれた。
 男は短剣を付きつけたまま、戸を閉めて木製の鍵を閉めた。
 そのまま美花は階段を登らされた。
 屋根裏に存在していた部屋。
 最低限の家具がここには揃っていた。
 家の者はこの屋根裏の存在を知っているのだろうか?
 知っているならば、とうにこの男は見つかっていただろう。
 男は美花の手足を縛ろうとして、深く傷ついた美花の手に気づいた。
 自ら着ていた長袖のシャツの袖を破り、男は美花の傷口に強く縛り付けた。
 男は美花を縛り付けることをやめたようだった。美花も逃げる様子を見せない。怯え、床に座りじっとしている。
 美花の前に男は胡坐を掻いた。
 若い男だった。年齢はおそらく二十代後半、細身で色は白い。無精髭を触っている。人相はそれほど悪そうな人間には見えなかった。